カフェでバイトをしていた経験を活かし、学園生活を豊かにするためにモストロでバイトを始めて一月が経った。
働き始めた頃はモストロという環境に不慣れで、ちょっとしたミスをしてしまった日には「さすが"経験あり"の方は違いますね」と、煽られたこともある。
それが今ではキッチンで仕込みを任されるまでに成長した。こうなったのは三日前からだから未だ勉強中には変わりはない。
今日は、ジェイドさん指導の元フルーツのカットの仕方を学んでいた。
「次はフルーツサンドを切ってみましょうか」
「はい」
耳を切り落とした正方形の食パンにホイップクリームを塗る。フルーツは斜めに四等分した時に断面が見えるよう並べ、クリームを塗ったパンを軽く乗せる。と、ここまでは問題なくできた。
「とてもソフトなパンを使用していますので押し付けてはいけませんよ」
緊張した指で跡をつけてしまった。そんなに力を入れたつもりはなかったのに、こんな柔らかい物を一体どうすればいいのか。
とりあえず手で触れずに包丁のみパンに触れさせ、滑らせるように前後に動かしてみた。
「ああ、いけません。ボロボロになってしまいます」
「ぁ……」
包丁を握る手をジェイドさんの手が包んだ。そのまま握った手が滑らかにパンとフルーツを切って行くけれど、私の頭と心臓と身体中の全部がそれどころじゃない。何この状況。
ジェイドさんの左手は私の体の左から伸びてパンを支えてるし、右手は包丁を私の手ごとしっかりと力強く握ってる。そのせいで背中にぴったりとジェイドさんがくっついているんだと、思う。
緊張のせいで五感がバグって何にも感じないけれど、自分の体温が上がって行くのだけは分かった。
「あの、ナマエさん……僕の話は聞いていますか?」
「ひゃぁい! いっいいえ! わかりません! なにも!」
無言のため息が頭の上に当たった気がして背筋がぞくぞくした。自分ばかりが意識しているということに恥ずかしさが増す。こんな密着するほど近くに立たれたら頭に何も入ってこないし、手の甲ばかり敏感になって握ってる包丁の感覚もわからない。
ジェイドさんに呆れられないように、ちゃんと話を聞きたいけれど、背中に押しつけられる体から服を着てるはずなのに体温を感じる。だんだん体が熱ってきた……恥ずかしい。
「ナマエさん……」
「あの、ジェイドさん。体が、その……少し離れてくれませんか?」
「これは、失礼しました」
手が離れ、温もりが背中から離れて行く。熱が一気に冷める感覚に寂しいなんて思ってしまった。男子に慣れてないせいで、おかしくなってるのかもしれない。
ジェイドさんは私の手際が悪くて見ていられなかっただけなのに、勝手に意識して恥ずかしくなるなんて、私ったら本当にお馬鹿だ。
「ジェイドさん。調理台の高さも合ってませんし、キッチンを担当するのはやめておいた方がいいかもしれません」
「そうですか……。何かあった際、一通り覚えていただけていたら助かったのですが、仕方ありませんね」
困ったように笑いながら胸元に手をやるジェイドさん。心底残念そうな姿に不出来な自分が情けなくなった。「ホールの仕事はこれまで以上に頑張りますから」と、何の励ましにもならない事を言う。
あ、これまで以上なんて言わなければよかったかもしれない。
「それでは、次はドリンクの作り方を覚えていただきましょうか」
シェイカーを華麗に振る姿を思い出し、ひえぇぇ……なんて情けない言葉をなんとか飲み込む。「が、頑張ります」と尻込みする私にジェイドさんは「明日も一緒に頑張りましょうね」と、いつものスマイルで応えた。
明日の事を考え、さっきのジェイドさんとの距離を思い出してしまい顔が熱くなってくる。どうか、明日は今日みたいなことは起きませんように。