バースデーに誓う


※夢主とは別に女監督生が少しだけ登場します



 秋風が窓を叩くのを聴きながらオンボロ寮の自室で一人寂しく横になっている。といっても頭は痛いしボーッとするしで、寝たり起きたりを繰り返して時間の感覚もよく分からない。今は一体何時なんだろうかと薄暗くなった部屋の中で目を彷徨わせた。
 部屋の中に控えめに明かりが差し込む。不意のことに目が眩んだ。ノックもなく遠慮がちに扉を開く人物は一人しかいない。私は、ゆっくりと体を起こしながら名前を呼んだ。声が掠れてる。

「ナマエちゃん、まだ辛そうだね。新しい冷やすの持ってきたから交換しよう」
「ありがとう…移ったら悪いからそこに置いててくれる?」
「…うん」

 このオンボロな寮の監督生ちゃんは、まさに監督生といった雰囲気の女の子で男子相手にも怯まず、一本芯の通ったところが魅力的だ。男子にはよく可愛げがないなんて言われているけれど、こうして私を心配する姿は健気に見えるし、私を看病する姿は看護師のように頼もしい。
 私はよく頼りないだの、転んだだけで死にそうだの、幸が薄そうだのと言われている。さすがに死にはしないけれど薄幸ではあると、自分でも思う。
 今日だって、昨日まで何ともなかったのに突然熱が出て一日寮で過ごす羽目になった。本当なら授業にも出て、放課後には行きたいところがあったのに。暗い室内にサイドテーブルの灯りが点されて、もう何もできなくなってしまったんだと鼻の奥が苦しくなる。

「どうしたの?」
「あのね、ナマエちゃん」

 なかなか出ていかない監督生ちゃんに心配してくれて嬉しい気持ちもあるけれど、風邪を移したくないからと部屋から出て行ってもらおうとした。

「実は、」
「こんばんは、ナマエさん。体調が優れないと聞きまして心配で来てしまいました」

 控えめに廊下から顔を覗かせたジェイドさんが、ゆっくりと部屋に入ってきた。驚いたのは一瞬で、今日の主役の格好をするジェイドさんの姿に泣きたくなって布団を頭から被った。移したくないというより申し訳なさが勝ってる。どんな顔をすればいいのか分からない。

「以前も風邪を召されてましたが今日は一段と辛そうですね」
「今日は…」
「ごめんね、ナマエちゃん。ジェイドさんが看病したいって言うから止めたんだけど」
「今日はダメです、今日だけは…」

 布団の中から失礼だと思いながらも、帰って欲しいと伝える。いつも移したくないからと看病を断りつつも、流されるまま厚意に甘えてしまっていた。でも、今日だけは絶対に移したくない。
 ジェイドさんと一緒に部屋を出ようとする監督生の声がする。先輩には申し訳ないけれど、後日埋め合わせをさせて欲しい。今日じゃなきゃ意味がないけど、今できる精一杯の準備をダメにしてしまった分を挽回させて欲しい。
 ちゃんと顔を見ながら言わなきゃダメだと布団から顔を覗かせると、監督生の慌てた声と一緒にジェイドさんの顔が目の前に飛び込んできた。

「これなら、少しは安心でしょう?」

 白いサージカルマスクを着けたジェイドさんが私の髪を優しく耳にかけ、触れた。鼻と頬に触れる不織布に胸が苦しくなりながら、僅かでも頭を動かして頷いた。にっこり笑うジェイドさんの目元が優しくて、少しの安堵と申し訳なさでまともに顔を見られない。
 そのうちに監督生は部屋を出て行ってしまうし、薄暗い部屋の中でジェイドさんと二人きりになってしまった。優しく起こしてもらって保冷枕を新しいのに交換してもらう間も、刺激にならないように明かりはサイドテーブルからだけ。
 逆光の中で私の体を気遣って灯りをつけないジェイドさんは今、私のことを考えて、私のためを思って、私だけを見てる。私が今、ジェイドさんに出来ることなんて風邪を移さないようにする事だけなのに、結局は優しさに甘えたくなってしまう。意志が弱くなっているのは風邪のせいだ。

「ジェイドさん…ありがとうございます」
「風邪引きさんなんですから、甘えてればいいんですよ」
「……ごめんなさい」
「ナマエさんの気にする事ではありませんよ。僕がしたいからしている事です」

 ジェイドさんはよくそう言うけれど、私が気に病まないように言ってくれるのかもしれないって、たまに思うことがある。もらってばかりの私が精一杯気持ちを込めてジェイドさんに返したかったのに、どうしてまたもらっているんだろう。
 どうやってジェイドさんに返していけばいいのか分からなくて、居た堪れなくて、布団の中に隠れてしまいたくなる。そうやって布団を引っ張る私を見たジェイドさんは、温まるものをと言ってベッド脇に持ってきた椅子から立ち上がった。

「まって」
「急に起き上がっては、」
「いやだ…どこにも行かないで、ジェイドさん」

 ジェイドさんから貰ってばかりの気持ちを返せないまま、私から離れてどこかへ行ってしまう気がして必死に服の裾を掴んだ。熱のせいでいつもより気持ちが弱くなっているし、頭痛のせいで全然頭を働かせられない。
 急に溢れ出した切なさは、暴走したまま制御なんてできずに口から次々と流れ出した。

「私、ジェイドさんにいつも感謝してて、それなのに何もお返しできてなくて、今日こそは絶対喜んでもらおうと計画してたんですッ、…今日は大好きなジェイドさんのお誕生日なのに、ッなのに、風邪なんか引いて、熱まで出して何にもお祝いできなくて、それで、またジェイドさんに優しくしてもらって…貰ってばかりで情けなくて」
「ナマエさん…」
「ぜったい、絶対にジェイドさんを喜ばせてみせますっ…だから、だから離れていかないでッ」

 言いながら面倒臭い奴だと思った。けれど感情がそれ以上に溢れてしまって、しまいには涙まで流れ出してどうしようもなくなる。ジェイドさんに嫌われたくなくて、呆れられたくなくて、離れていってしまうのが怖いのに面倒臭い子になってしまって息が苦しくなる。
 そっと差し出されたハンカチを受け取らずにいれば、ジェイドさんに頬を流れる涙を優しく抑えられて、感情がさらに肥大化して、顔を背けるという厚意を無碍にするような行動をしてしまった。

「僕は今とても嬉しいですよ、ナマエさん」

 ジェイドさんの言葉の真意を探るように視線を戻せば、私をじっと見つめるジェイドさんがいた。薄暗い中だけれど、いつもと変わらないジェイドさんに熱に浮かされ暴走していた感情が少しずつ凪いでいくようだった。

「あなたからの強い感情の言葉は、今日いただいたどんなプレゼントより嬉しいです。僕はナマエさんが何よりも大切なんです」
「ジェイドさんが、こういう嘘や冗談を言う人じゃないって思ってます。ジェイドさんが喜んでくれたとしても、今まで受け取ってきたジェイドさんからの優しさは言葉だけじゃ返しきれません」
「返さなくて結構です」

 私が今まで少しずつ溜めてきた悩み。ここ数週間どうしたら気持ちを返せるかと頭を悩ませていた事が、バッサリ切られた。

「僕らは利害関係で成り立っているわけじゃないでしょう」

 ジェイドさんは、見返りを求めたり物の貸し借りに厳しい部分が見られるけれど、私が何かを要求されたことは無かった。そうだとしても、そういうことじゃない。私のジェイドさんへの気持ちは利害とは全く関係ない。ただ感謝を伝えたいだけ。

「ナマエさんは人一倍気を遣われますし、何より心が綺麗だ。それなのに頑固で、絶対に譲らない部分もあって…そんなところが魅力なんですよね」
「えっ、あの…ジェイドさん」

 急に私について話し出したジェイドさんに戸惑いと恥ずかしさで熱が上がる。もしかしたら、こうやって褒めて丸め込もうとしてるのかもしれないなんて僅かに思い始めるも、それはすぐに否定された。

「僕がいくら必要ないと申し上げてもナマエさんの気持ちがおさまらないでしょうから…ひとつだけてすがナマエさんからいただきたいものがあります」
「なんですか?」

 ジェイドさんの言葉を今か今かと待った。真っ直ぐ見て来る視線が熱くて視線を逸らせば、ピアスの付いてない方の耳が照明に照らされ暖かく色付いている。戻した視線と視線が合って、時間が止まって、ジェイドさんのマスクが僅かに動いた。

「僕から離れて行かないという誓いが欲しい」

 瞠目する。離れて行ってしまうのではないかと不安になっていたのは私だけで、まさかジェイドさんも私と同じ不安を抱えているかもしれないなんて、思いもしなかった。そんな、私がジェイドさんから離れていくなんてことあり得ないのに。

「誓います」

 マスクの奥でジェイドさんが口角を上げたのが分かった。徐々に近づいて来るジェイドさんに、何をされるんだろうかとじっと見つめる。ふんわりと頭を撫でられ、手のひらが頭の後ろへ降りた瞬間、あ、キスされると分かった。
 まぶたを落とす私の唇に不織布の感触。顔が離れても、潰れたマスクの口元が私の唇をくすぐっている。硬い感触が虚しくて、風邪なんか引かなければ良かったと結局はそういう気持ちになった。

「今のは誓いの予約です」
「予約…?」
「ええ、本番の誓いのキスは貴方が元気になってからにします」

 誓いのキスだなんて結婚式みたい。どうしてキスが離れて行かない誓いになるのかは分からないけれど、ジェイドさんが嬉しそうに目元を和らげるから私の中の不安も少しだけ柔らかくなった。

「まず、貴方の体調が回復しないと始まりませんね。今日はこちらに泊まらせていただきます」
「えっ…寮でパーティがあるんじゃ…」
「そうですよ。それでも僕はこちらを優先しました。理由は言わなくても分かりますよね」

 少しだけショックだった。私が風邪を引いたばかりに、ジェイドさんが自分の誕生日を祝うパーティに出席できなかったなんて、本当に自分を許せない。体は熱いのに胃の辺りが冷えていく。
 ふっと、困ったように笑ったジェイドさんが再び顔を近づけてきて、おでこ同士がこつんと当たった。あ、少しひんやりするかもしれない。

「全く、熱のせいで特別不安にでもなってるんでしょうか…理由なんて、ナマエさんの方が大事だからに決まってるでしょう」
「あ…」
「言わなければ伝わらないこともあると思いますが…この程度の事は言わなくても分かって欲しいものです」

 おでこを離したジェイドさんは、私と顔を向き合わせて、それからおでこにキスをした。

「僕の愛情表現が足りなかったのかもしれませんね…元気になったら覚悟してください」

 目を細めたジェイドさんが私をベッドに寝かせて部屋を出ていくまで、心臓が止まっていたと思う。今になって胸が痛いくらい元気に動き出して、頭がくらくらする。熱も上がったかもしれない。
 これから一晩、ジェイドさんが付きっきりで私を看病してくれるらしいけれど耐えられるだろうか。
 熱が上がったら、またジェイドさんに看病されて一緒に過ごしてくれるんだろうか。いやいや、一緒に過ごすなら元気な時の方がいい。でも元気になったら…か、覚悟しておかなきゃいけなくて。
 そんなことを考えているうちに、私は寝てしまった。



「人魚の"誓いのキス"には特別な意味があるんですよ。貴方は僕から一生離れる事はできません。まあ、離れたいなんて思わせはしませんけどね」


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