臆病者の恋


※女監督生でもトリップした女の子でもどちらでも読めるような作りになってます。
女監督生として読みたい方は名前変換で「小エビ」と入力すればフロ監として読めます。お好きにお楽しみください。










 冷たい風がむき出しの足の隙間を通り抜け石造りの広場を駆け抜ける。主に屋内メインの予定だった。もしこうなることがわかっていれば黒のストッキングを履いてきたのに、ミニ丈のスカートにショート丈のソックスはこの秋空の下で待ち続けるのは少し堪える。あとどのくらいで来るのだろう。そう思いながら今日、何度目か分からない小さなため息が漏れた。

「キミさ〜ここにずーっと立ってるみたいだけど暇してる?」

 落ち切った視界に靴が入り込み体がピクっと反応するも降ってきたのは知らない男の声。顔を上げないまま無視を決め込んでも男はしつこく話しかけてきた。ここから立ち去ってしまいたいけれど、その間に先輩が来て入れ違いになるのだけは絶対に避けたい。私は小さな鞄からスマホを取り出すと友人にメッセージを飛ばし〈いいぜ〉の通知と同時に電話をかけた。

「ごめんね、通知に気付かなくて!」

 これが御伽話なら鼻の先が少し伸びた。ただナンパ男にどこかに行ってもらうため、すぐに返信が返ってきて話を合わせてくれそうな友人にSOSを送っただけだ。学内で声は掛けてこないくせに学外ではナンパしてくる生徒が何人もいて困ってる。
 過去に二度遭遇してから、友人に相談して面倒事一つと引き換えに助けてもらう契約を交わした。契約といっても契約不履行でイソギンチャクが生えるようなものではない。けれど、今のところ仕方ないといった態度で友人は毎回助けに応じてくれている。ありがたい。

「うん、うん、それじゃあまた明日」

 通話を切って、またため息が漏れた。男はしばらくしたら舌打ちと共に何処かに行ったけれど、待ち人は一向に現れない。時間に遅れることはあったけれど、来なかったことは一度もなかった。たった数回分の経験でしかないけれど来なかったことはないのだ。「あ、ごめ〜ん忘れてた」というのも想像し得るけれど、それでも来なかったことはない。今日もきっと、待っていれば来てくれるはず。
 とはいえ、昨日までそうでも今日も同じとは限らない。それでも待つのは、私が先輩のことが好きで学外で待ち合わせをしてデートしたいと思っているからだ。結局待ち合わせの時間も曖昧なままなんだけれど、と握ったままのスマホの画面を見る。もう午後の三時になるのかと思いながら先輩から届いたメッセージをもう一度確認した。
〈ごめん、今日シフト入ってた〉
 すぐに返信したはずの〈何時に終わりますか?〉には変わらず既読は付いていない。行けないと言われていない以上は待ちたいと思った。昼過ぎに待ち合わせ場所に着いてから二時間経過したのをまだそんなもんかと思う自分の諦めの悪さにそろそろ呆れそう。どんなに待つことになっても結局来なかったとしても、自分から約束を反故にする事だけはしたくない。これが私から先輩へのやってはいけない、超えては行けない一線。私の好意で縛っていい先輩の自由なんて本当はないんだから。
 友人に協力感謝のメッセージを送ってからのやり取り。〈まだ来ねーの?〉に〈うん、まだ〉と返した画面。既読がつく前に水滴が付いた。ハッとして上を向けば今度は頬に水滴。次いでおでこに水滴。ポタ、ポタ、ポタと増える雨粒にすうっと指先が冷える気がした。この雨なら多少泣いてもバレなさそう。






 雨が降り出してからどのくらい経っただろう。スマホは壊れるのが不安で鞄にしまったから時間がわからない。ロイヤルソードの人か妙にキラキラした雰囲気の男子が何人か心配そうに傘を差し出してきたけれど全て断った。傘を置いて行こうとしたりせめて雨宿りのできるところへと声をかけてくるから、断り続けるのも面倒で鬱陶しくてイライラしながらしつこいです!と語気強めに言えば雨に打たれた子犬のような顔で去っていくのだから、どういうつもりなのかよく分からない。強情で風変わりな人だと思われようとただ一人、先輩の目から見た私がよく見えていればいい。まあ、こんなずぶ濡れじゃあ今日のために頑張った髪もメイクも服も台無しなんだけれど。
 雲の向こうの太陽が水平線に溶けたんだろう。街灯に灯りがつき遠くの店の窓から漏れる灯りが街を夜の風景に変えた。もう、流石に門限を過ぎたかもしれない。雨が止む気配はなく出歩いてる人も減った。私が勝手に待っていただけなのに来てくれないことを悲しく思うなんて全く身勝手極まりない。……そうか。私は、自分との賭けに負けたのか。
 これは、ある意味で賭けだった。先輩が遅れてでも待ち合わせ場所や約束を守ってくれるなら想い続ける。けれど、もし一度でも来なければこの恋は諦め潔く元の世界へ帰る。そう決めていた。先輩のことだから、すぐに諦めることになると思っていたのに今日まで想い続ける事ができて、なんて幸運なんだろう。それももう諦めて帰らなければならないけれど、それでも好きになった人と一緒に過ごす時間をもらえたことはよかった。そう思うしかない。

「さようなら、フロイド先輩」

 震えた声しか出なかった。バカみたいと自嘲してから帰るための一歩を踏み出す。パシャ。冷たい。びしょ濡れになって冷えた体でも跳ね返る水を冷たいと感じた。ふと耳に雨音とは違う激しく跳ねる水音が響く。それは徐々に大きく、近づき、顔を上げた先に見えたのは持ってた傘を放り投げて駆けてくる先輩の姿。胸が、苦しい。

「ナマエちゃん!!」

 大きな体がぶつかる様に抱きしめて来た。長い腕に絡め取られる体は身じろぎもできず、身長差のせいか強い抱擁に体が持ち上がりやっと爪先で立っている。体が軋むほどなのに嬉しくて胸が苦しくて言葉が出てこなくて困る。先輩に言いたい。いつもみたいに「来てくれてありがとうございます」って笑いたいのに、さっきまで流していた涙が余計に溢れてどうしようもなかった。

「遅くなってごめん」
「来てッぐれて、ありがど、ぐずっ、ございまず」
「……ナマエちゃん」

 みっともなくとも笑えただろうかと心配をしていた唇に柔らかい感触。雨の中、薄目の視界。先輩の顔が近過ぎて見えなくない。なんで私は先輩にキスされてるの。冷えた唇が先輩の体温を感じ熱が顔全体に行き渡り、そっと緩められた体が崩れそうになって慌てて先輩にしがみついた。先輩のジャケットも結構濡れてる。

「なんで……」

 なんでいつも来てくれるのか。なんで今日も走ってまで来てくれたのか。なんでキスしたのか。せっかく決別する気持ちを作り始めたのになんで揺るがせてくるのか。おかげでこれからも先輩がどんなに遅れようと来るかもしれないという希望を捨てられずに、ずっと、いつまでも待ち続けることになってしまう。

「帰るなんて言わないよな」

 心臓が大きく跳ねた。見上げた先輩は傷付いた表情をしていて先輩の髪から滴った雫が見開いていた瞼を打つ。ああ、先輩はデートせずに帰るとかそう言うことではなく元の世界に帰るという意味で言っていると、真剣な眼差しから気付いた。知った方法なんかどうでもよくて先輩が知った上で毎回必ず来てくれていたということがショックだ。私が今まで感じていた不安や寂寥はなんだったのか。私が決めていた帰るか帰らないかの選択肢が先輩にコントロールされていたとは知らず、勝手に一喜一憂してどんなに滑稽だっただろう。

「ねぇ、帰んないよね? ナマエちゃん」
「先輩……」

 私はなんて身勝手な人間なんだろう。いつも先輩が来るか来ないかで今後の進退を決めようとして来なければ自分で決めたことなのに勝手に泣いて、いつだって自分のことばかり。一度でも先輩の気持ちを考えた事はあっただろうか。先輩がこんなすがる様な、私が肯定するのを待つ様な顔をするなんて考えたことはあっただろうか。先輩の気持ちは自分にはないと勝手に決めて先輩の行動に全部委ねるなんて狡いことをしてた。

「ごめんなさいっ」
「えっ……」
「わたしッ、全然っ先輩の気持ち考えてこなくて、先輩は私との約束を忘れる日が来る。そうしたら元の世界に帰るんだって勝手に決めていつも先輩が来てくれるたびに、ホッとしてた……だって、わたし……先輩はもう気付いてると思うけど、私ね……フロイド先輩のことが、ッ」

 その先は先輩の口に吸い込まれた。さっきとは違ってただ塞ぐだけのキス。強張った唇が離れると先輩はちょっと怒った様な顔をしていて唇の感触とは裏腹にやっぱり身勝手な私の言い分なんて聞きたくなかったのだろうか。そうやってまた勝手に決めつけた。なんでも主観で決めつけるのはよくないと思ったのは先輩が私に言った真実。

「オレもね、ナマエちゃんが好き」
「フロイド先輩……」
「ナマエちゃん自身に選んで欲しくて伝えてこなかったけど、大好きなんだ。ねえ、選んでよ。元の世界か、オレか……今決めて。できればナマエちゃんが寒さで喋れなくなる前に」

 困った様に笑う姿が胸を締め付ける。私はずっと先輩の行動に委ねるといって叶わないだろう恋を諦める言い訳にしてきた。でももう、そんなのは必要ない。なんとなく自分の居場所ではないと自分の生きて来た世界ではないという違和感だけで一つも記憶がない元の世界へ帰らなければならないと思っていた。でももう帰らなくていい。大好きな人と一緒に生きていけるのなら、この魔法のある世界で新しい人生を歩むことのなんて素敵なことだろう。

「ずっとズルいことしててごめんなさい。私も、フロイド先輩が好きです」
「よかった。本当に間に合ってよかった」

 抱き寄せられた体がほんのちょっと持ち上がりながらも雨を吸い込んだ服が搾られるのではないかというほど強く抱きしめられる。私も待っていてよかった。早々に諦めずに帰っていたらもう二度と先輩に会えなくなっていた。そもそも先輩が遅れてさえ来なければと思うも細かい理由なんて後から聞けばいいことだ。今はただ、気持ちを通じ合わせることができた喜びを全身で感じたい。

「先輩、もしかして泣いてます?」
「はぁ? オレがこんなんで泣くわけねぇじゃん! 嬉しいんだからさ!」

 先輩を見上げれば雨が頬を伝って泣いている様に見えた。少し鼻詰まったような声に笑みを浮かべながら先輩の頬を伝う筋を指で拭う。少し不貞腐れた様な顔が年下の様に思えて甘やかしてあげたくなるけれど、この人は年上でたった今自分の恋人になったのだと考えると直ぐに愛おしさに変わった。雨粒を避ける様に伏し目になる私の様子が誘っている様に見えたのだろうか、先輩の顔がだんだん近付き雨に濡れ冷え切っているはずの体に温かい血が通いだす。三度目のキスはまた優しく、ここに確かに恋人がいると確認し合う様なそんな少し切なさもあるキスだった。






「ほら! 早く帰ってシャワー浴びるよ! 全く雨に濡れただけですぐに風邪引くのに。こんなバカなことはもうすんなよ!」
「はぁい」

 しっとりする手を繋いで歩き出す私の体がぶるるっと震えたのに気付いた先輩が「しょうがねーなー」って膝の裏を掬って抱き上げるから、慌てて先輩の首元にしがみつく。びっくりしたけれど、寒さに震える体は思った以上に言うことを聞かなくて先輩に体を預けるしかない。お姫様抱っこをリアルに経験するなんて思ってなくて私を抱えてしっかりと歩く先輩に頼もしさを感じ全身が熱を持ったように怠くなった。

「フロイド先輩、大好きです」

 うっとり呟いた私と視線を交わしてくれた先輩は今まで見てきたどの顔より優しくてかっこよくて頼もしかった。体に回した腕に少し力を込めてより体を密着させると微かな体温が伝わってくる。幸せなのに少しだけ涙が出そうになった。本当に大好きです。先輩。






 それで、どうしてフロイド先輩がわざと遅れて来たり連絡がつかなかったりしたのかというと、最初の一回は身から出た錆というかクルーウェル先生の授業でやらかした事で実験に付き合わされていたらしい。やらかしたといっても、どうやら本来の効果とは異なる珍しい反応をする魔法薬を作り上げてしまったかららしいけれど。どういう調合をしたのか思い出すまで帰さん!と躍起になってて面倒だったようだ。
 それから、待ちぼうけくらった私と友人たちとの会話を偶然聞いて気分を害した先輩が私の本気度を測ってやろうと、どのくらい待ってられるのか試していたらしい。本来なら怒るところだけれど、先輩を使って賭けをしていた私にその資格はなかった。それでも「忘れずに来てくれてありがとうございます」と言えば「忘れるわけないだろ。その頃からナマエちゃんのこと好きだったんだから」なんていうものだから、さっさと告白しておけばよかったと安心した今なら思う。

「なぁ、他にやって欲しいこと……ある?」
「手を握っててもらえませんか」
「ん」

 差し出された手を握れば程よく冷たくて熱を出してしまった私の手にはちょうどよく気持ちがいい。雨に一時間も打たれていたようだから熱を出すのはさけられなかった。馬鹿とごめんを同時に受けながら私好みのお粥を作ってもらい手を握ってもらえるだけで全てを水に流してもいいと思えてしまうくらい、先輩が心配そうに見つめてくる眼差しが優しい。
 今日も先輩は急いで待ち合わせ場所に来ようとしていたらしく寮に着いてから自分のスマホを確認すれば〈今どこ?〉のメッセージが入っていた。最初のメッセージの言葉足らずもいいところだけれど、ジェイド先輩とシフト交換したことをすっかり忘れギリギリの時間だったというのも先輩らしい。なんとかアズール先輩と交渉して休憩なしで一時間早く終えることができたらしいけれど、外はいつの間にか雨が降っているしメッセージの返信がこないのも相まって心配になり、傘持参で血相変えて学園を出てきたみたい。
 どうにも熱で頭がボーッとしてしまってどういう反応をしたらいいのか分からずに先輩の話をまるで寝物語のように聞いた。心配してくれたことが嬉しくて体だけじゃなくて胸の奥までぽかぽかと温かくなる。付き合って早々に先輩のこんな献身的な姿が見られるなんて雨に打たれてよかったかも、なんて冗談をこぼせば頭をこつんと優しく触れられ「ばか。あんま心配かけんな」なんて言うから「先輩こそ、心配になるようなことさせないでくださいね」と言い返してみた。

「言ってくれんじゃん」
「ふふふ」
「……ゆっくり寝なよ。ずっと握っててやるから」
「ありがとうございます」
「今更だけど力加減大丈夫? オレ番の手握るのとか初めてで加減わかんないんだけど」
「もうちょっと強くてもいいですよ。このくらい」

 きゅっと掴まれている手にそっと力を込めると先輩がびっくりした顔をして布団に顔を伏せてしまった。何かと思えばくぐもった声で「やってくれんじゃん」と、そっと握り返される。私の気持ちに応えてくれたみたいで嬉しい。まだ付き合いたての初日なのにこんなにいっぱい幸せな事が起きていいのかってくらい、胸がいっぱいいっぱいになることばかり起きてる。熱が上がりそうと思っていれば顔を上げた先輩がおでこに触れるだけのキスをした。あーもう、ダメだ。

「もう、ダメです……フロイド先輩を摂取し過ぎて苦しい」
「は? なにそれ、病人相手にいろいろ我慢して手加減しやって苦しいのはオレの方なんだけど」
「そんなこと言われても……」

 サイドテーブルの灯りだけの部屋の中で先輩の頬が私の熱が移ったみたいに赤く染まってるように見える。もし先輩が私と触れ合ったことでそうなっているのだとしたら嬉しくていつの間にか頭が痛いことも忘れて先輩の色違いの瞳をじっと見つめていた。見つめあって惹かれあって自然と顔が近付いてくる。こんな熱っぽい目で見つめられたら、さらに頭がボーッとしてもっと先輩を感じたくなってしまう。

「ダメ、です」

 触れそうになった唇を手のひらで塞いだ。「なんで」と未だ熱の籠る目で見てくる先輩に流されそうになるも、風邪を感染してしまいたくない。感染ったら今度は私に看病してもらうとか言い出す先輩をなんとか止めたくて必死に言葉を探した。

「へぇ、治ったら覚悟しとけよ。小エビちゃん」

 ちゅっと繋いだ手の甲にキスする先輩からとてつもない色気を感じて頭がくらくらする。「風邪ひいたら先輩といっぱい触れ合えない」なんて言ってしまったのは失敗だったかもしれない。先輩ともっといろいろな事をしたいのは本当だけど、先輩の熱っぽい目に恋人同士の関係を進展させるような行為を連想させられて頭がパンクしそうだ。
 どんどん熱が上がってくる気がして暑くてしょうがない。隣で手を優しく握っててくれる先輩を見ていると早く風邪を治したいな……という気持ちになる。どうか、明日には熱が下がっていますように。


back