あなたに恋しています


 フロイドは辟易していた。毎日毎日きのこ、きのこ、きのこ。きのこづくしの賄い料理が続き一昨日ようやくきのこ料理から離れられたというのに、山で取ってくる以外にも
植物園でもきのこを栽培していた。
 フロイドが昨日問いただしたところ、まだ成長が中途半端で途中で放棄してしまったら可哀想だと嘆いた。ジェイドの趣味はフロイドに理解できない感覚だった。とにかく本当にもう食わないから料理にしないで捨てるか他の奴にやれと言って、部屋を出てモストロ・ラウンジへ向かった。

「あ!小エビちゃんじゃ〜ん、最近よく来んね?」
「ふ、フロイド先輩。重いです」
「ポイントカードも結構溜まってきたんじゃね?」
「はい。あとスタンプ10個です」
「そんな頑張ってまでアズールに頼みたいことってな〜に?教えてよ」
「今はまだ、内緒です」
「ふ〜ん」

 しつこくされたり聞いた答えが返ってこなかったりすると忽ち気分が下がるフロイドだが、今回は何が理由か監督生にも理解出来ないが機嫌は悪くならず興味を無くす程度でおさまった。
 席に案内されたナマエはいつものようにドリンクを注文すると、嵐が去って大事にならずに済みホッと胸を撫で下ろした。頼み事を言ってしまえば、どうしてそんなのが必要なのか深く突っ込んだ質問をされそうで絶対に言えない。それに対する答えを誰かに言うのは気持ちを大っぴらにするようで憚られるからだ。

「おや、監督生さん。いらっしゃいませ」
「あ、ジェイド先輩」
「いつもモストロ・ラウンジのご利用ありがとうございます」

 ジェイドはいつもの人当たりの良い営業スマイルでナマエに一通の封筒を差し出し、フロイドとは違ってあっさり業務に戻っていった。ナマエは封筒をそっと手に取ると大事にポケットに入れ、ジェイドの後ろ姿を名残惜しそうに見つめた。きっと見られている事に気付いているだろうに視線を無視するジェイドの態度に寂しさを感じた。
 ナマエはジェイド・リーチに対して特別な感情を抱いてたが、それは誰にも言っていない秘めた感情だ。しかし、人間観察が好きなジェイドには気付かれているだろうとナマエは考えている。他人の好意などに気付いていても害がなければそのまま放置するような人間だと、監督生はジェイドを見ていて気付いたのだ。
 そもそも、監督生がジェイドに対して特別な感情を自覚したのはつい最近だった。わずか四日前に遡るのだが、放課後にオンボロ寮を訪ねてきたジェイドに監督生は大変驚いた。グリムはエース達のところに遊びに行って居なかったが、もし居たら顔を見るなり叫びながらどこかへ行っていただろう。直接寮に訪ねてくるなんて、何の用があるのか全く見当も付かなかった監督生はグリム程ではないが、心臓がどくん、どくんと高鳴るのを感じていた。

「貴方にこれを渡そうと思いまして」
「封筒?手紙ですか?」
「ええ、僕から貴方にです」

 ジェイドが差し出したのは真っ白な封筒だった。そこには宛名も何も書いておらず、まっさらな状態の封筒を監督生はただただ不思議そうに眺めた。ジェイドは監督生が戸惑っている様子をじっと眺めるだけで特に説明も何もせず、ただ、渡して帰っていった。
 監督生はジェイドが個人的に何かを渡してくるなんて、何やら裏があるのでは無いかと勘繰り、開封しても大丈夫だろうかとドキドキしていた。開封しないまま、もし重要なものだったら大変なことになるかもしれないと意を決してペーパーナイフで封を切った。
 すると、いい香りがふわっと広がり封筒はたちまち形を変え、一輪の黄色いバラが現れた。監督生は自分の手の中のバラを茫然と見つめ、心臓が狂ったように動く息苦しさに胸が苦しくて苦しくてベッドに倒れ込んだ。

 監督生は恋に落ちた。

 これが例えば友人のエース達からのものだったとしたら感動こそすれ、胸が苦しくなるほど高鳴るような事はなかったが監督生はこの時は頭も心もいっぱいで気付かなかった。次の日、学園内でジェイドの姿をいつものように視界の端に捉えた途端に恥ずかしい気持ちになり、ようやく今までずっとジェイドを目で追っていたことに気付き恋をしていた事を自覚した。
 その日の放課後、グリムと共に寮に戻るべく歩いているとオンボロ寮の方からジェイドがやってきた。監督生は急に緊張してきて足が止まり、グリムは慌てふためき逃げるんだゾと監督生を促すが一向に動かないのを見て見ぬ振りして来た道を戻っていった。一歩一歩近くなる距離に立ち止まっているのが不審に思えて、端によって一歩また一歩と寮に向かって歩き出した。

「ナマエさん」

 近づくにつれて昨日のバラが現れた時に漂った香りが蘇り再び漂ってくるようで、どんな顔をしてジェイドと顔を合わせればいいのか分からず監督生は俯いていた。声を掛けられると弾かれたように声の主を見上げた。
 ジェイドのきっちり締められたネクタイが目の前にあって距離の近さにどぎまぎしていると、ジェイドはにこりと笑って渡したいものがあって寮に行ったけれど居なかったから帰るところだったと、会えてよかったと言って昨日と同じ封筒を差し出して来た。
 条件反射で封筒を受け取ると、ジェイドはこれからモストロ・ラウンジの開店準備をすると言って監督生の横を通り過ぎる。

「一人の時に開封してくださいね」

 通りすがりに耳打ちするように言われた言葉は、耳を柔らかく優しいもので擽るように、ぞわぞわとした甘い痺れが走り返事もできずに耳を押さえて蹲み込んだ。遠くで様子を伺っていたらしいグリムが戻ってきて、とても心配したがこの感情を他人に話すことは出来ず、大丈夫大丈夫と慌てるグリムを宥めた。
 けれど、それは逆効果でグリムには子分が他人に言えないような何かをされたと勘違いして、それをエース達に言ってしまい大事になってしまった。その次の日、つまり今でいう昨日はジェイド先輩を避けるような学校生活を強いられ大変だった。

 友人(特にグリム)に引っ張られ、あからさまに避けるような行動をしてしまい面白がったフロイドに追いかけられたり、ジェイドには廊下で待ち伏せされたりした。食堂ではリーチ兄弟に挟まれながら昼食をとったりして、心休まる時間が無いまま一日の授業が終わった。
 寮に戻りグリムを説得して今日は普段通りに生活した結果、いつも通りなんて事ない一日になった。今まで貰った封筒が変身した黄色いバラは自室の花瓶に生けてある。いけた途端、双子のように薔薇が分裂して8本になった薔薇は全く枯れる様子もなくいい香りを漂わせている。
 どういった意図があって毎日一輪ずつバラを贈っているのかわからないが、このまま貰い続けるのは悪い気がしていた。明日は学校も休みなので外出しようかと考えながら、今日もらった封筒を開封した。

「何か、書いてある」

 いつものようにバラの香りが広がり一輪の黄色いバラが姿を表すと、棘が処理された茎に巻かれているリボンに文字が書かれていた。

"waiting at the library tomorrow明日、図書館で待っています"

 まるで秘密のデートの約束みたいな感じがして胸が高鳴った。勘違いしてしまいそうな演出に、いよいよジェイドが何を考えてこんなことをしているのか分からなくなってきた。明日、もし時間があればジェイドを誘って街でお礼の品を買って贈ろうと、平常心を取り戻そう落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせる。しかし、一度ついた恋心の火はなかなか落ち着かず当日の朝になってようやく落ち着きを取り戻した。

 図書館は校舎の外にあるため、休日は何か特別なことがない限り私服姿の生徒しかいない。監督生も例に漏れず私服なのだが、いつも通りの私服なのに絶対に何処かがおかしいとグリムに何度も服装をチェックさせ、半ば追い出されるように寮を出てきたために不安しか無かった。
 ジェイドの私服は見たことはなかったが絶対におしゃれだしスタイルがいいから何を着てもカッコいいに違いないという謎の暴論ののち、自分はその隣に立てるのかというネガティブな考えに陥り情緒がとても不安定になっていた。

「ああ、監督生さん。おはようございます」
「お、おはようございます。ジェイドせんぱい」

 監督生は、てっきり図書館の中で待っていると思っていたため、寮服を着たジェイドが図書館の外にいて大変驚いた。ネガティブなことを考えながらもジェイドの私服姿や今日の用件とその後の外出の機会など、大きな期待で膨らんでいた気持ちは少しずつ萎んでいった。
 ジェイドは手にしていた植物図鑑と真っ白な封筒を手渡すと、休日のラウンジは盛況になるため直ぐに戻らなければないと言って去ってしまった。その場に取り残された監督生は、オンボロ寮までの道を抜け殻のようにふらふらと歩いた。行ったと思ったら戻ってきた監督生にグリムは文句を言ったが、監督生のただならぬ雰囲気に一人にしてやろうと珍しく空気を読んで寮を出ていった。
 服も着替えないままベッドに倒れ込んだ監督生は、しばらくすると胸にポッカリと空いた物寂しさを埋めるように料理を作り食べた。いろんな期待をして一人で盛り上がって馬鹿だなあと思えるくらいに回復したところで、ジェイドに貰った封筒を開封した。
 昨日まではこの瞬間にとても心動かされて、くすぐったいような感覚になっていたのに今は恋心で火傷したかのように、ひりひりとした痛みしか感じなかった。機械的にバラを花瓶に生けると、柔らかい光がバラを包んで花瓶に生けられた11本のバラは小さな花束になった。
 それはとても綺麗で可愛くて、とっても心躍る演出で、監督生はますますジェイドへの好きという気持ちが苦しい程に大きくなった。花瓶からそっと花束を抜き取り、きゅっと優しく胸に抱いた。
 バラの香りたつ甘い匂いに胸が苦しくなりながら、机に座ってジェイドから貰った植物図鑑を開いた。と、そこで監督生の手が止まる。これは、ただの植物図鑑ではなく花の写真と共に花言葉が乗った本だった。魔法のない世界にいた監督生には、ページを開くごとにその花の香りが漂うなんて経験はなく、魔法の美しさとこれをプレゼントしてきたジェイドへの温かい気持ちで胸がいっぱいになった。
 季節ごとに紹介されている本を1ページずつめくっていくと、バラのページに辿り着いた。花言葉の本と知って真っ先にバラのページを開かなかったのは、知るのが少し怖かったからだ。ここまでしておいて嫌がらせなどでは無いと思っているけれど、知ってしまったら後戻りはできない。
 この、花束になった途端6本が11本の花束になった黄色いバラの意味は、何なのだろうか。監督生は、書かれている内容をよく頭に入れるように一文字ずつ目で追いながら読んだ。
 黄色いバラの花言葉と本数にも意味があるのだと、高鳴る胸を鎮めるように何度も何度も頭の中で反芻させた。

 ジェイドが毎日どういう思いで魔法をかけた黄色いバラを一輪ずつ贈り、花束にし、この本を贈ったのかを監督生はバラが萎れるのではないかというほどの間、花束を抱えて涙を流した。
 もちろん監督生の涙は嬉し涙であったし、バラには萎れない魔法がかかっているのか、いつまでたっても瑞々しい甘い香りを放っていた。
 そして監督生はジェイドに己の気持ちを伝えることを決意した。


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