07

 魔法史の小テストがあったのをすっかり忘れていた。テストすると言われていたわけじゃないけれど、いつもは授業の進み具合からそろそろ確認として抜き打ちテストがありそうだなと復習量を増やして対策していた。それをすっかり忘れてしまい、いつも八割出来ていたものが半分も出来なかった。
 ため息を吐く私にぶつかってきたのは毎度お馴染みのクラスメイトで、次の授業のために移動していた私は教科書などを落としてしまった。ため息を吐きながら拾おうとするとその人も拾ってくれて、不気味なまでの親切ぶりに調子が狂いそうになった。

「ひどい点数だなぁ」

 頭を鈍器で殴られた様な気持ちになりながら、感謝の言葉と答案用紙をぐしゃりと握り潰して次の授業へ向かう。そう落ち込むなよと肩を組まれたけれど、思いの外身長差があったからか肩がぶつかることもなくそのまま話を聞き流した。
 教室まで一緒に行くの嫌だなあと考えながら勉強教えてやろうかという提案をテキトーに断ると、肩に回されていた手で肩を掴まれ階段近くの壁に押し付けられてしまった。肩を掴む力の強さに顔を歪めつつ手首を掴んで抵抗するがびくともしない。
 親切にしてやってるのに生意気だとか、今までの自分の行いを無かった事にしている言動に呆れて言い返せない。本当に親切な人は他人が嫌がってるって分かったら、親切するのに慎重になるしもっと思いやりがある。こんな押し付けがましい親切なんか自己満足でしかない。
 いい加減に肩を離してくれないと痛みで肩が上がらなくなりそうだと、怒りを込めて利き足で足を踏んづけた。それでも怯まないこの人なんなの。

「なにやってるんだ!!」

 ハリのある声に振り向くと階段の上からカリムさんが駆け降りて来た。痛がってるぞというカリムさんの言葉にムキになるみたいに、"何の取り柄もないやつ"とか"あんたみたいな寮長に媚び売るしか脳がない"とか"自分の親切を無碍にする"とか、私を貶めるような言葉を吐く。
 カリムさんは驚いたように目を見開いたかと思えば「気にしてくれるんだな」と感心でもしたように言う。どれだけ人を好意的に見ればそうなるのだろうか。何言ってるんだと声を荒げるクラスメイトを軽くあしらうようにカリムさんは朗らかに笑った。

「コイツのこと好きなら虐めないでもっと優しくしてやれよ」
「なっ何言ってんだよアンタ!」
「でもダメだ!ナマエはオレと結婚する予定だから諦めてもらうことになる…ごめんな」

 カリムさんの怒涛の口撃に成す術もなく呆然とする私たちのところに一人の生徒が現れ「カリム、授業に遅れるぞ」と言って色素の薄い髪の二人は去って行く。ゲリラ豪雨ってこんな感じなんだろうかと考えているところに、今のは本当かどうか聞かれたからカリムさんはそのつもりらしいと返した。

「権力者におもねって悦に浸ってんじゃねーよ」

 そんなこと思ったことはなかったし、そういう理由で人付き合いをしているわけじゃないのに結果そう見えていた事に不快感を覚えた。キツく私を睨んだクラスメイトが次の授業に足早に向かうのを見送ってから、とぼとぼと教室に向かった。
 今まで私に嫌がらせをしてきたクラスメイトはカリムさんの見当違いな言葉に腹を立てていたようで、再び噂が流された。『植物園の噂はスカラビアの寮長とオンボロ寮の女子だった』という話は目撃情報と一致していたために、一気に生徒の間で広まった。
 カリムさんと食堂で一緒になるのが当たり前になり、最近は一緒に登校するようにもなって『二人は結婚の約束をしている』なんて話とセットで学園中で噂になった。カリムさん自身も結婚について否定をしないから信憑性があるとして疑う人はほとんどいないようだった。
 これだけ学園中で噂されれば先生の耳に入るのも当然で、私とカリムさんは学園長室に呼び出されてしまった。

「最近、学園中で噂されている事について聞きたいんですが事実ですか」
「結婚のことなら本当だぜ、学園長」
「いえそちらではなく、植物園で不純異性交遊があったらしいじゃないですか。そういうのはもっと人気のないような場所で…いえ、人の目につかなければいいというわけでも無いんですが…ここは男子校で、特別に入学を許可された女子がそのような振る舞いをしているなんて教育者として見過ごせません!
もちろん、女子への負担が大きいからですよ。もっと体は大事にしないといけません。私にはあなた方を監督する責任がありますからね、特にナマエくんに何かあったらと思うと心配で心配で」

 学園長の言葉は長ったらしく少し脱線気味なところがあったけれど、要するに私という女子が問題を起こす事とその噂が学園の外に漏れることが学園にとって都合が悪いという話だった。不純異性交遊が事実かどうかはどうでもよくて、"学園の出資者の息子と学園長が特別に許可した女子生徒"というのが特に問題だという話を学園長は長々とした。
 隣に座っているカリムさんは難しい話はよく分かっていない様子で、私はカリムさんとの噂よりも"不純異性交遊"がバレる事を考えて身震いした。複数人とそういうことをしているなんて純粋とは言い難く、バレてしまったら言い逃れはできず私の唯一の居場所がなくなってしまう。
 厳重注意を受けて学園長室を出た私たちに部屋の外で待っていたらしいジャミルさんがどうなったんだと食い気味に聞いてきた。頭を押さえながら大きなため息をついて、疑わしい振る舞いはしてくれるなと言うジャミルさんは最後に私を睨め付けるように見て二人で帰って行った。

「あれ…なんか生えてる?」
「かわいらしい芽がたくさん出てますね」

 いつものようにジェイドさんの部屋でテラリウムの手入れをしようと覗き込めば、小さな芽がびっしり苔のように生えていて感動した。毎日手入れして大切に育てていただけに感動も一入だ。隣にいるジェイドさんも感動してくれるかなと思って顔を上げると、思いの外近くにいたジェイドさんの目は笑っていなかった。
 一気に冷えていく胸を手で温めるようにしてテラリウムの世話を再開する。隣にいるジェイドさんも手入れをし始めたのが音でわかった。度々忘れそうになる。私はジェイドさんに快く思われていないってこと。黙々と作業をしながらこの後のことを考えた。
 毎日手入れを一緒にしているけれど、ジェイドさんの時間の都合で手入れだけで終わる日もあれば罰として体を好きにいじられる日もある。回数で言えば今までに5回くらいそんな日があったと思う。その度に体はジェイドさんの与える刺激に屈し逆らってはいけないという気持ちが少しだけ芽生えた気がしていた。

「もう、やめにしたいです」
「はい?」
「ジェイドさんに許してもらいたくて受け入れてましたけど、終わりにしませんか」
「僕と一切の縁を切りたいと?」
「ちがっ、私は元の関係に戻りたいんです。でも、こんなこと続けていたら…おかしな関係のまま…」
「僕はあなたと元の関係に戻る気はありません」

 上手く言葉にならない感情が喉の奥にぎゅっと引っかかって苦しい。背中にあるはずのベッドの感触がなくなって、体がどんどん沈んでいくような心地がした。ジェイドさんは私を見下ろしながら、何を考えているのかわからない表情で私の口を使ってススッと手袋を外す。
 行為が始まる一種の儀式のようなものを手伝っているようで悲しくなる。気持ちの伴わない行為は虚しいものだと思い出してくる。他の人もみんな同じように私を好きでやってるわけじゃない。私は彼らのただの道具なんだ。
 頬を撫でるジェイドさんの体温に涙が出そうになって振り払うように顔を背ける。私の意思は変わらない。

「べ、勉強だって、最近上手くいかないんです。だから、もうっ本当にやめたいんです」
「……やめたい理由は本当にそれだけでしょうか」
「えっ…」

 首筋に触れられぴくりと肌が反応して、それを嘲笑うように口を歪めたジェイドさんが私の耳元で囁く。

「僕以外の人とも悪い事をしているあなたが今になって操立てしたって遅いんじゃないですか?」

 チュッとを立てながら首筋にキスされると怖くて震えそうになる。耳元でわざとらしく鳴るリップ音が正直に言いなさいと私を責め立ててくる。これ以上の弱みを見せたくなくてつぐんでいるとジェイドさんは小さくため息をついた。

「まあ、いいでしょう。あなたの悩みの一つは僕が勉強を教えてあげれば解決しますよね」
「え…」
「あなたは勉強が疎かになり、周りの人間に置いていかれるかもしれないという事が怖いんでしょう?大丈夫です。僕、教えるの上手ですから安心してください。…これで、あなたの憂いは晴れるわけだ」

 捕食者のような鋭い眼差しは形を潜め、ただ私の憂いを払うために協力したいと優しい上級生の顔で見下ろされる。戸惑うしかない私の頬をジェイドさんの手が優しくて撫でる。心臓がドキドキと高鳴っているのはどうしてだろう。
 自分の不安を言い当てられたから?さっきまでの緊張がまだ残ってるから?頬を素手で撫でられているから?ジェイドさんが怖いくらいに優しいから?言葉巧みに言いくるめられそうだから?

「そのかわり、あなたのこの、いやらしい体を僕にください」

 ジェイドさんの言葉に逆らえるような心を私は端から持っていなかったのか、ちょっとずつ無くしていったのか。なんの準備もなしにお願いしようというのが間違っていた。ジェイドさんと元に戻ることも終わらせることもできないまま、今日も私は体を差し出す。