クルーウェルから頼まれたショーは無事終了したものの、ミヤは一ヶ月続けたルーティンを続けている。その方が体の調子が良いし、なによりクルーウェルに選んでもらった服が入らなくなるのは悲しいからだ。
生徒でないミヤがクルーウェルに会う機会なんて無いに等しい。植物園の辺りを通る度に、もしかして会えるかもなんて思うこともあるが今のところ一度も無い。それに、クルーウェルを見かけたところで気安く声を掛けられるかどうかといったら、眺めて終わりだろう。
「・・・何度も気が滅入りそうな溜息吐くんじゃねぇ」
「そんなに出てた?」
「疲れたんならペース落とした方がいいだろ」
休息も大事だと言うジャックに適当に相槌を打つ。ジョギング中に出会ったジャックと今日は珍しく一緒に走っている。いつもはすれ違う時に挨拶するくらいだったが、今日は相手のペースに合わせて走った。早いペースで走って自分の中にある気持ちをどっかに置き去りにしたかったが、無駄に疲れただけだった。
ユウ達を見送って、寮の掃除をして冷蔵庫の中身と相談して献立考えて、買い物に行って出費の記録をつける。専業主婦のママみたいだななんて思いながら、家計簿もどきのノートを眺める。収入欄にある今までには無かった項目がふと目に止まり、そっと指でなぞった。
ショーに出るのを引き受けた要因の一つはお金だった。興味があったのも勿論だけれど、生活を豊かにするためにはお金がどうしても欲しい。絶対成功させるためにミヤは我慢して努力し続けた。終わってみれば、自分の意識が変わってこうして体型維持を続けているのだから、確実にお金以外にも収穫はあった。
ユウには報酬の話をしたがグリムには話していない。すれば絶対に羨ましがって、あれこれ要求されるのが目に見えている。今日はツナ缶を使った料理でもしようかと購買部に食材を買いに行くと、購買から出てきたカリムに声をかけられた。
「お前、いつの間にモデルになったんだ?」
「え、何の話?」
「ヴィルと写ってたよな!アズールもお前の事話してたぜ!SNSでも話題になってるって、すごいな!」
「SNS?」
「はあ・・・説明すると、クラスメイトが見てた雑誌の記事がカリムの目に止まり、ミヤがランウェイを歩いた事と雑誌モデルの事を近くを通りかかったアズールが得意気に話すのを周りの奴らと聞いたんだ。SNSはさっきケイト先輩とヴィル先輩が話しているのが聞こえただけだが、一緒に写ってるモデルが羨ましいとか見たことないモデルだとか騒がれてるとか言ってたな」
「デビューしたの教えてくれたら盛大に祝ってやったのに・・・そうだ!今日の夜うちの寮に来いよ!祝いの宴を開いてやるから!」
善は急げとばかりに寮へ向かうカリムを慌てて追いかけるジャミル。いろいろ気になる事を言っていたが、誤解を解かなければとミヤも急いで二人を追った。鏡舎の前でなんとかカリムを捕まえてデビューの誤解は解いたが、雑誌に載った祝いだとかで宴を開きたい気持ちは変わらないようだ。
ミヤもジャミルも宴は勘弁して欲しいと説得を試みるも、カリムの中では宴をして祝いたいと気持ちはかなり固い。準備が大変なら尚の事早く取り掛からないとダメだろと、鏡舎に入っていこうとする。
「いったい何を騒いでいるんですか!?」
「学園長!すみません、実は」
ジャミルが謝罪と状況説明をしようと口を開いたところ、カリムは一際大きい声で学園長を宴に誘った。誘われた学園長は、声に喜びの色が混じらせながらも断りの返事をした。どうやらミヤに用があったらしいが、それがなければ喜んで招待されていたような言い方には呆れてしまう。宴の準備がなくなりホッとするジャミル達に手を振って、学園長室へ向かった。
内装の色が暗いせいで照明があっても暗い印象の学園長室にはクルーウェルがいた。驚いて足が止まるミヤは学園長に遠慮せず座ってくださいと促され、おずおずと腰を下ろせば隣にクルーウェルが座ってきた。ドキッと胸が高鳴るミヤの心中など知らない学園長は、前置きもなしに本題に入った。
「ミヤくんは芸能活動に興味はありますか?」
「げいのう、かつどう?」
「いや〜シェーンハイトくんの仕事の手伝いをしたとは聞いていたんですが、今日になったら学園中があなたの話題で持ちきりじゃないですか!
それに、SNSじゃあ一緒に写っているモデルは誰だと騒がれているようですから、売り出すなら今・・・いえ、あなたの素性がネットに拡散してしまわないかと心配で心配で」
ミヤが心配だという言葉を会話に混ぜてはいるが、学園長はモデルや芸能活動に興味があるなら保護者として後押しするつもりだと言いたいようだ。後押しする理由はミヤのためなんかじゃなく、学園のもしくは自分の益になるからだろう。
興味はあっても、継続してやりたいわけではないミヤはやりたくないと即答した。学園長はなんとか考え直すようにと説得してくるが、ミヤの意思は変わらない。そこで学園長はクルーウェルに意見を求めた。
モデルとしてのミヤを作り上げたクルーウェルなら彼女が芸能界で華々しく活動する事を望むだろうと思ったからだ。しかし学園長の思惑通りにはいかず、クルーウェルはミヤの芸能活動に反対だった。
「本人にその意思がないのに活躍できるとは思えません。あの世界は才能があっても、やる気と向上心がある者しか生き残れませんよ」
「売り込むなら話題になっている今しかないんですよ。後になって"やっぱりやりたい"と言われても、世間には忘れられてますから苦労するでしょう」
「本格的に活動すれば今以上に世間の目に晒されますし、本人の望む仕事ばかりじゃないでしょう。そうなった時、こいつが耐えられるとは思えません」
「そうですか?私はミヤくんには忍耐力はあると思いますけど」
大人のやりとりを黙って聞いていたミヤはどっちの言い分も正しいと思ったし、どっちの選択をしても自分の為になるかもしれないし後悔するかもしれないと思った。
けれど、ミヤにとって一番大事なのは弟と平穏無事に生活をする事だ。生活に潤いは欲しいし変わらない日常に刺激が欲しくもあるけれど、生活を劇的に変えてまでお金が欲しいわけじゃない。
二人の会話に口を挟み、学園長に丁寧な口調で且つキッパリと芸能活動はしないと言って席を立った。大きなため息を吐かれたもののミヤの意思は尊重され、この話は無かったことになった。
「クルーウェル先生、私の肩を持ってくれてありがとうございます」
「仔犬の処遇を決めるのは飼い主の務めだ。やりたくないのにやらせてもいい結果は得られん」
ミヤはクルーウェルと話せた事や自分の気持ちをわかってくれた事、こうして廊下を並んで歩いていることが嬉しくて顔が綻んでしまうのを止められない。もっと話したいが隣にいるというだけで緊張してしまい、少しの喜びを噛み締めることしかできなかった。
静かな廊下に響く二人分の足跡がピタリと止まった。急に足を止めたクルーウェルは、ミヤの顔を見下ろしながら観察すると口を開き、ミヤの呼び方に対する疑問を投げかけた。
「俺は教師ではあるが、お前の先生ではない」
「え・・・でも、この学園の先生ですし」
「俺が正しい呼び方を教えてやろう。いいか、クルーウェル様だ」
「様・・・?」
「そうだ、言ってみろ」
とりあえず言ってみたが違和感しかないミヤは、もう一度と言われても素直に言えなかった。再度促されても言い淀むミヤに、クルーウェルは「躾が必要なようだな」と教鞭をパシッと見せつけるように打ち鳴らした。
ビクッと肩が震えたミヤだったが、様付けがどうしても受け入れられず「クルーウェルさん」と言い直した。それを聞いて「まあいいだろう」と許しは出たが、それで終わりではなかった。
「今のスタイルを保つ努力はしているようだが・・・」
「クルーウェルさんがくれた洋服が着られなくなるのが嫌だったので」
「それだけじゃ足りんな」
何が足りないんだろうかと見上げるミヤの顎をクルーウェルの人差し指が上へと持ち上げた。首の筋が伸び切るような姿勢に呼吸が詰まる。息を止めたまま近くに寄せられたクルーウェルの瞳を見つめた。
真っ直ぐ見つめてくる視線はミヤだけを捉えており、ミヤ自身も獲物を狙うような強い視線に身動ぎひとつ出来ないでいた。瞬きも忘れるくらいの緊張の後、クルーウェルはフッと笑った。
「これからは俺がお前の毛並みを整えてやる。俺好みに躾けてやるから覚悟しておくように」
クルーウェルの指先がミヤの顎をするっと撫でていった。緊張から解放されたのと、恥ずかしいのと言葉の意味が分からないのとかで頭の中がぐちゃぐちゃになる。クルーウェルが去った後ミヤはその場にうずくまり、曲げた膝に額をくっつけたまま大きく息を吐いた。
クルーウェルがどういうつもりで言ったのかは分からないが、これからも会う機会があるということが嬉しい。嬉しいことではあるが、クルーウェルの行動が異性に不慣れなミヤにとっては恥ずかしかった。
これからの事を考えると平常心で会える気がしないし、変に意識してしまって頭が真っ白になりそうだ。
通りがかった生徒に変な目で見られるまで、ミヤは沸騰しそうな頭を抱えて悩み続けた。