最近銀座のカフェーで働く女給が忽然と姿を消すという噂を耳にした。もしや鬼が現れたのだろうかと調査をすることになり、目についたカフェーに入る。
日が暮れ始める頃に入った店内は賑わっており男女の楽しげな声で溢れていた。
情報収集のために入店したが、沢山の声と音に満ちている店内で必要な声を逃さず聴くのは骨を折りそうだなと踵を返そうとした。
「いらっしゃいませ。お席にご案内致します」
「はい」
美人だ。食い気味に返事をしてしまった。しかし美人が目の前にいるのだ断れるはずがない。
女給の明るい髪色は室内の温かい照明の下でも輝いて見えるし、女らしい小柄な体躯は自然と上目遣いになる。最高だった。
慎ましい着物を覆うのは割烹着ではなく、ひらりとした白いエプロンに胸がそわそわする。さらに俺を案内する女の後ろ姿は楚々としており大変眼福である。
「こちらのお席をどうぞ利用くださいまし」
「ありがとう」
美人の微笑みに頬が緩むのを抑えられない。絶対に変な顔になっている。
俺の顔は気持ち悪くなってるだろうに柔らかな微笑を崩さない女給に、胸の奥がくにゃくにゃする。にやけてしまう。
いやあ〜此処は最高の空間だな、と思いながら注文を聞いて去る女給の華奢な後ろ姿を目で追った。
気持ちがなかなか仕事に切り替わらないので、自分の頬を抓りながら仕事の気持ちをずるずる引き摺り出した。
もう少し幸せな気持ちに浸っていたい。
店内の声を聞いた限り、事件に関わりのありそうな事を話している人は居なかった。
注文した珈琲を飲んだら店を出て、街を虱潰しに歩いて調査することになる。
今や日も暮れて鬼の活動する時間になってしまった。ああ、嫌だ。店を出たくない気持ちと、早く出たい気持ちが
ここは普通のカフェではなかった。
軽い遊郭かってくらい奥の間仕切りの方から如何わしい声がする。
なんだよこの店。珈琲なんて飲んでられるかよ。女給の肩抱いてんじゃないよ。
よく見たら席に着いているのは男ばかりで女は女給しかいない。
隣のテーブル席に座る男も女給に頬染めて会話をお楽しみ中ですし。っていうか店内何処もそんな男ばかりですし。
あと何か渡してるんだけど金かな。チップっていうやつを渡せば良いのか俺も。
「お待ち遠さま珈琲でございます」
「ありがとう〜」
仕事しなけりゃいけないのにデレデレしてしまう。うう〜ん笑顔が大変可愛らしい。
俺は珈琲を飲んだらすぐに出なきゃいけないんだからな。いくら女給が可愛いからって仕事で来ているんだぞ我妻善逸。
この目の前の愛らしい女給が鬼に襲われないためにも早急に片付けよう。そしたら気兼ねなく会いに来られるじゃないか。
そうと決まればサクッと飲んでしまおう。
「きみ"ぉ、ゲホッゴホッ、なまえ"ッ何て言う、ゲホッ」
「お客様大丈夫ですか」
ああ〜なんて気遣いのできる子なんだろう。俺のことを心配してハンケチで口元を拭ってくれたんだぜ、普通そこまでしないだろ。
恰好つけるために頼んだ好きでもない珈琲は苦いですし、咽せますし。頼んだ俺が招いた事なんだけれど役得だった。
まあ咽せて恰好悪くなったけどさ、可愛い子に口を拭いて貰えだんだぜ。ここは極楽だった。
「今日は急いでるんだ!また来るよ!」
「左様ですか。お待ちしております」
代金をテーブルに置いて席を立つと、女給のエプロンのポケットにチップを入れて颯爽と店を出た。
◇
女給が黄色い羽織を着た青年の後ろ姿を塗り固められた笑顔で見送ると、再びドアベルが鳴り現れたのはいつものお客さんだった。
「おう名前ちゃん丁度良かったわ席に案内してくれるか」
「ふふ、いつもご贔屓にありがとうございます」
日没後の店内は薄暗い。
日中は橙色の照明と窓から差し込む日差しで明るく快活な雰囲気の店内は、夜になると人の汚い欲を隠しているような不健全性を孕んだ空気になる。
事務的に案内する私の後ろ姿を不躾な視線で見ているのは分かっている。
それを承知で奥の席に案内しているのだから、客にしてみれば女が己と情を交わそうと誘っているように見えるのだろう。
実際のところ客とそのような関係になった事は無いし、店内で行為に及んだ者もいない。
「長谷川さんは
「おん、酒も料理も新しいもんは何でも試してみねぇとな」
「西洋に明るいだけでなく捕えたら逃さないんですものね」
「もちろん女もな」
力強い手つきで肩を抱いてくる客に辟易する。
もちろん顔は恥じらったように顔を少し背け俯く。そうすると男は機嫌良さげに相変わらずはにかみ屋だなと言う。
「私が西洋なのは半分だけです。長谷川さんの希望に添えてはいないんですもの」
「そんなこたぁ無い!君の容貌は外人さんそのもんだ」
この客の言う通り私の見た目は日本人とはかけ離れている。父親が西洋の男らしい。
髪の毛は枯れた雑草のように色が薄いし、瞳はしおれた菊の花みたいで小さい時から嫌いだ。
太い筋が入っているような大きめの鼻は可愛さの欠片もない。周りの子は小さい鼻で幼げな可愛さがあって妬ましい。
そんな私の容姿に対する評価はキッチリ二分される。この店の主人と私を訪ねてくる男は好意的だった。商品価値があるからだ。
私を訪ねてくる男の中には罵る者もいるが然して気にしていない。
大抵の男は大人しくしていれば張り合いが無いと興味をなくすのだから。
このお客のように身体をベタベタと触ってくる男も恥じらいながら、上手く
チップを入れたついでに太腿を撫で裾の間から手を差し込もうとしてきても、いやだもうなどと冗談や軽い戯れのような反応をすれば深追いして来ない。
そういう軽い触れ合いを楽しんで客は帰って行く。料理や酒なんて男達にとってはただの口実でしか無い。
「またお待ちしております」
男受けのする微笑みを湛えて男を見送った。夜も月が高くなってくると新しい客が入る事はほとんど無い。
こんな時間に男が求めるのは酒か女で、そのどちらも求めるなら遊郭に行く。
もう客は来ないので名前は二階に上がった。二階には女給が寝泊りする部屋がある。大体の女給は二階で寝泊まりしている。
そういえば、今日は私と似たような髪色で顔立ちは日本人の男が来たのを思い出した。
下心があるのか無いのかよく分からない人だった。
すぐ出て行ってしまうし。キョロキョロ挙動不審だったから不慣れなんだろうなって思った。
私の仕事場も最近までは普通のカフェーだったのに、最近じゃどこも女を売り物にしてる。
普通の珈琲を売りにするだけじゃやっていけないみたい。珈琲より女と戯れたいなんて、男ってそんなのばっかり。
女が売り物になるなんて馬鹿馬鹿しい世の中だし、それを売っている自分が滑稽過ぎて笑えない。
男なんて結局、何歳になっても女を求める生き物だし。今の世の中、そんな男に寄り添わないと生きていけないんだから。
本当、女ってだけで損してる。
でも男みたいな馬鹿にはなりたくないな。そういう私も馬鹿なんだけれど。