おしゃれな足枷を


 私とジェイドくんとの間には高い壁が聳え立ってる。それは身長差。友人としての距離ならば30cm以上背が離れていても背が高くて羨ましいなくらいにしか思わないけど、恋人として隣を歩くとなると別だ。隣に立つ彼を見ようとすると、ちょっと離れて見上げなければ顔がよく見えないし、その"ちょっと離れる"という行為がなんとなく腑に落ちない。
 何かの度にジェイドくんを屈ませてしまうのも嫌だし、手を繋ぐと不格好で指を絡ませた繋ぎ方が上手に出来ないのも嫌だ。ずっとくっついて過ごしたいわけでもないけれど、とにかく私は彼との身長差をどうにか出来ないかなと考えていた。

「すみません、待たせてしまいましたか」
「楽しみで早く来過ぎちゃっただけだから」
「いつもは楽しみではないと?」
「準備が遅くてごめんなさい」
「ふふ、冗談ですよ」

 ジェイドくんの言い方が意地悪なだけで、いっつも遅刻したり待ち合わせ時間ギリギリに慌てて着いてるわけじゃない。割と時間通りか少し早目に着くようにしてるけれど、それよりも早くジェイドくんが到着してて結果待たせてるだけ。
 私をからかって愉快そうに笑ったジェイドくんは、おやと私の足元を見た。今日はいつも履かない5cmヒールの靴を履いて来たのに気付いたらしい。たった5cmではあるけれど、普段履かないせいで落ち着かず、早すぎる時間に家を出てしまったのだ。

「どう?似合うでしょ」
「ええ、可愛すぎて驚いてしまいました」
「か、からかってる?」
「褒め言葉でナマエさんに嘘なんか吐きませんよ」

 似合っている自信はないから冗談めかして言ってみただけなのに、ジェイドくんったら目尻が下がった柔らかい顔で微笑むから、少しだけ恥ずかしくて赤面してしまった。
 さっきみたいな意地悪そうな笑い方じゃなくて、見ているこっちが蕩けてしまいそうな程の柔らかい表情をするものだから、心臓の当たりがきゅうっと締まる。
 予定にはなかったけれど、ジェイドぬんの提案で私に合う靴を選びに行くことになった。どうせなら持っていないハイヒールを買ってデートでも履けるように練習しようと考えて、歩き出したジェイドくんに着いて行った。
 けれど、ジェイドくんが入ろうとする店はどこも凝ったデザインの店ばかりで、ディスプレイされている靴は練習というより本番の靴だ。

「ねえ、ヒールの高い靴なんて練習しないと履けないよ」
「練習なんて必要ありませんよ」
「慣れてないからもたもたするし、転ぶかも」
「ふふっ想像するだけで可愛らしいですね」
「ちょっと!馬鹿にしてる?」

 ジェイドくんは本心を言っているのかもしれないけれど、それって私をバカにしてるんじゃないかって思う。こういう意地悪には、少しムッとしてしまう。
 それならぶっつけ本番で美しく履きこなしてやる!と変な火がつき、ジェイドくんがさっき入ろうとしたハイブランドな店に引き返した。
 私が勇ましくて笑っているんだろう。笑い声こそ聞こえなかったけど、すぐ隣に追いついたジェイドくんの機嫌がいいことだけは伝わって、もしかして上手いことジェイドくんに操られてしまったのかもしれない。だとしたら悔しい。

 白を基調とした明るい店内は、広かった。ディスプレイされている靴の配置全てが計算されているようで、入店した途端、一つの芸術に触れたかのような錯覚に軽い目眩を起こした。
 ジェイドくんは気後している私の手を取ってエスコートするように店内を見て歩いた。突然のことに戸惑いながら彼を見上げたけれど、なんてことないように微笑んでいる姿に不安なのを気遣ってくれたのかなと嬉しくなった。

 気付いたら紙袋を提げたジェイドくんと店を出ていた。

「ふふ、次のデートはぜひこの靴を履いてきて欲しいです」
「あ…はい」

 私はどんな靴を購入したのかも覚えていない。ジェイドくんが、私の足の形ならこの靴が良さそうだとかヒールの太さ、高さはこれくらいだと脚がより綺麗に見えるとか言っていたのは思い出せる。
 けれど、ジェイドくんの言葉は、きらびやかなハイヒール達を眺める私の脳内をただ通過するだけだった。彼に勧められるままに試着して、彼とスタッフに流されるまま靴を購入していた。しかも、支払いはジェイドくんがしてくれた。
 呆然とする私に、ジェイドくんは次のデートで必ず履いてきてくれるのならお返しなんて考えなくていいと言って、笑った。全然嫌な笑い方じゃなくて、とっても自然に笑うから私も、うん、なんて素直に頷いてしまった。

 それからジェイドくんの靴(やっぱりハイブランド)を一緒に見て、カフェで楽しくケーキを食べたりした。私が観たいと言っていた映画は今度観ましょうと言って、別れる時に紙袋を手渡され、大人しく受け取る。
 家の前まで送ってくれたジェイドくんを見送りながら、こんなハイブランドな靴をなんでも無い日にプレゼントされてしまったなと今更ながら、申し訳ない気持ちが浮上してきた。
 お返しはいらないと言っていたけれど、やっぱり気持ちは返さないと気持ちが悪くて、お返しを考えるついでに靴を恋人にプレゼントする意味を調べた。

 私は愕然とした。

 "靴を履いて私から離れて"や"束縛を解いて欲しい"などというマイナスな意味ばかり目につく。緊張することもあったし恥ずかしく感じる事もあったけれど、普通に楽しく幸せな時間を過ごした。
 なのに、これは遠回しに別れて欲しいというメッセージなのかという不安が麻痺した頭を過った。スマホを持つ指の感触がない。
 胸のざわつきを感じながらも否定し続ける。また今度と約束までしたのだから、大丈夫だと頭の中で反芻しながら紙袋の中のものを震える手で取り出した。
 光沢感のあるリボンを解き箱の蓋を開けると、眩いばかりのハイヒールが姿を現した。ジェイドくんが選んだ靴は素直に可愛いと思えるもので、少しだけ大人っぽい印象もある靴を見た私の胸からざわざわしたものが、すうっと消えていくのを感じた。

「こんなヒールで逃げろなんて、無理に決まってる」

 15cmはありそうなピンヒールは大人っぽくて、けど可愛らしい雰囲気もあって、ハイヒールを履き慣れてない私がこんなの履いたら生まれたての子鹿みたいになって一歩も進めなさそうだ。
 スマホがメッセージの着信を知らせて確認するとジェイドくんからで、返信をしながら私はスマホを片手にベッドにダイブして天井を仰いだ。

『今度は映画ではなく、僕の故郷に招待させてください』
『そこまで見たいわけじゃないからいいよ』
『ただ、魔法薬の完成が間に合いそうになくて…水の中でも呼吸できる薬なら間に合うのですが』
『私には調合できないからね、ジェイド君にお任せするよ!楽しみにしてるね』
『僕も楽しみです。あ、今日の約束忘れないでくださいね』

 珊瑚の海に行く時は人魚の擬態薬を飲んで行きましょうなんて話していたけれど、間に合わないらしい。少し残念に思うけれど、それはジェイドくんも私の人魚姿を見たいと言っていたから同じ気持ちだろう。
 約束って何だろうかと考えて、ハイヒールが目に入りまさかと思った。次のデートでこれを履いていくってそういうことなのだとしたら、ハイヒールをダメにしてしまいそうという事が恐ろしくて気が引けてしまう。もし履いたら、靴の重さで足から沈んでしまいそう。
 そんな勿体なことをするわけないでしょと、他に何かを約束した事がないか考える。考えていくうちに、そういえばお返しの代わりに履いてきて欲しいという話だったのを思い出した。と、いうことはお返しを用意すれば履かなくていい事にならないだろうか。
 メッセージを受信する音がしてロック画面を見ると、ジェイドくんから追加のメッセージが届いていた。

『今日購入した靴を履いていく以上のお返しはありませんので、どうかお願いしますね』

 なんでもお見通しなのが悔しくて、何か他に手はないだろうかと考えながら下唇を噛み締めてふるふる震えてるクマとウサギとネコの三種類のスタンプを送りつけた。


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