人生に潤いを


※現パロ風味
※社会人



 就職して何年経っただろうか。右も左も分からない土地で新入社員として働き始めた私も今では後輩に指導する立場になった。責任と共に残業なんてものも増えてきて、毎日ではなくとも帰宅が11時を過ぎるなんて日も数回あった。そんな責任と業務にもみくちゃにされた一日をリセットするのにお風呂は欠かせない。完全なリセットには当然ならないけど癒しがなければやってられない。
 今日も帰宅して真っ先に向かうのはバスルーム。仕事の疲れとストレスを汚れと一緒に全て洗い流す。それから、帰宅前に冷房で冷やしておいた部屋で冷たいしゅわしゅわを飲むのだ。もちろん大人にしか飲めないしゅわしゅわを。そんな気分でリビングの戸を開けた私は愕然とし混乱する頭で引き出しにしまっていたリモコンを取りエアコンに向かって冷房ボタンを押した。もう一度押した。電池がないのかなと思って、電池をぐるぐる弄ってからまた押す。何度押しても反応しない。

「壊れた…え、嘘でしょ…」

 現実逃避してしまいたかったが、こんな暑さの中にいるわけにもいかず窓を開け換気扇を回し卓上の扇風機の前でSNSに衝撃的体験を投稿した。まず他にやる事あるだろって自分でも思うが気持ちが旬なうちにどこかに感情を吐き出してしまいたくなったのだ。
 扇風機の前で項垂れながら"故障かなと思ったら"をチェックしネットもチェックした結果、修理しかないという事実と電話受付時間の終了という絶望を得た。洗い流したはずの汗がこめかみを伝い首筋へ流れていくのを感じながら、衝撃的から絶望的に変わった事をSNSに投稿した。友人からコメントやいいねが付いて行くのを流し見て、冷凍庫からアイスノンを出し氷を山盛りにした麦茶を一気飲みして扇風機の前に倒れ込んだ。
 LEDすら暑さを助長する物に感じられて部屋の明かりを切った。真っ暗な部屋に入ってくる何の虫か知らない虫の音や扇風機の回る音、隣の家の室外機の音まで聞こえ体感温度が上がる。室外機の音が耳障りで恨めしく、涼しくなる音楽でもとイヤホンで風鈴とか清流のせせらぎみたいなヒーリング音楽を聴きながら目を閉じた。

 相当疲れていたんだと思う。来訪者を告げる音が耳に届いて眠りから覚めた。さっきよりいくらか暑さがマシになった気がするけれど、どれくらい寝ていたのだろうか。つけっぱなしになっていたスマホには『23:19』と表示されていて、日付が変わるほど寝ていなかったことに瞼が重くなる。
 再び玄関の呼び鈴が鳴り疑問と共に不信感と恐怖が胸をざわつかせた。こんな時間に来る人に心当たりなんてない。もしかしたら最近耳にした、チャイムを鳴らして住人が玄関に向かっている間にもう一人が窓から侵入するっていう犯罪かもしれない。体感温度が二度くらい下がった心地で急いで窓を閉めて施錠し、インターホンの前に立つ。
 喉がカラカラに乾いていくのを感じながらインターホンに映る人物を確認しようとボタンに指を置いた。再び鳴るチャイム。そして暗闇の中で画面を光らせながらスマホが電話の着信を告げた。発信者の名前に縋るような思いで通話をタップし、震える声で捲し立てた。

「たっ助けてくださいフロイドさんッ、いまっ誰かがチャイム鳴らしてて、」
「それオレだけど」
「へ…」
「どーも、フロイドデリバリーサービスでーす」

 恐る恐るインターホンの画面を見ればフロイドさんがこちらに向かって手を振っていて、スマホから開けてと言う声が聞こえ慌てて玄関扉を開けた。眠そうな目をしたフロイドさんが立っていて、コンビニで買ったらしい袋がシャリっと音を立てた。

「クーラー無しで熱帯夜を過ごす事になったカワイソーなナマエちゃんにお届け物でぇす」
「ありがとう…ございます」

 掲げられた袋を受け取ろうと手を出せば「いーから中入れて」と言って、私の返事を待ってからお行儀良く玄関に上がってきた。来客用のスリッパなんて置いてないからそのまま上がってもらったところで、自分が寝巻きな上にスッピンなのを思い出し居た堪れなくなる。なかなか出ないから熱中症で倒れてるのかと思ったと心配するフロイドさんは全く気にしてなさそうで、それはそれで少し嫌だった。
 部屋に上げるのは初めてではないから、ぼんやりしている私の代わりに窓を開けてくれた。1Kの安アパートには窓が一つしかない。空気の抜け道は窓から換気扇へのみで暑い空気がなかなか抜けない。フロイドさんも暑そうにシャツの首元をはたはたと動かしていた。
 フロイドさんから手渡されたスポドリがあまりにも気持ち良くて、頬に当てたり首筋に当てたりする私に「早く飲みな」と笑い混じりにフロイドさんは言った。そういえば自分じゃどうにもならないような時のフロイドさんは特別優しいんだよなぁとしみじみ思う。
 この安アパートに住むことになった時も大家さんと何か取引でもしたのか、私の部屋にだけテレビ付きのインターホンを設置してくれた。そのおかげで、今まで防犯の面で何事もなく来られたのかなぁと思うと感謝しかない。

「ありがとうございます、フロイドさん」
「ん、もういいの?」
「はい。フロイドさんのおかげです」
「それじゃあ必要なもん纏めて早く出るよ。もう暑過ぎてオレ倒れそう」
「えっ、そこまでしてもらわなくても…何も返せないので」
「は、何言ってんの?そんなこと言ってられる状況じゃねーだろ」
「スポドリあれば一晩くらいなんとかなりますよ」
「ナマエちゃん何年生きてんの?熱中症甘く見過ぎ」

 荷物ないなら行くよと玄関に向かうフロイドさんに、慌てて着替えだけでもさせて欲しいとお願いした。汗かいてる下着と服を着替えて、汗拭きシートで全身を拭いた。急がないと外で待ってるフロイドさんが入ってきてしまうと、遅刻しそうな朝支度のように身支度を整えた。
 どうにか間に合った私を見たフロイドさんの顔が少し赤い。本当にフロイドさんが倒れてしまうと思って咄嗟に、買ってきてくれたもう一本のスポドリを渡せばありがとうとごくごく飲んでくれた。上下する喉に視線が奪われてしまい、思い出したように持っていた自分のスポドリを流し込んだ。
 シャチみたいな艶のある黒い車に乗り込んでアパートを後にする。さっきまで走っていた車はエンジンがかかる前でも私の部屋より遥かに涼しくて、助手席でうっかり目を瞑ってしまいそうになる。何度か乗せてもらったことのある車は社用車や友人の車と比べるのも申し訳なくなるくらいに座り心地がいい。

「ところで、どこに向かってるんですか?」
「オレの部屋」
「…それはちょっと」
「途中下車はできませーん」
「前にも言いましたけど、」
「わかってるよ」

 赤信号にゆっくり止まると、フロイドさんは私を見てもう一度「わかってるから」と言った。街灯程度の明るさじゃフロイドさんの表情がよく見えなかったけれど、たぶん、優しい顔で笑っていたと思う。前に私の気持ちを伝えた時も優しいような顔で笑ってた。
 どんな気持ちだったのかは分からないけれど、大学進学で実家を出て一人で生活する事になって部屋の片付けをしていた時に見た親の顔と、雰囲気が近かった。まあフロイドさんは親でもなんでもないから全然違うのかもしれないけど、フロイドさんの気持ちが変わっていなければ同じ顔をしていたんじゃないかと思う。

「好きに寛いでて〜」
「はい…」

 フロイドさんはスポドリが入った袋と私の荷物を持ってどこかへ行ってしまった。地下駐車場のエレベーターからエントランスのエレベーターに乗り換え、エレベーターが止まった先は玄関のような扉が二つある空間だった。マンションのワンフロアを改造して住んでるとか次元が違いすぎる。
 好きにするよう言われても、ソファだってたぶん特注で座面が広いしL字に長いからどこに座ろうか迷ってしまう。一番端に座ると柔らかいのに体があまり沈まなくて、かなり好みの座り心地に心が弾んだ。
 前に一度だけ来たことがある。その時にはなかったクッションやインテリアが増えていて、いわゆる生活感というものが出ている。広すぎるリビングをぼんやり見ながら、フロイドさんがどんな気持ちで私を部屋に連れてきたのかを考えると気が重くなった。結局フロイドさんを頼っている事実に、つけこまれてしまうかもしれない。

「ねぇナマエちゃん、もっかい風呂入る?それとももう寝る?」
「あーえっと、今はあまり眠くないです」
「…そ」

 スリッパを脱いで膝を抱えて座る私に「置物みたいでおもしれ」と笑ったフロイドさんは、一人分の間を空けて隣に座った。足の長いフロイドさんにはこのくらい座面が広い方が脚が楽なのかもしれないなと、ローテーブルとソファの間に投げ出された脚を見て思った。
 隣から視線を感じて見上げればフロイドさんが私を見ていて、目が合うと、とろっと目尻が下がってゆっくり口が開かれた。優しく呟かれた言葉は予想していた通りで、私はなんとも返答できずにフロイドさんから視線を逸らした。
 私が高校を卒業する時も、大学を卒業する時にも同じことを言われた。その後もフロイドさんの誘いを何度か断っていて、その度にフロイドさんはあっさり引いていた。その場のノリとか気分で言ってるんだなと、断ったくせに酷く落胆した。
 そしてまた、フロイドさんから一緒に暮らそうと誘われてしまった。今もきっとそういう気分になっただけなんだろうなと思うと頷けない。黙り込んだ私の手をフロイドさんが優しく握った。少し詰められた距離に緊張する。フロイドさんと私の体温が10cmの空間でぶつかり合って私の体を少しずつ熱くしていく。

「フロイドさんは、どうして私を誘ってくれるんですか」

 理由を聞けば、また断れると思った。フロイドさんに頼ってしまいたくなる甘えたな自分を思いっきり嘲って、僅か1%の期待を0%に近付けられる。そんな思いでした質問にフロイドさんは残酷な答えを返した。

「そんなのナマエちゃんが好きだからに決まってんじゃん」

 当然のように、穏やかな顔でそう言ったフロイドさんにきゅっと強めに手が握られると、胸がきゅっと締め付けられた。好き、なんて便利な言葉だろうか。私はフロイドさんの気まぐれな好きに振り回されたくない。私はずっとフロイドさんのことが好きなんだ。

 見かけたら互いに挨拶して、廊下ですれ違えばお喋りして、部活終りに会えば一緒に帰った。勉強に困ってたら一緒に遊びに行く代わりに勉強を教えてもらって、自転車のタイヤがパンクした時はファストフードを奢る代わりに自転車屋まで運んでくれた。
 先輩だけど友人のような関係。かといってベッタリしてない距離感が私には心地よかった。遊びに出かけた時にさり気無く握られた手に心臓を掴まれたみたいに胸がドキドキしたけれど、その時は恋だとは思えなかった。
 大学生になってお酒を飲みすぎてしまい、偶然通りかかったフロイドさんに支えられながら帰宅した日、介抱してくれるフロイドさんをやっぱり好きだなと思った瞬間に恋心を抱いていたと自覚した。自覚したところで今までの態度が変わることはなかった。心地良すぎるフロイドさんとの距離感に、何度もされるお誘いを了承したせいで関係が崩れてしまうのが怖かった。

「フロイドさんのお誘いは気分的なものだと思ってました」

 本当に好きなら、私に断られて残念がったり食い下がったりするものじゃないんだろうか。「そっか」で済む程度の好きは受け入れられない。縋り付いて欲しいわけじゃない。お遊びならば私以外でして欲しいというか、私で遊ばないで欲しい。

「最初はね、気分的なひらめきで誘った。その次はルームシェアってのがしてみたかったから。その次からは…本気」
「本気な人は、誘いを断られて平然としてられないでしょ」
「全然平気じゃねーよ。オレね、ナマエちゃんから一緒に住みたいって言わせる方法いっぱい考えたんだよね」

 先輩が口にした方法の一例が生々しくて総毛立った。それらが実行されていたら一人で住むどころか一人で外出するのも一人で家にいるのも怖くなり、フロイドさんにベッタリ頼りきりになっていたかもしれない。実行に移さなかったフロイドさんの気紛れに感謝した。

「オレ、自由に好きなことやって生活してるナマエちゃん見てる方が好きなんだ」

 フロイドさんはそう言って、へらっと笑う。私の心臓がまたきゅっと締め付けられた。私が束縛されたりベッタリした関係が苦手だとなんとなく気付いていたのかもしれないけれど、それよりもフロイドさんがちゃんと私を見ていてくれたことが嬉しい。

「フロイドさんがそこまで私のことを考えてくれてて、嬉しいです」
「ナマエちゃんはオレのことどう思ってんの?」

 学生時代からずっとフロイドさんを見てきた。初めは気紛れで自分勝手で周囲の人を困らせる天才で、高いところから見下ろされるのが少し怖くて凄まれると迫力があって、何してたかは知らないけれど壁に足ドンしてる所を見た時は恐怖でしばらく顔が見れなかった。
 酷い印象が好転し始めたのは、放課後に近道として体育館の側を通ったとき真剣な表情でバスケの練習をしてる姿を見てからだ。不機嫌そうに舌打ちしながら、でも一人黙々とボールを操る姿から目が離せずボールをつく度に響く音に心臓まで震えてた。
 自主練する真剣な姿が頭を離れず、フロイドさんの登場に大袈裟に驚いてしまって笑われた時、その笑顔の可愛さに目を奪われた。それから表情豊かなフロイドさんを見てるのが楽しくなっていった。たぶん、フロイドさんが自由に自分の人生を楽しもうとしているところに惹かれたのかもしれない。

「ずっとフロイドさんだけが好きでした」
「あはっ、知ってる。今のは確認…ねえ、そろそろナマエちゃんの人生にオレって存在も仲間に入れて?そうしたら、オレの人生ももっと楽しくなるしナマエちゃんの人生ももっと鮮やかになるよ」
「二人で一緒に楽しめたら素敵ですね」
「楽しめたらじゃなくて、楽しもうって言ってんの!」

 眉根を寄せて膨れっ面をするフロイドさんは少し可愛い。お互いベッタリした関係は苦手だというのに二人で一緒に人生を楽しもうなんて、おかしな話だなと思う。けれど、パーソナルスペースが同じくらいのフロイドさんとなら一緒に楽しむってのも出来るような気がする。
 恋人同士になるってことでいいんだろうかと口元が緩むのを感じながらフロイドさんを見上げていると、ゆっくり解けるように表情が和らいでいった。本当に表情が豊かで素敵な人。

「ナマエちゃんの自由はこれからも尊重してあげる。そのかわりナマエちゃんにはもっとオレのこと意識してもらうから。
それからナマエちゃんが疲れたらいっぱいお世話してあげるし、オレが疲れた時はナマエちゃんに癒してもらいたい。
困った時は一緒に悩んで解決して、そうやってオレとナマエちゃんの世界を作っていきたいです」
「なんか、プロポーズみたいですね」
「そうだよ。プロポーズしてんの。…指輪はねーけど」
「私たちまだ付き合ってないですよ」
「恋人の付き合いとか必要?婚約してからいっぱいいちゃいちゃすればよくね?」

 にまにま笑うフロイドさんを見ていたら段階を踏む必要はないなと、ただ楽しくなりそうという事で頭が満たされて自然と笑みが溢れる。「よろしくお願いします」と両手を包んでいる大きな手をきゅっと握り返すと、さらに笑みを深くしたフロイドさんの左手が私の背中に回された。急に近くなった距離に跳ねた心臓は、体が持ち上がったことで速くなる。
 ぐわんと体が持ち上がり咄嗟にフロイドさんの胸へ体を寄せる。横抱きにされた体は少し不安定で、フロイドさんの腕の中に大人しく収まることにした。ぷらぷらと無防備な脚を揺らしながらフロイドさんを見上げれば鼻歌でも歌いそうな表情をしていて、私も嬉しくなった。
 着いたのはやっぱり寝室だった。そっと降ろされたベッドは寝心地が良さそうだと座った感触だけで分かる。ダブルのベッドにまさかと思っていれば、フロイドさんもベッドに上がってきて私は慌てた。

「い、一緒に寝るんですか」
「ベッド一つしかねぇもん。あ、ソファで寝るのはやめといた方がいいよ体痛めるから」
「婚約初日に同衾はどうかなと…」
「何かされるって考えてんの?ナマエちゃんオレがそんな理性のない奴だって思ってるわけ?」
「えっと、割と…思ってますね」
「あはっ間違いじゃねーけど、ナマエちゃんに関しては我慢強いよ」

 強行手段を取らずに待っていてくれたのを考えると確かに我慢強いというか、私のことを考えてくれているんだなと思える。うっとりと目を細めたフロイドさんは、にじり寄ると私の頬を包んだ。真っ直ぐ注がれる視線はどこか熱を孕んでて私は何か言わなければ、このまま唇が触れてしまうかもしれないと口元にぎゅっと力が入った。

「んなに身構えなくたってナマエちゃんの嫌がることは絶対しねーよ」
「……一緒に住みたいって言わせようとしてたくせに?」
「ふーん、そういうこと言っちゃうんだ?あーあ、オレずーっと我慢してきたのになーご褒美くらい欲しーなー」

 フロイドさんはわざとらしくガッカリしましたと主張する。めちゃくちゃ背が高いくせに下から見上げるような表情はかわいくて、甘え上手なフロイドさんを前になんでも許してしまいそうになる。

「何が望みですか」
「目の前にあるもんちょーだい」

 フロイドさんはそう言って顔を近づけると私の唇をちろっと舐め、ソフトなキスを繰り返した。唇の感触を味わうようなキスに胸の辺りからずくずくした熱が持ち上がってくるようで、手のひらをフロイドさんの胸に当て押し返すでもなくそっと密着させた。
 ふっと離れていったフロイドさんの顔がいつもと違って真剣というか真面目というか、私を真っ直ぐに射抜くような強い視線に頬が熱くなった。このまま見つめ続けていたら自然と先に進んでしまいそうで、少しだけ怖くなってそっと視線を逸らした。

「これって、オレだけのご褒美じゃなかったかもね」

 吐かれた言葉と湿った熱が耳をくすぐったくなる。フロイドさんは満足そうに笑うと「寝よっか」と言ってベッドに横になった。ポンポンとベッドを叩くフロイドさんに促されるまま横になると、いつも高い位置にあるフロイドさんの顔が同じ高さにあった。気恥ずかしくて背中を向ける私の背中に、フロイドさんが抱きついてきた。

「オレの腕の中にナマエちゃんがいるってスゲー幸せ」
「私も、とっても幸せです」

 そのまま、明日アパートを解約する話や他に必要な物を「あー」とか「うーん」とか考えながら話しているうちに、気付いたら寝ていた。朝起きると後ろにいたフロイドさんが目の前にいて、胸に寄り添うように寝ていたことが少し恥ずかしい。
 もぞもぞと体勢を変えているうちにフロイドさんも目を覚まして「おはよ」なんて、ほとんど空いてない目で言うから一気に幸せな気持ちで体が満たされていく。まだ起きたくない様子のフロイドさんに抱きしめられるまま、幸せに浸っている間に陽が高くなってしまい暑さから体を離した。

「はい、ミネラルウォーター。飲むでしょ?」
「ありがとうございます。あ…昨日のフロイドデリバリーも素晴らしいサービスでした」
「え、あれ?もうやんないよ」
「別に催促したわけじゃ…」
「そうじゃなくて、オレたちもう一緒に住むんだからさ」

 まだ眠そうな目がいたずらっ子のように細められて、水で湿った唇が私のまだ乾燥している唇に触れた。フロイドさんは掬うように取った左手を私の視界に入れると「一番必要なもん、買わなきゃね」と薬指を撫でて笑った。


idea by :「水声」August123 ウォーターサマーデリバリー


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