或る男の独白・参


最初に咲と会った時、その髪色から鬼かと思って心臓がどくんとなるのを感じた。しかし善く善く見てみると鬼殺隊の服を着て日輪刀を持っていた。だから、そう思ったのは一瞬だけだ。
それから、咲は普通の人と匂いが違う。もちろん鬼の匂いではなく人の匂いがするけど、とても希薄に感じる。
匂いといえば、彼女の血の匂いは稀血と同じ匂いがした。それ以外彼女からは何の匂いもしない。
いや、正確には匂いがしないというより他人から感じる嘘などの感情の匂いが酷く曖昧で分からないんだ。咲がどういう人で何を考えているのか、さっぱり分からない。

藤の花の家紋の家で、禰豆子と咲が顔を合わせた時はどうなるのか心配で善逸の奇行を避けながら横目で何度も何度も気にしていた。
けれど、何も心配したような事は起こらず寧ろとても好意的に見えて安心した。
二人の様子が気になり視線をやった時に、禰豆子と手を繋いでにっこり微笑まれた時にどういう訳か再び心臓の拍動を感じた。表情に乏しい子だと思っていたけど案外可愛らしく笑えるんだなと思った。

夜だし迷惑になるから善逸を止めたかったけれど全く人の話を聞いてくれなくて、どうすれば良いんだと考えているとピタリと善逸の動きが止まった。
視線の先を見ると禰豆子と咲がお互いの頭を撫で合っていて、禰豆子が嬉しそうにしていた。

そこまでお互いに気を許している様子が微笑ましくて気を取られていると、善逸の怒ったような匂いが薄まり俺の話を聞く余裕が出来た。
禰豆子は妹で咲とは屋敷で知り合ったばかりだと説明すると、善逸から怒気が無くなり刀を納めてくれて俺は安堵した。二人には感謝しないといけないな。
善逸は強いけど、凄く情緒の現れが顕著だから見た目では分からず軟弱に思われるかもしれない。
けど俺は匂いで分かる。善逸の情緒不安定にもみえる挙動は人として正常で、落ち着いて見える咲の方が…
異常だと言い切るのは良くないな。俺の鼻がもっと利くようになれば分かるかもしれないんだから。

気付くと咲は壁にもたれて眠ってしまったので俺が部屋まで運んだ。同じ鬼殺隊士でも小柄だし女の子だから軽かった。

一緒に任務に赴いた那田蜘蛛山で十二鬼月かも知れない鬼に遭遇した。伊之助のことは弱いと思っていないし、咲のことだって女の子だからって弱いとは思っていない。
風柱に傷付けられた禰豆子も心配だったが(風柱の事は許していない)あの時二人を残してきた事も心配でならなかった。
だから、伊之助が蝶屋敷のベッドで寝ていた時は申し訳ない気持ちでいっぱいになったし、別室で咲が寝ていると聞いた時は早く目覚めて欲しいと思った。
何より二人とも無事で良かったと本当に良かったと嬉しく思った。

それから俺たちは順調に回復して、怪我が癒える頃から機能回復訓練が始まった。これがなかなか上手くいかない。
体力は落ちているし体は硬くなっていて女の子に負け続ける日々は、情けなかった。何より一緒に行動してきた咲よりも出来ていない事に酷く落ち込んだ。

善逸が途中から参加すると伊之助も急に奮起し出して好成績を残した。それなのにカナヲに負けてからは不参加になってしまった。
二人の説得は何度も失敗して、俺と咲だけで訓練を続けるけれど、負け続ける日々に気落ちした。
そんな時、咲から相談を受けた。なんだろうか。

「心を鍛えるにはどうすればいいと思う?」

そんなことは考えたこともなかった。心を鍛えるにはどうしたらいいのか。色々なものを見て感じて心を豊かにするのとはまた違う事を聞かれている気がする。
俺が悩んでいると、咲が身の上を明かしてくれた。記憶を失い、家族を失い、心までも失った。何度も失う経験をして来たんだな辛かっただろうなと思うと、弟たちにしたように頭を撫でてやりたくなった。

「鬼に対して何も感じないんだ」

俺は咲が話してくれるまで、他人の過去を詮索するのは良くないから聞くつもりはないけれど何事かあって気を病んでしまったのかもしれないと考えていた。
禰豆子に対する咲の態度を見て、鬼に対しての恨みや憎しみだけで鬼狩になったわけじゃなさそうだと思ってもいた。

でも、それは違ったんだ。

鬼に対してだけでなく、俺たちや禰豆子に対しても何も感じていないのだと知って虚しい気持ちになる。
けど、それを克服しようと考え始めたのはいい傾向なんじゃないかと思う。そうやって悩むことは悪い事じゃないし、そうやって足掻く事で分かることもあるんだと思う。
訓練だって同じだ。何度負けたとしても、どうすれば勝てるか考えて行動していれば活路が見えてくる。

咲が求める答えは俺には分からないし、解決させてあげられなくて申し訳なく思い謝った。
そうしたら咲は謝る必要なんて無いのに一言、ごめんねと言った。
咲はやっぱり根は優しい子なんだと思った。でなければ他人に感謝も謝罪もしない。

「咲と話せて良かった」
「どうして#炭治郎さんがお礼を言うの?」
「咲が自分の事を話してくれた事と俺を頼ってくれ事が嬉しいんだ」
「それは、炭治郎さんが適任だと思ったからだよ」
「うん。それが嬉しいんだよ俺は」

咲の目を見て言う。俺の気持ちがちゃんと伝わって欲しいと思った。
不思議そうに俺をみる瞳は夜空を映したように澄んでいて、とても綺麗だった。
そういえば、会った時かけていた丸い眼鏡をしていない。咲の大きな瞳がよく見えるから、今の方がいいなと思う。
俺は、咲の心が正常に機能して様々な物に感動する日が早く来る事を願った。そして、心から現れる咲の色々な表情が見たいと思った。

咲から漂う、この淡い匂いは一体どんな感情を表しているか分かる日が早く来ればいいな。
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