21:00過ぎの


 ハロウィーンウィーク初日の朝。グリムと一緒に学園内を散策しようと出かける時、ゴーストから仮装してハロウィンを楽しんでと青い三角の帽子とローブをもらった。グリムは如何にもな三角の帽子と蜘蛛の巣柄のリボンをもらっていた。リボンを結んであげると、いつも可愛いグリムがさらに可愛くなってギュッと抱きしめてしまった。けれど、かわいいと言われるのは不満なようで「お前も全然怖くないゴーストなんだゾ!」と言われたけれど、暴れないあたり抱きしめられるのは嫌じゃないようだった。
 寮内は余ってた布を飾りつけただけなのに、ボロ布なのが功を奏して幽霊のようになって可愛く出来たなと感じた。しかし、寮を一歩出ると生徒の気合の入った本格的なハロウィーンの飾り付けに圧倒される。各寮の『ハロウィーンウィーク』を見て回る。もちろんスタンプラリー会場は各々個性があって素敵なのだが、道に飾られている灯り代わりのカボチャも個性豊かで道中も苦になるどころかとても楽しい気分になった。
 お昼になってグリムと一緒に食堂目指している途中、部活を終えたエース達に会った。全部見て回った話をしたらフロイドにどの寮が一番だったか聞かれたけど、ジャミルもエースも自分の寮が一番と言われたいようで返事に困った。そんなところへスタンプラリーを終えた子供と一緒にジェイドがいる提出場所へ向かった。エースと同じように先輩たちが子供の扱いに慣れている様に感心してしまった。アズールも、あの巧みな話術で迷子の子供を泣き止ませたりするのかもしれない。

「オレ様もトリックオアトリートって言ってお菓子を貰って回りたいんだゾ」
「じゃあ、31日はお菓子作るからグリム食べていいよ」
「やったー!!!」
「アザラシちゃん、そのうちトドになりそ〜」
「じゃあ、俺も31日はオンボロ寮に悪戯しに行こー」
「大量に作るから、安心してトリートされてください」
「僕たち運営委員は会場から離れられないのが残念です」
「あはっ、じゃあオレがその分いっぱいトリートされてくるね!」
「それはアズールが黙ってないんじゃないか?」
「アズールは"トリックオアトリート"しないよ」
「こういう時くらいハメを外したっていいでしょうに」

 オンボロ寮の監督生はオクタヴィネル寮寮長と親密な仲だというのは、周知の事実だ。もし知らない人がいたとしたら、情報全てをシャットアウトしている人だけだろう。だから、ジャミルはアズールを差し置いてオンボロ寮でハロウィーンを楽しんでいたら痛いしっぺ返しがくるんじゃないかと思ったのだ。アズールがトリックオアトリートと言おうが言うまいが関係ないが、ナマエは違った。せっかくのハロウィーンを恋人と楽しく過ごすきっかけになればと思ったのに、この作戦が使えないとはどういうことかとリーチ兄弟に訊ねた。
 ジェイドとフロイド曰くアズールは厳密に一日の摂取カロリーの計算をしているから、計算外の物は口にしないのだという。そういえば、そうだったと頭を抱えた。食堂のテーブルに突っ伏したナマエの背中を叩いて「小エビちゃんからのだったから食べるかもね〜」なんて、何の根拠もない言葉でフロイドは慰めた。エースにはお菓子もらいにいくからちゃんと用意しておけよと言われるし、グリムには一種類じゃ飽きるから色んなの作ってくれとかいわれるし。そんな二人にナマエは力なく返事をした。

 それからは何かと大変だった。ゴーストとグリムの写真がバズって学園に観光客が殺到したのだ。当然、人がたくさん集まると良識的な人から非常識な人まで様々で、オンボロ寮にまで入ってくるものだから怖くて仕方なかった。あんまり強く言いすぎると何されるか分からない、本物のモンスター(グリム)以上にモンスターだった。そんなモンスター達をディアソムニアの人たちが追い払ってくれたのには感謝しかない。
 そんな非常識な人たちを機転を利かせて立ち去るよう仕向けた作戦は大成功。非常識な人がいなくなったおかげで他の観光客の人たちもハロウィーンウィークを楽しめているようで、会場内ですれ違う人達の表情が数日前よりも明らかに明るかった。そして、購買部の店内も賑わってはいるが行列が出来るほどではなく安心してお菓子の材料を買うことができた。グリムとの約束でもあるお菓子を今から作るのだ。明日はきっと、素敵なハロウィーンになる。

「トリックオアトリート!なんだゾ!」
「はい、ハッピーハロウィーン」
「今度はバームクーヘンか!」

 ナマエは少し呆れながらお菓子をもらうために律儀にトリックオアトリートと言うグリムに付き合っている。ゴーストたちもその光景を楽しそうに眺めている。ゴーストたちが言うとトリートすることができずシャレにならないので、申し訳ないけどお断りした。お菓子のバリエーションが無くなったころ、グリムは部屋でお菓子を堪能し始めた。
 もうそろそろ、夜の9時になる。アズールは運営委員の仕事が忙しいようで、まだ来られない。彼に渡す予定のお菓子はきちんと梱包して、すぐに渡せるように準備してある。予定が空いたらきて欲しいと伝えてあるし、もし無理ならスマホに連絡が来るはずだ。また時計を見てしまった。1分も経っていなかった。
 ピロンと音が鳴り慌てスマホを見た。『遅くなってしまいましたが、今終わりました。これから伺ってもいいでしょうか』とアズールからメッセージが届いた。『もちろんです!待ってます』と送ると同時に既読がついた。それを見るや否やグリムに、眠くなったら先に寝ててと叫びながら玄関に走った。

「トリックオアトリート!」
「まあ、そんな事だろうと思っていました」
「トリックオアトリートですよ、アズール先輩」
「ハッピーハロウィーン、ナマエさん」
「いたずらしようと思ってたんですけど、残念です」

 冗談を言いつつアズールからお菓子の包みを受け取ると寮へ招き入れた。談話室に行く間に受け取った包みをよく見ると、『ハロウィーンウィーク』で観光客に配っていた物と同じだった。ショックを受けつつ問いかけると準備する時間が無かったそうだ。催しの後処理でこんな時間になるくらいだから、本当に時間が無かったのだろう。疲れているだろうに私の要求に応えてくれて嬉しくなる。
 談話室のソファに座ってもらい、お疲れな様子の彼にハーブティーを入れた。自分も同じものを飲みながら、アズールの所作を見てしまう。いただきますと言ってから口をつける所とか、水面を見る伏し目がちの目とか、ちょんっとカップに着く乾燥を知らない唇とか、カップにかけてる指とかもう全部が素敵だなぁと見惚れていた。

「そんなに見つめても、僕はあの合言葉は言いませんから」
「えっ…」
「てっきり、そのつもりで呼んだのかと思ってましたが…違いますか?」
「違いません」

 優雅にハーブティーを飲みながら涼しい顔で「言わない」と言われてしまった。別に言われなくても、お疲れ様ですと差し入れのように渡してしまってもいいのだけれど、せっかくのハロウィーンなのだから言われたい。もっと欲を言ってしまうと、あのガオーのポーズをして欲しい。それぞれの会場でガオーと観光客に向けてやっている運営委員を見て、アズールのガオーも絶対にかわいいと思ったのだ。けれど、運悪くアズールのガオーだけ見れていない。見たい。されたい。
 アズールと一緒にちょびちょびとハーブティーを口に運びながら顔色を窺っていると、やっぱり疲れているみたいだった。リラックス出来る様にハーブティーを入れてもてなしてはみたけれど、やっぱり寮に帰って早く休んでもらった方がいいのかもしれない。

「アズール先輩、今日はもう遅いですし早く帰って休んだ方がいいです」
「えっ」
「疲れた顔してますよ。あの、お菓子を作ったので食べてください。焼き菓子なので、明日以降でも食べられます」
「それは、」
「大丈夫です!使った材料の一個あたりの分量を計算したメモが入ってます。えと、カロリーはちょっと分からなかったので、申し訳ないんですが計算していただくようになるんですけど」
「ナマエさん!」
「はい!!」

 力強く呼ばれた名前に驚いてアズールの顔を見ると、怖いくらい真剣な顔をしていて自分の顔が青褪めるのを感じた。そこで初めて独り善がりだったと気付き、後悔した。自分がアズールのガオーが見たいなんて理由でお菓子を作り、それを望んでもいない相手に渡そうなんてかなり自分勝手な行動だ。一個あたりの分量メモなんて、食べて欲しいからってだけで用意したものだ。相手のことなんか一つも考えていなかった。好きな人なのに、恋人なのに、思いやりのかけらもない自分が恥ずかしい。
 申し訳なさからアズールの顔が見れず顔を伏せた。視界に入る数々の焼き菓子が入った紙袋が力なく下がる。これは、もう自分で食べよう。バレンタインデーに告白するつもりで用意したチョコを結局渡せないまま、自分で食べた過去を思い出す。とても、惨めな気持ちになった。

「trick but treat」
「……?」
「trick but treatです。お菓子ですよナマエさん」
「えっ、えっと、はっぴーはろうぃん…?」
「なんで疑問系なんですか」

 アズールの聞き慣れない言い方に戸惑いながらも紙袋を手渡した。受け取る時のつい、こぼれたみたいなアズールの笑い方にキュンとする。彼の事を考えているようで全く考えてなかった自分勝手な私のことを許してくれるのだろうか。慈悲の精神ってすごい。と呆けながらアズールが包みを解いていくのを見ていた。
 包みからアズールが取り出したのはクッキーだった。ココアとバニラのアイスボックスクッキーは、大量生産するのに型抜きするよりも楽だったなとぼんやり見ていたら唇に触れた。口を開けてくださいと言われて素直に開けるとクッキーが差し込まれる。あーんしてくれるなんて信じられなかったけれど、やっぱり自分では食べたくないんだなとがっかりした。アズールが離したクッキーを摘もうとした瞬間、咥えただけで噛んでないクッキーの向こう側がサクッと割れた。アズールの美しいかんばせが一瞬だけ至近距離にあった。

「ふふっtrick but treatをご存知ないようですね、ナマエさん」
「とり、え?」
「trick but treat…意味は"お菓子をくれても悪戯するぞ"です」
「あ、い、いたずら…?」
「あなたのおかげで、良い顔が見られました。それでは夜も遅いですし、せっかくお気遣いいただいたので今日はもう帰ります。
おやすみなさい、ナマエさん」
「あ、おっおやすみなさい。アズール先輩っ」

 スタスタと談話室を出て行くアズールを惚けたまま見送り、完全に姿が見えなくなったところで気が抜けソファに崩れた。アズールがポッキーゲームのように反対側を食べるなんて微塵も考えたことがなかった。行儀が悪い食べ方だから、絶対しないと思っていただけに不意打ちをくらった。
 それより、意味を説明する時にガオーポーズをしてくれたのだ。不敵な笑みを浮かべたアズールがガオーと自分に向けてやってくれたのだ。ガオーポーズ自体が可愛いので絶対にかわいくなると思っていただけに、期待を裏切るようにカッコ良かった。
 齧られたクッキーを眺めながら胸がドキドキと高鳴っているのを感じる。もう、何に対するドキドキなのか分からなかった。けれど、アズールも今ごろ自分と同じように心臓をバクバクさせているのかと思うと嬉しくなる。帰る直前、羞恥心が勝ったのか色白な彼の頬がほんのり色づいていたのだ。そういうところも好きだなあなんて思いながら、クッキーを口に運ぶ。とても甘くて、美味しかった。


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