あれが天啓というのなら、神とは厄介な存在だ。
いつの間にか帰り道にオープンしていた、あのオサレケーキ屋。私はいつも通りそこを睨む意気込みだけは捨てるまいと、すっと前を見据える。だけれど店が近くなるにつれ視界に増えるキラキラ女子たち。陽の光に透ける綺麗に染められた亜麻色の髪に、風に飜る華やかなスカートの裾に、一目でブランド物と分かるバッグの上でギラギラと光るエンブレムに気圧されて、先ほどまであった筈の矜恃は灰となり無残に散っていく。
そして店の前まで来れば、その頃にはいつも通りの、地面と向き合う私の出来上がりだ。
(なんで私の家の近くにあるんだろう、こんなご大層なお店が)
人に聞く勇気はないからネットで調べたところ、日本でかなり有名な料理人が代表を務めるグループの、初のデザート専門店とのことで、しかも専任パティシエはその料理人の息子だか孫だとかいうのだから、そりゃあ人気店になるのも頷ける。というか人気になる要素しかない。それでいてなんかこう、気取ってない風に見せかけてナチュラルモダンを演出してるところなんか、なんというか、白々しいというか。見え透いてるというか。
(SNS受けってやつですか)
ケッと内心毒づいてしまうのは、きっと私だけではないはずだ。
そもそもこの通りは、都心から離れた静かな場所であったはずだ。そしてなんなら、オタクの店なんかもある街なわけだ。だからこそ私はこの右手に下げているアニメグッズの入った袋を惜しげもなく晒して闊歩できていたのだ。
新参者は、あの店である。この街に張られた暗黙の掟を無視してやってきたのは、そちらである。
私が後ろめたく思うことは何一つない。そう、胸を張ればいいのに――なぜだか店の外で順番待ちをしてメニューを広げている彼女たちを見ると、臆病風に吹かれてしまうのだ。逃げるように、できるだけ存在を消してしまいたくなる。
――オープンしたての頃はまだ人も疎らで、窓越しに店内をこっそり覗けたものだったけれど。
(綺麗なケーキだったな……ま、場違いだから一生ありつくことはないだろうけど)
何時間待ちになるのか、まるでめげずに並ぶ彼女らに呆れながら、そして若干の羨望を交えながら――視界一面に広がるキラキラの中を歩けるはずもなく、私は店の一つ前の角を左に曲がって、裏道を往くことにしたのだった。
――この選択が、私と変態を引き合わせることになる。
*his side
あれが天啓というのなら、おれは毎日でも神のための祭壇という、神聖なケーキを作ろうと思う。
バラティエグループ傘下のパティスリーで働くおれのデザートは、女性を喜ばせるために存在する。――なに? 最近では甘党男子も台頭してきてるって? 知ったことか。この世のすべての甘い物はレディ達に召し上がっていただくためにある。 彼女たちが、弾ける果実のようなその唇にクリームを仕舞う仕草。上品な眉が、喜びに緩んでほぐれる刹那。それがおれにとってたまらない瞬間で、おれの情熱の全て。彼女たちの笑顔のために、おれはこの世に生まれ落ちた。
そう言って憚らないおれ。なのになのに、なのに!
「今度の病気はすげェな、おい」
「あー。末期までいっちまったか、サンジの奴」
「つーことは、そろそろ年貢の納め時かァ?」
「どうだかな。ンなことなったら、空からケーキでも降ってくるんじゃねェの?」
紳士であるおれを、まるでただの女好きであるかのように評するパティとカルネ悪友の心無い笑い声だって、今おれを打ちのめす目の前の光景に比べれば、なんてことはない。
「今日も、か」
洒落たラウンジにある、自分の背の高さ以上はある透明度の申し分ないガラス窓にへばりついて、外を眺めるおれ。周囲のレディたちの視線が突き刺さるが、今のおれの心臓は防弾チョッキで出来ているのだ。なんてことは、ない。
笑いたきゃ、笑えばいいさ。
この店がまだ、オープンしたての頃。とは言っても今だってまだ3ヶ月かそこらの店だが、メディア戦略を控えていたから、最初は客もぽつりぽつりという感じだった。だからその頃よく来てくれていた客の顔は鮮明に覚えているし、何なら窓から見ていただけの人だって、おれの脳裏にはしっかりと焼き付いている。
その中に。いつだってガラス越しにこちらを伺うのに、目をキラキラとさせているのに、店の中には入ってきてくれない子がいた。いつもやたら重そうな荷物を持っているあの子。ほとんど決まった曜日決まった時間に通る、あの子。よく覗かせてくれていた顔は、いつの間にか下を向いて歩くようになり、その影は増えるレディたちの波に遮られ、最近終ぞお目にかからなくなった。
(あの子がおれのケーキ食ったら、どんな顔すんのかな)
そればかりを、最近は妄想する。あんな子が、口いっぱいにデザートをほお張ったら。喜んでくれるのか。溶けてしまいそうな笑みを、見せてくれるのか。
――今日も無理、か。
おれは質量のこもったため息を吐いてから、作業の続きをしようと厨房へ引き返す。
「はぁ……、ウェイター兼パティシエは疲れるぜ」
ま、ウェイターやってなきゃ、あの子のことは知らないままだったが。
「おーい、イチゴ足んねェよ、どこいったー」
「なぁこのシートの予備、誰か発注かけたんだよな? 見当たらないぜ」
オープンした最初の頃に比べればマシにはなったとはいえ、まだまだ段取りは悪い。バタバタと慌てふためく厨房を横切って、おれは目立つように片手を上げた。
「イチゴならおれも今から使うから、外の保冷室に取りに行く。シートはおれが発注用紙記入したから間違いないはずだ」
「お、悪ィなサンジ」
なんとなく外の空気を吸いたかった。
というわけで、店の裏にある保冷室に食材を取りに行ったおれは、そこで運命の出会いを果たすことになる。
*her side
あの左折から1週間。なぜだか私の帰宅時間を完全に把握しているあの金髪の変態は、その日その時間になるとホストよろしく店の前に立ち、遠く200メートルは先にいるであろう私を判別しやがるようになった(古代人か)。そして全速力で逃げるたび、思い返すのはやっぱりあの日で。
左折したあの日、あのあと。お店の裏の入り口に立っているイケメンを柵越しにチラリと見て、私はすぐに彼があのパティシエだと気付いた。ああ、やはりイケメンである。眼福眼福、とそのまま通り過ぎようとした、その時。
「あぁ、君は……!」
周囲にキンキラのスターダストを放ちながらなぜかこちらに向かってくるイケメン。驚くなという方がムリな話だ。
「えっ、ちょ、なになに」
普段二次元に生きてるのでリアルな生き物としての男に対する免疫がついていなかった私の挙動の不審なことといったら。穴がなくても穴を掘って入りたい。
口籠る自分に自己嫌悪していると、彼は大げさに両手を広げて天を仰いでいた。
「神よ! これはあなたが僕に与えたもうたギフト! そうなのですね……!」
「(え、神? なにそれ怖い)あああああの、何かご用で……?」
「――あぁ、すまない。夢にまで見たレディがあまりにも突然、おれの目の前に現れてくれたから、これは運命だと思って。つい興奮しちまった」
「夢、こ、興奮って」
「君は、つい最近までこの店の前を通っていた子だよね。よく覚えているよ、いつも店の中を見てくれてたから」
(いつも、見てた?)
背筋が凍る。確かに私は、その店内をよく覗いていた。温か且つ洗練された雰囲気に、私はいつも気圧されていたわけだけど。そして、宝石のように色とりどりの、どう見てもおいしそうなケーキの数々に、目を奪われていたわけだけど。――まさか。
「め、目立ってたのか私!? 気づかれてた!?」
「え? あぁいや、ただおれが気になって……」
「ししし失礼します!」
「え――――」
全力疾走。穴。穴はどこだ。今ここで地面を掘り進んで地球の反対側までたどり着きたい。そして彼の記憶から消え去りたい! ノーブルでブルジョワな社交場を覗き込むなんて不相応な真似してすいませんでしたごめんなさい。ああでも、というかそもそも、現実世界では会話をしないはずの人種が急に近寄ってきたかと思えば私の失態を見ていたと言うのだから、私が動揺するのも致し方ない。私のせいじゃない。イケメンはこれだから罪だ。
――と、それだけ思っていた先週が早速懐かしい。
「待ってくれ、君のためのスペシャルケーキがあるんだ!」
目下後方50メートルまで迫る金髪イケメンが完全なる変態だと確信してから、私の羞恥と動揺はいくらか薄らいでいる。
「毎日待ち伏せとかイケメンご乱心にもほどがある! 貴方メインパティシエなんですよね!? 仕事しろよ!」
「いつもきっちり終わらせてるぜ。今は君のことのが優先だ、アオイちゃん」
「おいおい今さらっと名前――」
「君の好きなキャラのケーキ、作ったんだよ!」
「個人情報ダダ漏れで色々気になるところだけど、自分の立場弁えて!? 彼がオサレパティスリーのショーケースに陳列されるなんていたたまれない!」
「君のためのケーキだぜ? 店には並べないさ。今ここにあるんだ」
「へ」
怒涛のバレ展開に頭がついていかないはずが、釣られ咄嗟に振り返ってしまった私はどう足掻いたところでオタクである。つら――
「――っつーかなにそれフィギュアか!? クオリティたか! 服のシワすご!」
「精巧にできてるだろ? これを作るために、もしかしたらおれはこいつを君以上に熱心に眺めたかもしれない。男を見つめるなんて不本意ではあったが」
彼の熱の入った語りに、「ここまでするのは究極の変態しかいない」と、私は逆に感銘を受けた。これは並大抵の観察力ではない。私が何年と見続けたからこそ気付けた彼の実は悲しげな眉だとか、服の構造だとか。
「すごすぎる……」
オタクは、自分以上に限界突破している同志には、敬意を表するものなのだ。
思わず見上げる。彼のイケてる面に目潰しされそうになる。キラキラの結界が身を焦がす。――けれど、どうやら素晴らしいおたくケーキによって結界は弱まっているらしい。私は決心して近づくと、フィギュアと見紛うケーキをマジマジと見つめ、唸った。
「この表情……一見ただの太陽属性の彼の、実は隠された面である暗鬱さをよく表現してらっしゃる」
「あ、これな。いつも笑ってっけど、なんとなくこいつ過去持ちなの、想像ついて」
「分かるわー! ネットだとありえんとか言われるけど彼絶対暗くて壮絶な過去あるしそれを隠して主人公助けてるとかほんとマジ尊いから……失礼ですが貴方、この作品は元からご存知で?」
「いや、寝る間も惜しんで勉強した」
「寝る間も! 惜しんで!」
――なんという、オタクの鏡だろうか。
私はくらりとする頭を抑えるように額に手を当てると、完全にキラキラの解かれた変態――失礼、オタク界のパティシエ神――を拝むようにこうべを垂れた。
「今後とも彼をよろしくお願いします」
「え、何だって?」
「彼を愛する同志として、これからあなたとは深くおつきあいさせて頂きたく」
スッと差し出した手を、彼は握り返すことはなく――なぜか爆笑をしだすと、私のその手にケーキをすと、と載せた。
「なんか色々前途多難そうだが――ひとまずはお近づきの印に、これ、君が食べてくれる?」
――なんたる光栄!!!
息を呑んで、それから抑えられない笑みを浮かべれば。彼は、満足したように顔を綻ばせた。
(あー、やっぱいい顔すんなァ)
(彼、いい顔してますよね分かりますモグモグ)
(うーん。ほんと、こりゃ手強いぜ)