後悔は白露へ


ここの審神者は膝丸が好きである。それは本丸内では周知の事実だが、ただ一人気づいていない者がいる。それは当事者である膝丸だ。
鈍感な部分もあるようだが、それ以上に頭が固い。自尊心も高いため、納得できない限り他者の考えを受け入れない。

そんな膝丸が話があると執務室を訪れたのは、太陽が南の空に高々と昇った頃だった。
休憩中だった審神者は、いつも以上に難しい顔をした膝丸の様子に寛いでいた姿勢を正した。

「改まってどうしたの?」
「少し、気になることがあってな」

思いつめた様子の膝丸に、審神者は少し不安になる。何か問題でもあっただろうか、今日の出陣?遠征?それとも日頃の内番に対しての不満?
何を言われるのだろうと不安と緊張で審神者の胸が高鳴る。

「主とよく目が合う気がするんだが...」

ついに膝丸が気持ちに気づいたかと、どきりとした。
主さんがあんなに熱い視線を送ってるのに気づかない膝丸さんって鈍感だよね。と誰かが言っていた。
審神者は膝丸の表情が硬いのが気になった。自分の気持ちが迷惑で想いを告げる前に拒絶されたらどうしよう。と不安になるが、審神者の予想を上回るのがここの膝丸だった。

「兄者が何かしただろうか?」
「...は?」

気の抜けた声が出た。自分と目が合うと言っていたのに、どうして髭切が出てくるのか。膝丸の思考は審神者には理解できなかった。

「とくに何もないけど...」
「そうか。何もないならいいんだ」

膝丸の硬い表情が少し和らいだようで、審神者もわずかに表情が緩む。先ほどまでの妙な緊張感は無くなり、疑問だけが残った。

「君が兄者の事で何か困っていて、俺に視線を投げてくるのだと思ってな」
「...なるほど」
「何か困った事があれば言ってくれ。君の力になろう」
「ありがとう!膝丸」

とんだ勘違いをしていたようだが、膝丸のような甘言を言わない人に言われるのは尚嬉しい。

「目が合うのは気のせいだったのかもしれないな...邪魔してすまなかった」
「休憩中だったし全然大丈夫!」

膝丸が部屋から出て行き、審神者の体から力が抜けた。好きな人を前に少し緊張していたのと、彼はやはり鈍感だったことに落胆した。
目が合うのは気のせいではないし、私が困っているのは膝丸に対して気持ちを持て余していることだ。

しかし審神者自身あまりにも膝丸が鈍感すぎるため、好きすぎてどうにかなりそう。というような感情にならず楽しんでいるところがある。

「髭切が好きなのか?とか、そういう方向の勘違いじゃなくてよかった〜」

髭切の事を聞かれた時、膝丸がそういった勘違いをしたのかと一瞬頭を過っていた審神者の口から安堵のため息がもれた。

「主も大変な刀を好きになっちゃったよね」

加州にお仕事を手伝ってもらいながら雑談する。話題は、だいたい膝丸の事だ。
彼は呆れながらも話を聞いてくれるので、審神者はつい先ほどの事を話していた。

「でもさ、髭切さんを好きって勘違いしたら主はどうするの?」

審神者が膝丸を好きな以上彼を目で追ってしまうのは止めようもない事だ。
今回は追及されなかったが、視線を疑問に思い自分なりの結論を出してしまったら今度こそ審神者の恋は終わるかもしれない。

「ど、どうすればいい?」

最悪の事態を想像してしまい加州を縋るように見るが、彼は呆れるばかり。何もいい案はなく、考えたところで膝丸の言動を予想する事なんて誰もできない。

「応援はしてるからさ」
「ありがとう、加州くん」
「ダメだったら俺が慰めてあげるよ」
「うぅ、加州くん...」

加州の軽口で審神者の心は少し軽くなった。長い間一緒に過ごしてきた安心感がある。
友達のようにとは言い過ぎかもしれないが、審神者は加州の事を信頼している。
その後も加州と他愛ない話をした。

それから数日特に問題なく日々業務をしていた審神者は、確認したいことがあり膝丸を探していた。彼は髭切と馬当番なので厩に行ったが誰もおらず、ぐるぐると探し歩いていたところ髭切の後ろ姿を見つけ駆け寄った。

「髭切さん!」
「主?どうしたんだい」
「膝丸どこに行ったか知らない?」
「膝丸?さあ見てないなあ」

がっくりと肩を落とす審神者に、髭切は不思議そうな顔をする。それほど大事な用事でもあるのだろうかと疑問に思う。

「昨日の遠征の事で少し確認したいことがあったんだよね」
「ふ〜ん、僕でもいいなら答えるけど」

ここの膝丸は戦においては文句なしに頼もしいが、細かい仕事は苦手だ。
他の本丸では書類仕事も得意とすると聞いたことがあるが、ここでは真面目でしっかり者ではあるが頭より体を動かすことを得意としている。

一方髭切は遠征などより戦闘を好むのは同じだが、性格が大雑把な割には細かい仕事は不得手ではない。
互いに補い合える関係。いい兄弟だと審神者は思う。

「ありがとう髭切!」
「面倒な仕事は、ささっと終わらせよう」

早く早くと背中を優しく押された審神者は髭切と一緒に執務室に向かい、彼から追加報告を聞いた。
髭切の報告は的確かつ明瞭だった。審神者の上への報告書も良いものになるだろう。

「兄者!探したぞ!」

忙しない足音が近づいてきたと思えば、険しい顔をした膝丸が此方へ向かってきた。にこやかに髭切と話していた審神者は、膝丸の怒った様子に目を丸くした。
審神者は瞬時に、自分が髭切を独占していたからかもしれないと考え焦った。

「ごめんなさい、髭切に仕事を手伝ってもらっていて」
「主が謝ることではない。俺が腹を立てているのは兄者にだ」

あの兄者大好き膝丸が髭切に対して腹を立てるなんて余程のことだと審神者は髭切を見上げるが、彼も一体何のことかわかっていないようだった。

「今日は馬当番だぞ、兄者!」
「ありゃ、すっかり忘れていたよ」
「まさか主と一緒だったとは」

終わったとばかり思っていた審神者は、少しの罪悪感から膝丸に謝った。彼は再度その必要は無いという。問題は兄者と気づくのが遅れた自分にあると。

「行くぞ、兄者。早く終わらせよう」

髭切は膝丸にそうだねぇと言いながら歩きだすと、ふと審神者を振り返り一言。

「また困ったら呼んでね」

不安そうな審神者の顔に笑顔が戻った。
もしかしたら、内番をサボれるという理由かもしれないけれど頼れる者に言われると嬉しくなる。

ほっとした表情で見送る審神者を膝丸がちらと振り返った。一瞬だったが、審神者と目が合う。
審神者は少しドキッとしたが、膝丸は何も言わずスッと目を逸らし厩へ行ってしまった。

もしかして髭切を引き止めてしまったせいかと不安になり二人の後ろ姿を見ていたが、膝丸がそこまで狭量ではないだろうと考えを改めた審神者は執務室へ戻る。
近々始まる大阪城の地下調査のための部隊編成に頭を悩ませた。

それから2週間ほど続いた地下調査を終えて、皆が思い思いに羽を伸ばしていたころ審神者に隕石が降ってきた。隕石というのはもちろん比喩だが、それが原因で審神者に氷河期が訪れた。

それは、ある晴れた日の昼下がり。廊下で会った髭切と膝丸に声をかけ二三言葉を交わした際、膝丸の様子をおかしく思った髭切の一言から始まった。

「どうしたんだい、変な顔をして」
「なんだか腹の調子がおかしくてな」
「えっ大丈夫!?」
「おかしいね、僕らは病にかかったりしないはずだけど」
「ど、どうしよう髭切」
「病なら切ってもらえばいいじゃないか」
「そんな簡単に」
「わかった」

審神者は目を見開いた。たとえ手入れすれば元に戻るとはいえ、そんな荒療治はさせられないと審神者は膝丸に訴えたが首を振られて青ざめた。けれど膝丸はそういう意味で言ったわけではなかった。

「主を見ていると腹の奥が不快になる」

その言葉の真意を全く理解できなかった。けれど膝丸の眉間にシワが寄る歪んだ顔を見た審神者は"主を見ていると不快"という言葉が頭の中を反復していた。
髭切が何か言っていて、膝丸が髭切に引きずられるように廊下を進み角を曲がって行くのが蚊帳の外の出来事のように見えた。

気づけば審神者は布団で寝ていて、あの後どうやって過ごしたのかどうやって布団に入ったのか全く何も思い出せなかった。
なんてリアルな悪夢なんだと思ったが、大広間で見かけた膝丸のいつもと違う視線に胸が痛んだ。あれは夢ではなかったのだと夢であればどんなに良かったかと審神者は憂鬱なまま一日を過ごした。

次の日から審神者は膝丸を避けるようになった。
当然だろう。好きな人に拒絶されてしまっては顔を合わせるのも怖い。嫌な顔をされるのではないか、また何か言われるかもしれない。たとえ普段通りの対応をされたとしても我慢させていると思うとお互いに辛いだけだ。

弟の発言に責を感じているのかわからないが、髭切が審神者の側にいることが増えた。
髭切の気持ちは嬉しいが膝丸の鋭い視線を浴び続けることになるので、髭切と一緒にいる時間は膝丸に会いませんようにと審神者は祈り続けた。

仕事以外の時間に精神をすり減らしていた審神者は自分を恨んだ。近侍に据える刀を順番性にしたために、膝丸の番が来れば彼と一日一緒にいなければならない。今日の近侍が髭切だと気づかなかった自分が憎い。

「明日から立候補制にしようかな」

膝丸を明らかに避ける事になるが今更である。彼が避けられている事を自覚していないはずがない。

「一巡してからにしなよ」
「それじゃ意味がないのに」
「大丈夫だって」

髭切は何も問題などないといった風に笑っている。髭切は自分の味方だと思っていただけに裏切りのように感じた審神者は、判決を待つ罪人のような顔になっていた。
味方なんて最初からいなかったのだ。あの加州でさえ何もないのだ。審神者の様子を変に思って心配して来てくれた次の日には、大丈夫だから元気だしてと言ってきた。
大丈夫だなんて気休めにしかならないし、実際大丈夫に感じた事なんてあの日から一度もない。

「明日一緒に出かけようよ」

髭切は名案だとばかりに手を打った。訝しげに髭切の顔を見るといつも通りの心を読ませない笑顔をしていて、審神者の口からため息がもれる。

「そんなことしたら膝丸が怒るでしょ」
「嫌がるだろうねぇ」
「そんなの私だって嫌だよ」

審神者の頭に膝丸の顔がよぎる。自分の大切な兄と親しげにするなという嫌悪と、仕事を疎かに遊びに出かける審神者を侮蔑するような顔。瞳。言葉。
審神者は折りたたんでいた足を両腕で抱え込むと顔を伏せた。

「大丈夫。これ以上悪くなることは無いから安心して、逃げてしまおう。楽になろうよ、あるじ。」

甘く優しく髭切の言葉が耳元から体中に染み込んでいく。そうだ。逃げてしまおう。大好きな彼から。逃げたって誰も責めない。どんなに恋焦がれていても現状を回復する方法が無いのなら、できるだけ早く諦めて忘れてしまえばいいんだ。
審神者はゆっくりと顔を上げると髭切を見る。明日、膝丸への思いに終止符を打つ。その双眸には覚悟と哀情が揺れていた。

そして迎えた朝。審神者は静かに目を覚ます。朝特有の澄んだ空気が、布団に包まれていた体から熱を奪っていく。

「主、起きているか」
「うん」
「そうか、では先に広間に行っている」

審神者は上半身だけ起こし膝丸の凛とした声に浸っていたが、遠ざかる足音に手がぴくりと動く。彼を引き留めようと体が反応してしまった。けれど審神者と膝丸の間には障子という壁があり、起き抜けの体からは掠れた声しかでない。それに審神者には彼を引き留める理由も意味もない。

手は布団を強く握りしめ、口は引き結ばれた。
どうしようもなく彼が膝丸が好きなのだと心が体が訴えているようで、審神者はたまらなくなった。

早く支度をしなければ変に思われてしまうと審神者は重い体を起こし身支度を整え、広間に向かう。
いつも通り、広間にそろっている皆に挨拶をし朝食を食べる。隣に座る膝丸を気にしないように神経を使った。ご飯も味噌汁も味はしなかった。

部屋に戻る時も仕事する時も膝丸は傍を離れなかった。特に交わす言葉もなければ、審神者は膝丸を意識しないよう視界から外した。
そうして髭切が審神者を迎えに来た。

「あにじゃ...」
「主、出かける準備はできてるかい?」
「...うん」

事前に予定を伝える勇気は審神者になく、膝丸から驚きの声が漏れた。空気がざわついたけれど気にしてはいけない。審神者は髭切の誘いに乗り立ち上がり、膝丸には目もくれず一歩足を踏み出した。

歩き出した足が止まったのは審神者の意思ではない。
力強い手に腕を引かれたからだ。
振り向くのが怖い。彼はどんな思いで腕を引いたのか。掴まれた手首から先が徐々に冷えていく。これほど強い感情は嫌悪からか。

「...離して」
「嫌だ」
「っ痛い....!?」

膝丸は腕を離すつもりはなく、さらに強く握ってきた。痛みに思わず振り向くと、目に飛び込んできた膝丸の顔に心臓が大きく跳ねる。

「俺だって痛いんだ」
「なん、で」

なんでそんな顔をしているのか。膝丸は怒ってなどいなかった。いつもの怜悧な瞳はなく、恐怖や不安に揺れる瞳で審神者を見ていた。抗う体から力が抜けると、膝丸もゆっくりと手を離した。

「君が兄者を選ぶから」
「髭切を?」
「やめてくれ」

膝丸は苦々しく言葉を吐き出すと審神者の肩を掴んだ。顔は伏せられていてよく見えないが、今までに感じたことのない雰囲気だ。
審神者の心は今までに無くざわついた。彼がどうしたいのか自分はどうすればいいのか分からず、瞬きも忘れて膝丸を見ている。

「俺の自覚が遅かったせいだろう。そのせいで君は兄者を選んだ」
「なに言ってるの」
「兄者と出かけるだなんて俺は知らなかった」

ゆったりした動きで膝丸が顔をあげる。その表情は酷く切なげに眉が落とされ、瞳には審神者だけを映している。彼の手が審神者の顔にそっと壊れ物に触れるように手を添えた。その手は冷たく審神者をふるりと震わせた。

「いつも以上に着飾っている事は気づいていた。化粧だって違う。これがすべて兄者の為だなんて」

口惜しそうに膝丸は審神者を抱き寄せた。膝丸の清廉な香りと温もりに喉がきゅっと締まるように感じた。

「これは髭切に言われて」

膝丸の抱きしめる力は強くないのに、とても苦しい。けれど、これは髭切に御粧しした君と出掛けたいと言われたからだと、きちんと伝えなければならない。

「さすが兄者だ。君をこんなに美しくさせるなんて」

言われて嬉しい言葉が審神者の心をぎゅっと辛くさせる。膝丸が自分と同じ気持ちでいてくれると分かったのに、足先からじわじわと感覚が奪われていくように感じるのは何だろうか。
まだ言えていない。全部言わなければならない。膝丸は誤解していると。

「違うよ膝丸」
「何も違わない。君は俺を避け兄者を選んだんだ」
「...私が好きなのは膝丸だよ」

膝丸が息をのむのが聞こえた。審神者は膝丸の顔が見たくなり、胸を軽く手で押し返した。曇った表情はさらに傷ついた顔に変わっていた。

「どういうつもりだ」
「え?」
「君が何をしたいのか分からない」

膝丸に突然体を突き放された審神者は、よろける体を壁に手をついて支えた。

「君は随分気が多いんだな。兄者と二人で出かけたり、俺が好きだと言ったり。俺は、兄者に笑いかける君を見ると腹の底がふつふつと沸き立つような不快感を味わった」

恐る恐る見上げた審神者に、全身から力が抜けたような力のない声で話し出した。あの日言いようのない感覚が膝丸は不快で、もやもやする理由を簡潔に言葉にしてしまった。嫌悪ではなく嫉妬であると、あの日髭切や他の刀に諭された膝丸は時間をかけて理解していったと。

「兄者に嫉妬し、俺は君が好きだと自覚した。君が兄者と親しげにしているのが非常に不愉快だった」

ショックを受けた審神者は不安と恐怖から、膝丸をずっと避けてきた。髭切と一緒にいる時に感じた視線の意味を知り審神者は自分の胸元をぎゅっと握りしめる。

「俺は近侍である今日が好機だと思い、謝りたかった...君を傷つけてしまった。すまなかった」
「わ、私もすみませんでした」
「...何に対する謝罪だ?」
「膝丸に誤解させちゃったから」

フッと膝丸が笑った。少し嫌な感じがした。何かを諦めたような吹っ切れたような、そういう雰囲気を審神者は感じた。

「そうだろうな。君が俺を好きなはずがないんだ...」
「え、違っ」
「もういい主、自分の気持ちに嘘はつかないでくれ。だが、俺の前で兄者との仲を見せつけるようなことはしないで欲しい」

膝丸は審神者に一瞥もなく部屋を出て行こうとする。引き止めようとしたが、足がもつれて畳の上に倒れこむ。審神者を気づかわし気に振り返ろうとした膝丸だったが、その思いを振り払うように自分の目元を抑えた。

「すまない」
「膝丸」
「...今日の近侍は、他の者に頼んでくれ」

足を止めた膝丸はそれだけ言うと出て行ってしまった。審神者は絶望に染まった。視界がじわじわと歪み始めた。
膝丸に声をかけられ起床した朝。隣に座って一緒に食べた朝食。執務室までの長い廊下。膝丸に引き留められた時。綺麗だと言われた時。好きだと、彼の思いを告げられた時。
何度も鼻の奥がじんとすることがあったけれど、何度も我慢してきた。膝丸の廊下を歩く弱弱しい音を聞いていた審神者の目から今日初めて涙が流れた。


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