定食屋に入り、まずカナタの意識を持って行ったのはそこにいる人物よりも何よりも、その奥の部屋からだだ漏れる、深くどす暗い陰の気配。
 今は太陽が世を支配する時間だ。その時分に、こうした間逆の色をにじませるのは、他でもない。

(……白哉)
(あぁ。あの奥にいるな、「殺人鬼」が)

 カナタは決して人の心が読めるわけではない。また、白哉もそれを自ら命令もされずに行う使役ではない。しかし、自分たちはどうしても感じてしまうのだ。魄を亡くした、悲惨にもその意だけをこの世に残した者たちの気配を――

「お嬢ちゃん、注文は?」
「あ、えーと」

 久々に感じた重すぎる霊魂に眉をひそめていると、店主らしき人物が声をかけ、催促してきた。しかしカナタは一つ腑に落ちず、というかそのままにしておくのは今後の自分のためにはならないと、きりっと店主を睨みつけた。

「あの、僕、男ですから!」
「あぁそうかい、悪かったな、坊主。それで注文は何だい」

(な、なんかこの人、やたら態度がでかいわね)
(そりゃお前みたいな立場からすりゃ、どんな人間もそれなりに態度でかく感じるだろーぜ。それくらい覚悟しとけ。小さいことは気にすんなよ)

 諭す白哉の言うことはもっともで、正論だ。こんなことを気にしていたら、生活の違いを他人に悟られかねない。そうなっては面倒なことになるのはカナタにも易々と想像がつく。自分がこの世界に馴染むためにも、この店主を「気さくな人」と思うことにした。

「おじさん。僕、ステーキ定食で」
「……焼き方は?」

 どこか伺うように、試すように訊ねてくる男性。カナタはけれど臆せずに向かいあった。

「弱火でじっくり!」
「よし、分かった。おい、そこの坊主の案内頼むぞ!」

 店主が厨房に声をかけると、案内役だろうか、年若い女の子が一人パタパタと駆けつけた。なかなか顔も可愛く、見れば年齢も自分と相違ないように見受けられる。

(……こんな油くさいところで働いてるなんて。可愛いのに)
(バイトってやつだな、これもこっちじゃ普通のことだよ。っつーか頼むからお前、いい加減そういうの外に出すなよ?)
(わ、分かってるわよ!)
(これだから箱入り娘はよー)

 俺のこれからの気苦労が目に見えるぜ、とありもしない肩を竦める動作をする白い蛇を、カナタは苦々しく見やった。確かに、世間知らずなことは認める。なんせ育ったのは世界の中でも「未知の文化」と称される極東の島国で、しかもそこでは貴族として何不自由なく暮らしてきたのだ。旅立つ前に多少こちらの知識を齧ったところで、頭でかちであるだけなのは重々承知。
しかし、頭で思い描いただけの疑問にまでツッコんでくる白哉の手厳しさには、さすがに参る。
 そこでふと、少女の案内している先が先ほどから気分を害している「そこ」であると気付いて、カナタは慌てて彼女の裾を引いた。

「あの、ちょっと。もしかして僕、あそこの奥の部屋で食事を摂るんですか?」
「え? はい。先ほど確認しましたが……」
「げ」

 違うことに思考を取られていたためか、確認の返事がおざなりになっていたらしい。

「こちらのステーキを注文された方は、奥の別室でお待ちいただくことになっておりますので」
「や、全然、わっ……僕全然ここでかまわないんだけど! それになんかさホラ、先約いるみたいだし?」
「同席のお客様には既にご了承を得ておりますので、ご心配いりませんよ」

 「それに先約の方はお客様とお歳も近そうですし、大丈夫です」と和やかに笑う店員の彼女は、このむさ苦しい油の臭う安っぽい定食屋に咲く、一輪の花のようだ。しかし自分はそれには誤魔化されない。そもそも歳が近いから大丈夫ってなんだ! 問題なのはそこじゃない! ……とは、間違っても口には出せないが。
 何とか席を替えることは出来ないかと必死に思考を廻らしたが、手詰まりのようだ。少女はカナタにくるりと振り向くと、満面の笑みで「こちらへどうぞ」と扉を開いた。

(カナタ……もうここは、腹括るしかねーぜ)
(どうやらそのようね……)

 扉の隙間から漏れ出る亡き人のうめき声に、本当は異臭などしないはずが、無意識に袖を鼻に宛てていた。

 相当、殺してきてる――

 こんなにも死者に恨まれるとは、どんな人物なのか。その隙間の向こう側に鎮座しているであろう恐ろしい人物を、カナタは見つめる勇気などなかった。
 きらりと眩く煌めいた銀色が視界をかすめて、やけにその場に似合わない輝きに感じた。


*****


「まっさかあんたが男だなんてなー、びびったよ」
「はは、こっちも結構驚いたよ……」
「え、何で?」
「あ、いや、別に」

(人殺しがこんな無邪気な子供だなんて、誰が思うのよ!)

 これから食事を同席する少年は、自らをキルアと名乗った。スケボーを壁にかけ、肘をついて席に座るその様はまだまだ子供といった風に見てとれる。「ステーキまだかなぁ」と少しむくれて見せる顔など、正に年相応と言うに相応しい。
 けれど、多くの死者の悔恨が彼を取り巻くように渦巻いているのは、目を閉じても分かるほどだった。また、さきほどから感じる彼の気配。

(消すことになれてるな)
(うん。なんか、暗殺者を思い出す)
(それで間違いないんじゃねーか。俺がこいつの背負ってる霊に聞けば分かることだが……どうする?)
(うーん、そうねー)

「なぁなぁ、あんたカナタっていったっけ?」
「あぁ、うん」
「その蛇、なに? なんかタダものじゃないって感じするんだけど」

 鋭い。
 こちらを推し量るかのように見つめる猫のような瞳。こういう局面に慣れているのだろう、物おじしないその態度と、これまでの雰囲気などを照らし合わせれば、背後の霊に彼の身元を確認しなくとも結果は見えていると、カナタは白哉と目線を合わせた。

「あぁ、白哉っていう、うちに代々伝わる老蛇で、凄く博識なんだ」

 見せつけるように白哉の額を撫でてやる。滅多にしてやらないが、白哉はこれをやられるのがお気に入りらしい。嬉しそうに琥珀色を弓月型に変えると、カナタの首筋にすり寄ってきた。
 キルアは頬杖をついてそれを見る。

「へぇ、博識ねぇ。じゃ、人間の言葉が分かるわけ?」
「分かるよ。会話もできる。でも、こいつの言葉を理解出来るのは僕や家の者だけで、他の人間には伝わらないんだ」
「なるほど。しかし家に代々、ね……」

 興味深く覗きこんでくるキルアに、思わず身を引く。それを愉快そうに見ると、キルアは確信めいて笑った。

「あんた、いいとこのおぼっちゃんだろ」
「え……」
「あぁ、隠さなくていーよ。なんかそういうの分かっちゃうんだよね、オレ。長年の経験てやつ?」
「長年って……、キルア君、君いくつ?」

 確かに暗殺業となれば、それなりにたくさんの人種を見てきているんだろう。だが長年というには、まだまだ年若い気がする。自分と同じとしても、14、15歳くらいか。
 しかしそんなカナタの予想に反して、キルアはけろっと答えた。

「11。もうすぐ12になるけどね」
「ふーん、11歳……って、は?」
「そんな驚く? カナタも同じくらいだろ?」
「ぶ……、し、失礼な! これでも14歳だよ!」

(無礼な!って言いそうになった)
(おおー、よく堪えた)

 こちらの葛藤などいざ知らず、キルアはカナタの歳によほど驚いたらしい。その大きなネコ目を更に見開くと、おかしそうに笑いだした。

「は? 14? マジで? 超童顔なんだな」
「それは!……」

 自分が女だから――

(なんて、絶対言えないけど!)

 それにしても、ここまで馬鹿にされるのも癪だった。

「ねぇちょっと、そんな怒んないでよ。同じハンター目指す者どーし、仲良くしよーぜ」
「……僕、年上なのに。何で君が僕を慰めるの」
「そーゆーとこが年上らしくないからじゃね? なんか面倒見たくなるなー、あんたって」
「め、面倒って……!」

 思わず机をたたきつけると、腕に巻きついている白哉が心底おかしそうにシャー! と笑っていた。この姿が人間であったなら、きっと腹を抱えてその辺りで笑い転げているに違いない。

(みんなして馬鹿にして!)

 面倒。
 たしかに、祖国にいるときはそうだった。向こうでは、常に周囲の人間に、使役に、助けられていた。だが、カナタの父がこうしてカナタを外に放ったのは、一人で生きる力がこれから必要になってくるからだ。守られているだけではダメだと、彼はそう言っていた。
 その覚悟を踏みにじられた気がして、カナタはぷいっとキルアから視線を外す。

「なぁ、カナタってば。そんな怒んないでよ」
「うるさい、キルアの馬鹿」
「えー」

 ちょうど運び出されたステーキに、カナタはわざと意識をそちらに持っていくと、キルアの呼びかけを無視した。白哉は未だに笑っている。その白く輝く胴体にナイフを突き立ててやろうかと思ったところで、彼はびくりと身体を反らし笑いをひっこめた。
 カナタはやるせなさを込めるように、フォークをざくりとステーキに刺した。


Si*Si*Ciao