恋の香ふわり


 夜が明けてから数時間が経った。雪が深々と降り続き薄らぼんやりとした日光がカーテンの隙間から部屋に差し込んでいる。寮のカーテンは擦り切れて寸足らずになっていて、ぽっかり空いた穴は虫にでも食われたのかもしれない。
 魔法で温度管理がされているといっても、隙間から入り込む冷気はどうする事も出来ないようだ。ベッドから抜け出ると、一緒に寝ていたグリムがもぞもぞと寒さから逃げるように体を丸まらせた。
 厚手のガウンを羽織るとシャワールールに向かった。寝癖を治す目的や体を温める目的もあったけれど、一番は今日がクリスマスイヴだからだ。好きな人の前では身綺麗でいたいし、クリスマスイヴという雰囲気にどうしても浮かれた気持ちになってしまう。
 会うのは昼過ぎなのに気持ちが逸って落ち着かないなぁなんて思いながら、髪を整え、湯気でぽかぽかになった脱衣所を出た。部屋に戻りいつものあっさりメイクにポイントで洋服と同色のラメ感少なめのアイシャドウを目尻に乗せる。鏡に映る自分に気合入れすぎと揶揄したところでグリムが起きた。

「今年もご馳走が2倍も食べられて幸せなんだゾ〜」
「学園長からのご馳走はゴースト達が受け取ってくれるって」
「お腹が空いたからってオレ様より先に食べたら許さないんだゾ」
「大丈夫。明日グリムが帰ってくるまで手はつけないよ」

 時間になったらグリムと一緒にオクタヴィネル寮にお邪魔する予定だ。去年はいろいろあってスカラビア寮でクリスマスを過ごし、次の日に学園長が頼んでくれたご馳走を食べた。今年は去年同様寮に残ったオクタヴィネルの三人が、一緒に過ごそうと私たちを誘ってくれたのだ。
 クリスマスディナーを二日に渡って食べられる事にグリムは浮かれているが、私は先輩と二人で過ごすクリスマスにドキドキしている。オクタヴィネル寮で過ごすのは夕飯までで、そのあとグリムは彼らの寮に泊まり私は帰って先輩と一緒に過ごす予定である。

「アズール!来てやったんだゾ〜」
「ようこそ、いらっしゃいました。ナマエさん、グリムさん」
「お邪魔しますアズール先輩」
「あ〜〜小エビちゃん!アザラシちゃんも、いらっしゃい」

 時間まで課題でもやろうかと机に向かったりしていたけれど、そわそわむずむずとじっとしていられなかった。予定より少し早かったけれど、オクタヴィネルの談話室の扉を叩くと先輩達が暖かく迎え入れてくれた。
 駆け寄ってきたフロイド先輩に手を取られ、今日のアイメイク可愛いねとこっそり囁かれて胸がぴょんっと跳ねる。外気で冷えた私の手もフロイド先輩の手もひんやり冷たいはずなのに、柔らかでどこか温もりを感じ鼓動が速くなった。

「ナマエさん、グリムくん。寒かったでしょう。紅茶でも飲んで温まってください」
「オレ様紅茶だけじゃ足りないんだゾ!」
「ふふっご安心ください。ちゃんとお菓子も用意してありますよ」
「小エビちゃんはここ、オレの隣に座って」

 先輩に促されるまま談話室のソファに座るとクラッカーを手渡され、せーのという掛け声で一斉に「メリークリスマス!」とクラッカーを鳴らした。
 パァンと乾いた音と共に色とりどりの紙が飛び出した。魔法がかけられた紅茶やお菓子を避けるように降り注いだそれらは、テーブルの上を賑やかに飾った。

「誕生日でも無いのにクラッカー鳴らすのか?去年はやらなかったんだゾ」
「小エビちゃんの国では鳴らすんでしょ?」
「絶対じゃ無いですけど、私の家では鳴らしてました」
「慣例というわけじゃないんですね」
「珊瑚の海ではどうしていたんですか?」
「深海にはクリスマスを祝う習慣はありませんから」
「陸の事ってオレ達にとってはすげー新鮮だから面白いよね。たまに意味わかんねって思うこともあるけど」
「そんな事よりオレ様お腹が空いたんだゾー!」
「グリムさんは食い意地が張って…失礼、たくさん食べてくれそうで作りがいがありますね」
「くすっ、そういうアズールだって食べる専門でしょうに」
「お前達の作る料理は絶品ですからね。ぜひグリムさん達お客様に振る舞ってやるべきでしょう」
「幸いアズールと違ってグリムくんと僕たちは沢山食べられるので好きなだけ食べさせてもらいます」
「さっきから余計なことばかり言いますね、ジェイド」

 グリム用にと出された焼き菓子が話している間に無くなって、私の分に手をつけていたところだった。いつものことだと呆れながら、アズールさん達の軽快な会話をバックに紅茶に口をつけた。あ、美味しいなんて思ったら、はいと目の前にお菓子が差し出された。
 この国では見る事がなかった懐かしいお菓子だ。白い皮で餡子をまあるく包んだ和菓子。元々洋菓子派ではあったけれど、食べられないと思うと無性に食べたいという気持ちが湧いていたのだ。

「フロイド先輩、これって」
「うん、"ダイフク"だよ。小エビちゃんが食べたいって言ってたから、調べて作ってみたんだ〜」
「ありがとうございます!」

 感動する気持ちを抑えながら一つつまんで口に入れた。そうそう、この餡子の味が恋しかったとしみじみ感じながら紅茶を飲む。
 やっぱり和菓子だから紅茶は合わないなあと思いながらも、先輩が作ってくれた大福が最高に美味しいので先輩にもう一度感謝した。空になったティーカップが下げられ、新しい紅茶が出される。

「ダイフクと一緒に飲むならこっちのが美味しいんだって」
「茶葉が違うんですか?」
「そう、とにかく飲んでみてよ」

 美味しいからと勧められるまま、さっきとは違う紅茶を残りの大福と一緒に飲んだ。さっきと全然違う。感動して先輩を見やると感情が顔に出ていたようで、笑いながら美味しいでしょと言って大福をぱくりと口に放り込んだ。
 フロイド先輩の心遣いとか、美味しそうに食べる顔を見ていたら場所も憚らず抱きつきたくなってしまった。他の人がいる前でいちゃいちゃ出来るほど私の羞恥心は弱くないため、気持ちを誤魔化すためにもう一つの大福を食んだ。

「あ、いちごだ」
「なんか色んなフルーツ入れたりするんでしょ?だから入れてみたんだけど、美味い?」
「はい!もうホント、先輩がハイスペック過ぎて心が持たない」
「ははっ、なにそれ」

 色んなので作ったからいっぱい食べてと言う先輩に、全部は食べられそうにないので半分こしましょうと手元のナイフで切った。この国特有のフルーツを私の故郷の餡子が包んでいる断面が見えた。
 フォークに刺した大福の片割れの方が瞬きの間に皿から消えた。可愛らしい猫のような前足が器用に大福を掴み、大きな口に消えてしまった。

「ふわあ〜〜初めて食べる美味しさなんだゾ〜。フルーツのシャリッとした食感や酸味をなめらかで上品な甘さが包むように舌の上を滑っていったんだゾ」
「もう、グリムと半分こする為に切った訳じゃないのに」
「それなら、もう半分もオレ様が食べてやるからそっちのを切ればいいんだゾ」

 食い意地の汚いグリムに呆れながらもう半分も諦めフォークに刺していた大福を渡そうとした瞬間、フロイド先輩の手が私の手を掴んで止めた。
 フロイド先輩はアザラシちゃんにもあるよと、テーブルの奥から大福が乗った皿を渡した。大喜びで頬張ったグリムは、もぐもぐと咀嚼したのち謎な食リポを述べた。

「美味しいけど食べたことない味だったんだゾ!」
「アザラシちゃんってマジでゲテモノいけんだね」
「え、中身なんだったんですか」
「×××だけど」
「全く食べ物で遊ぶなんて」
「いいじゃないですか。グリムくんは全部食べたようですし」

 食べられる食材(?)が使われているようだけれど、九割九分九厘の人は食べないであろう物をグリムが次々食している。なんだか、見ていたらげんなりしてきた。
 中身の具材(ゲテモノ)を聞いてもそれが何かをグリムは知らないようで、だからむしゃむしゃと食べていられるんだなと思いながら美味しい大福を避けるように紅茶を飲む。せっかく美味しいのに、グリムが食べ終わるまでは口にしたくない気分だった。
 私が大福を避けてるのに気付いたフロイド先輩が慌てたように「小エビちゃんの大福には美味しいフルーツしか入ってないから!変な勘違いしないでね!」と言うから、そんな事考えてないですと笑った。それでも全部は食べられないので持ち帰らせてもらう事にした。

 ティータイムからディナーまでの時間を談話室で楽しく過ごした。トランプゲームやボードゲームをしている時は、かなり賑やかになった。
 ルールを理解していないグリムと組まされて、私の指示も聞かずに勝手にやって罰ゲームとしてめちゃくちゃすっぱいグミを食べさせられたり。グリムがゲーム中に煽りまくってキレたフロイド先輩と、すぐ捕まる鬼ごっこが始まったりした。
 たった四人と一匹だったけれど、はちゃめちゃに賑やかで楽しい時間だった。その熱を冷ますようにフロイド先輩と並んで歩く私の頬を夜風が容赦なくたたく。
 グリムをアズール先輩達のところに預けて二人で歩く夜道は、足音以外の音を全て雪に染み込んでしまったように静かだった。

「息白いけど、小エビちゃんは寒い?」
「さっきまで楽しくて熱っていたので丁度いいくらいですよ」
「帰ったら先にお風呂に入りなよ」
「………」
「え、なに。オレなんかおかしなこと言った?」
「ううん、フロイド先輩やさしいなってしみじみ思ってました」
「…小エビちゃんが相手だもんそうなるでしょ」
「へへっそれが嬉しいんです」

 からかってるつもりはなかったけれど、にこにこ笑う私が先輩にはそう見えたようで拗ねたように面白くないと言った。不満そうな先輩は、そのまま私の手を取って自分のペースで歩き出した。手を引かれる私は自然と小走りになる。
 全然怒ったようには見えなかったけれど少し不安で、先輩に繋がれた手をきゅっと少し力を入れて握った。すぐに同じように握り返された先輩の手からはぬくもりしか感じられず、ほっと白い息を吐き出した。

 早足になったのは心配してくれてのことだったと分かったのはオンボロ寮に着いた時だ。泊まる部屋に案内してすぐ後ろから抱え込まれるようにソファに座り「こんなに冷たくなってんじゃん」と言われながら、頬の感触を楽しむようにいじられたのはちょっと不服だった。
 今度は私が先輩をもてなそうと思っていたばかりに、出端を挫かれた気持ちだったけれどお風呂の準備を口実に先輩から離れる。今のうちに準備しなくちゃと自室へ行ったり浴室へ行ったりとバタバタ慌ただしく先輩の部屋に戻った。

「食べたことねーの可哀想…あ、おかえり小エビちゃん」
「ゴースト達来てたんですね」
「じゃ俺たちはもう行くよ」
「そうだな、まあゆっくりしていきなよ」
「邪魔しないようにするからさ」

 ふよふよと部屋を出て行くゴースト達に、ばいばーいと手を振っている先輩の隣に座る。あとどのくらいでお風呂のお湯は溜まるかななんて思いながら、先輩の黒っぽい毛束をぼんやり見ていた。
 不意に振り返った先輩と目があって、ゴースト達が去り際に言っていた揶揄いを思い出し妙に緊張してしまう。

「お風呂の準備出来ましたよ」
「小エビちゃん先に入りな」
「えっと…それなんですけど、フロイド先輩ちょっと前に入浴剤の話したじゃないですか」
「普通に風呂に浸かるのつまんないから入浴剤入れてるって話ね」

 先輩は冷たい海の出身で寒さには強いらしいけれど、それはあくまで耐性があるってだけで体は同じように冷える。それを温める為に冬はお湯に浸かるらしいけれど、普通のお湯に飽きた為に入浴剤を入れるようになったと話したことがあった。
 まだその興味は無くなっていないかなと不安で聞いてみたけれど、色も香りも種類が沢山あるからまだ飽きていないようで安心した。早く渡してしまおうと後ろ手に持っていたプレゼントを先輩に向かって突き出した。
 目を丸くした先輩にあれ?と思っているとクリスマスにプレゼント交換をする習慣を知らなかったようだ。

「ごめん小エビちゃん。オレなんも用意してない…折角のクリスマスデートなのに」
「全然気にしてないですから大丈夫です」
「オレが気にするって!オレばっかり貰っちゃってさあ」
「私はもう貰ってますから!先輩が作ってくれた大福、最高に嬉しかったですから」
「え〜そんなんプレゼントじゃないでしょ」
「そんなこと言ったら、私だって高いものじゃないし…」
「オレ別に高価なものが好きってわけじゃないから、そこは気にしないけど」

 とりあえずプレゼントを開けてもらう。ラッピングのリボンを解くと、中からは統一性のないパッケージの袋が顔を出した。先輩の反応が気になってずっと見ているけれど、驚いたような表情のまま中身を手に取って次々とパッケージを見ている。
 全部見終わった先輩が吹き出したように笑って顔を上げた。めんくらうのは私の番だった。さっきまでのやりとりが嘘のように、なにこれとか笑っている先輩を見て妙な安心感を得た。

「面白いかな〜と思って選んだので、先輩が笑ってくれて安心しました」
「ドキドキしながら開けたら入浴剤がいっぱい入っててさ、しかも、あっはは、なにこの『本格カレーの香り』って美味しくなっちゃうじゃん」
「先輩の好きなたこ焼きの香りもありますよ」
「風呂上がりに食べたくなっちゃうね」

 普通にいい香りのものもあるけど、先輩の笑う姿を見てユニークな香りのものにしてよかったと一緒に笑った。ひとしきり笑った先輩が「小エビちゃん、ありがとう」なんて言うから、その甘い笑顔に顔が熱くなって蕩けそうになる。
 気恥ずかしさを感じて今日使うかどうかとか、使うならどれにするかとか先輩の視線から逃げるように入浴剤を手に取った。その手を先輩が掴んできてドキッとする。首をこてんと傾げた先輩が私を見ていて心臓がうるさくなる。

「それなら、このホットケーキの香りにするね」
「あ、はい。じゃあ他のは袋に戻しますね」
「他のも小エビちゃんと一緒に使いたいから持ってて」
「でも、これは先輩へのプレゼントだから」
「プレゼントをどうやって使うかはオレの自由でしょ?小エビちゃんだって気になるでしょ?どんな香りか」

 勿論どんなのか気になるし、先輩がそれでいいと言うなら私にはそれ以上は言えなかった。それに先輩と一緒ならいい香りは勿論、変な香りだったとしても二人で笑い合えると思う。フロイド先輩も私と同じように思ってくれているみたいで嬉しい。
 それじゃあ入浴剤入れてみようと言う先輩に手を引かれるままお風呂場に向かった。脱衣所に靴下を脱ぎ、二人でペタペタと音を立てながら浴槽に入浴剤をさらさらと入れくるりと混ぜた。
 ふわわんと湯気と一緒にバターのような香りとバニラの甘い香りが立ち上ってきた。先輩と顔を見合わせて、ああ、確かにホットケーキだね美味しそうだねなんて笑い合った。浴室から出て、脱衣所を出ようとしたところで先輩に腕を引かれた。ああ、そういえば先にって言われたなあと思い出した。

「せっかくだから一緒に入ろ」
「いっしょ、えっお風呂に?」
「脱ぐのが恥ずかしいなら先に入って、後からオレいくから」

 先輩は有無を言わさせる間もなく脱衣所を出て行ってしまった。そうなってしまっては呆けている時間も惜しい。腹を括ってスピーディーに髪から足の先まで洗って、先輩が来るまでにお湯に使ってしまえばいいのだ。お湯は薄いオレンジ色なので、透明よりは隠せるから大丈夫だと自分に言い聞かせた。
 浴室の戸が開くのと湯船に足先が着いたのはほぼ同時だった。水音を立ててお湯に使った私を見た先輩が「あ、残念もう入っちゃったんだ」と言っていて、もう、恥ずかしくて恥ずかしくてそっぽ向いて返事をしなかった。
 見ないようにして目を背けていても、先輩の髪や体を洗う音が反響して聞こえてくるので恥ずかしいのは治らなかった。膝を抱えてお湯に浸かっている私の肩に、先輩の熱い手が乗せられて情けない悲鳴が反響してしまった。

「お待たせ小エビちゃん。オレも入るからちょっとつめて〜」
「は、はい」
「小エビちゃん小さいから平気だと思ったけどやっぱり二人だと狭いね」
「そうですね」

 先輩の方を向くことがどうしても出来なくていたら、先輩の脚の間に膝を抱えた私がすっぽり収まった。水の中で感じる先輩の肌の感触はよく分からないが、触れ合っている感覚はよく分かってのぼせそうになる。
 熱いのと恥ずかしいのとで心臓の鼓動が速くなっている。肌を触れ合わせるのは初めてではないけれど、こんなに明るい場所で見られることも見ることも無かった。先輩はドキドキしたりしないのだろうか、自分だけなのだろうかと暴れ狂う心臓を止めるように体をさらに縮こませた。
 そんな私の体を包むように先輩の腕が私の体に回され、ちゅっとリップ音を立てながら頬にキスされた。

「フロイドっせんぱい」
「あはは、匂いはホットケーキだけど味はどうなのかな〜って思ってさ」
「だ、だからっていきなり」
「小エビちゃんのほっぺが美味しそうに見えてさ、でも全然ホットケーキじゃなかった」
「お風呂のお湯なんか舐めてお腹壊しますよ」
「そん時は小エビちゃんに看病してもらう」
「自業自得な人の世話はしません」

 ドキドキする心臓は治らないけれど、先輩の会話のおかげでいつものような冗談を言い合うことは出来た。いつもの調子が戻ってきたかなと安心していると、先輩がお腹空いてくるねと言い出した。
 夕飯食べても寝る頃にはお腹が空くと話いていたことを思い出す。それに、この美味しそうな香りが追い討ちをかけたのだろう。私でも、ちょっと小腹が空いたなあなんて感じる。

「上がったら先輩が作ってくれた大福でも食べましょう」
「それは小エビちゃんが食べなよ。一応オレからのプレゼントなんだから」
「何か作れるような材料…あっ学園長からのクリスマスディナーは食べちゃダメですよ。グリムが帰ってくるまで食べない約束なんです」
「うん、そうじゃなくてさ…小エビちゃんが食べたいな。ホットケーキの香りがする小エビちゃん、とっても甘くて柔らかくて最高に可愛いだろうね」

 先輩の熱い手のひらに私の頬が包まれ、唇に熱いキスをされたのを境に意識が朦朧としてしまい気付いたのはベッドの上。泣きそうな顔をした先輩が目の前にいて、どうしてそんな顔をするのかとかベッドに横になってるのはなんでだろうとか分からなかった。
 必死に謝る先輩を見ると髪が濡れていた。ああ、お風呂でのぼせてしまったんだと思い出し先輩に大丈夫ですよと笑ってみせた。先輩は申し訳なさそうに再びごめんねと言うと、体を起こそうとする私の肩を支えてくれた。
 差し出された水を飲むと、ひんやりしたものが食道を通っていくのが分かった。せっかくのお泊まりを台無しにしてしまったと二人で深く反省した。

「小エビちゃん電気消すね」

 のぼせてしまった私が回復するまで先輩はずっと私から離れることなく、私が楽になるように体の熱を逃すために扇いでいてくれた。それでも心配だからと先輩が譲らない為、一緒に寝ることになってしまった。
 最後こそ具合が悪くなって先輩に心配かけさせてしまったけれど、とても素敵な時間が過ごせたと思う。グリムや先輩達と賑やかに過ごせたのも楽しかったし、帰ってきてから先輩との時間もドキドキと心臓がうるさかったけれど幸せな時間だった。
 そして今も隣に先輩がいる。ドキドキして寝られるかわからないけれど、朝、目を覚ました時にも先輩が居るのだ。そう思うと、自分が世界一の幸せ者のような気さえしてくる。
 擦り切れたボロボロなカーテンの隙間から差し込むぼんやりとした薄灯は何の光なのだろうか。薄暗い室内で見える先輩の顔も優しい顔をしていて、先輩も私と同じ気持ちでいてくれたら嬉しいなあと感じた。

「おやすみなさい、フロイド先輩」
「おやすみ、ナマエ。またあした」


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