晴れ渡った空が、酷く美しい。遮るのは舞い上がる風の声と、それに寄り添い弧を描く鳥の影、そして、なだらかな波を思わせる白い雲。きっと故郷から見える世界の天井は、今脳裏に想い描いている幻想と相違ないだろう。カナタはため息を吐くと、頭上で交差する高層ビルを恨むように見上げた。

 気合いを入れ直すように、肩にかかる髪を後ろで一つに括る。茶色の薄手のシャツに同色系のチェック柄のカーディガンを羽織ると、藍色の細身のデニムパンツを一歩ずつ前へと踏み出した。気合いを入れたにも関わらず、キョロキョロと自信無さげに周りを窺いながら練り歩くカナタの様子は、小綺麗な出で立ちには何とも似合わず、得体の知れない何かに見られてもおかしくなかった。遠目、家出をしてきた良家の人間に見えるためか、警察を含めた何人かはカナタに話しかけようと近づいた。
 だが、カナタの腕に巻き付く美しい銀色の蛇が、まるでそんな周囲を威嚇するかのように琥珀色の瞳を向けると、皆一様にして後退りをするのだ。
 カナタは、気にもせず周囲をぐるぐると見回す相棒をうんざりと見つめ、本日何度目かの質量の詰まった溜息を吐いた。

「――白哉。お前、姿消しなさいよ」
「は? 何でだよ」
「何でって、皆怖がってるでしょ、お前を」

 主人であるカナタの言葉を聞いても尚、白哉と呼ばれた蛇は小馬鹿にするように舌をチロチロと遊ばせた。

「姿消すってことは、依り代に戻れってか? 冗談じゃねー、あんな狭っ苦しくて窮屈な姿!」
「本来はあれがお前の姿だと思うんだけど」
「あーあーあー、新しいご主人さまは考え方が古い古い! 見た目だけかい、若いのは」

 もしこの蛇の姿が人間であれば、大げさに両手を広げ、天を仰いでその心情を訴えているのだろうとカナタの想像に難くなかった。使役からの侮辱に腹の底から静かな怒りが湧いたが、ここで口論をしたところで更に周囲から訝った視線を買うことになることは請け合いだ。
 白哉の言葉は、契約を交わしている人間にしか聞き取れない。この都会であるザバン市――たくさんの癖のある人間がいるはずであろう大都市で、蛇と共にいるだけで顰蹙を買うということは、ここで白哉と自分が会話でもしようものなら、どんな見世物になるか分からない。
 カナタは諭すことを諦め、目的の場所へ早く行こうと意識を持ち直すと、小声で未だ機嫌を損ねたままの蛇へ声をかける。

「白哉」
「あ? なんだよ、また依り代に戻れってか?」
「違うよ、その定食屋は、この道沿いでいいんだよね?」

 大都市のわりに人通りの少ない道を指せば、白哉は形のいい頭をこくりと上下に動かした。

「ああ。さっきそこのハンターの霊に聞いた。間違いねーよ」
「そこで注文するのは……」
「ステーキ定食。焼き加減は」
「弱火でじっくり、ね」
「OK、行こうぜ」

 カナタの確認に気をよくすると、白哉はくいっと首を伸ばす。カナタはこれから踏み込む世界に内心興奮しながらも、ただ一つ気がかりなことがあった。

(毒味されてない料理なんて、久々ね)

 こればかりは自分の生まれ育った環境のせいと思うしかないが、少しでも不安要素のある食べ物は口に含みたくないと思うのがカナタだった。元来猜疑心の強いタイプではないはずだが、家業や自分を取り巻く人間たちの種類から、自分は少し変えられてしまったのではないかと思う。
 自分の沈みかけた思考を読みとったのか、白哉はその琥珀をじっとカナタに向けてきた。その瞳は、さすがは全てを治める龍といったところだろうか。薄暗い場所も淡く照らし出し、見透かす眩さを持ち合わせている。

「おい、カナタ」
「――あんまり心配しないでよ、白哉。私なら大丈夫だから」

 大丈夫というのは、本心。しかし、心配しないでと言うわりに、この蛇の姿をした神龍に愛想を尽かされたら心細くてやっていけないと思うのも本心だ。
 自分の相反する、誤魔化し合いの合わせ鏡のような心を、白哉は黙って覗いている。

「……お前がそう言うのなら、俺は何も言わないぜ」
「ふふ、ありがとう」

(騙されてくれて)

 弱い心を、見て見ぬふりをしてくれて。
 虚勢はあくまで飾りものでも、様になればそれは真実だ。そうなるにはまだまだ自分には経験がなく、また一人で生きるにはつらい。強がりがいつか強がりではなくなる日まで。その日を迎えるためには、今から向かう試験に挑まなければならないのだ。
 故郷にいれば無縁だっただろう、ハンター試験。今となっては遠い国となってしまった故郷。帰るには、試験を突破するしかない。

「カナタ」

 強い響きを持つ声に、現実が見えた。

「しっかりしろよ。それにお前、さっきからしゃべり方が元に戻ってるぜ。男として通すんだろ、ここでは」
「あぁ、うん。そう、だね」

 思いのほか、歯切れの悪い返事になってしまった。

「……あいつは、お前を棄てたんじゃねぇ。お前を捲きこまないために、外に逃がしたんだ。愛を感じろ、愛を」

 白哉の言葉の中身よりも、不器用ながらも必死に慰めようとする彼の愛が温かかった。それでもそれを言うと怒られそうな気がして、カナタはただ笑うだけにとどまった。

「そうだな。とりあえず僕の目下の目標は、試験に受かること、だ」
「その通り。おら、分かったなら行くぞ」

 腕に巻きついた蛇に引っ張られたところで、なんてことはない。それでもカナタはその腕の重みが、力強さが、何よりもの支えだと思った。父から譲り受けたこの式神を、絶対に大切にしようと、腰に巻いた革の鞄をぎゅっと握りしめた。


Si*Si*Ciao