「ヌメーレ湿原。通称“詐欺師の塒”。二次試験はここを通っていかねばなりません」

 サトツの説明によれば、この先を通り抜くにはいかなる敵にも騙されないことが重要とのことだった。いかなる敵? 騙すのが敵なら、騙すのは、一体誰だ?

「おかしなこと言うぜ」

 脅しとも捉えられかねないサトツの言葉に、レオリオはまさかといったように笑ってみせた。
 確かに、騙されると解っていてそれに乗る人などそうはいないだろう。しかし、走りっぱなしで積もった極度の疲労感、周囲の見知らぬ受験生への不信感。そして、頼れるのは自分だけという、孤独感。その中で、果たしてどれだけ“普段通りの判断”が出来るのかと言われたら、カナタはサトツの警告を強くはね除けられなかった。
 その、正にカナタが気落ちしているその時だった。

「ウソだ! そいつはウソをついている!」

 張り上げられた声に、その場の全員が振り向いた。視線の先、カナタが身を強ばらせ目を凝らした先には、サトツを指指す男の姿があった。

「そいつはニセ者だ! 試験官じゃない! オレが本当の試験官だ!」

 傷を負ったその男が叫んだ内容に、辺りが一気にざわめきだす。カナタはいつの間にかレオリオの横にいたハンゾーから逃げるように身を隠すと、やってられないと息を溢した。

(アレから、人の気配なんてしないわ)
(正解。ま、魂の本質を扱う霊媒師が、ヒトとその他を間違うわけねーな)
(どっかの忍者さんは騙されかけてるみたいだけれど)
(それはただのバカだ)

 未だペラペラと喋り続けるニセ試験官は全く無視し、カナタは哀れんだ瞳でハンゾーを見つめた。人がいいというか、何というか。いつかそれが、仇とならなければいいが。
 強ばって損をした。こんな茶番になど付き合う気にもなれないと、体勢を楽にしようとした時だ。静寂が訪れた。周りの人間が、全ての言葉を飲み込んでいた。視線の先は皆同じだった。
 慌ててカナタは振り返った。そこにいたのは、

(奇術師――)

 例のニセ者は、何枚ものカードを顔面に刺され、倒れ込んでいる。

 あいつが、やったのか。

「どう、なってるの」

 呆然と呟けば、それを拾ったらしいクラピカが、固い声色で慎重に答えた。

「どんな力か分からないが……奴は危険だ。近付かない方がいい」
「クラピカ、あの人知ってるの?」

 驚いて聞けば、逆にクラピカは信じられないとでも言いたげにカナタを凝視した。

「カナタ、見ていなかったのか?奴が一次試験前、一人の受験者の両腕を切り落とし、再起不能にしたところを」

 そんなことが、あったのか? しかし、記憶を必死に辿るも、その光景を目にした覚えは全くなかった。決まり悪そうにカナタが首をかしげていると、白哉がそっと頭を垂らした。

(あの時だ。俺がお前らに説教してた)
(ああ、道理で知らないわけね)
(ちなみに、ハンゾーは目の端でしっかり見てたぜ)
(…………)

 白哉の小言は無視し、カナタはもう一度44番のプレートをつけた男を見る。サトツに対する態度からして、常に人を食ったようなその言動は、全く彼という人を掴ませない。生きている人間である奇術師なのに、どんな霊魂より不気味に思えた。

 ニセ者が、野鳥に喰われていく。カナタはそっと瞳を閉じた。騙さす、騙される――それはきっとヒトの性であり、突かれるのを一番恐れる、柔らかく弱いところだ。しかし、弱点に引きずられたままでは何も出来ない。ハンター試験は、何も人を疑うために受けに来たわけではない。むしろ――

(信じる心、その強さのために)

「カナタ、行こう」

 ハッとして、クラピカを見る。走り始めた集団にいながら、こちらを気遣う彼の土色の瞳。そして彼は、少しの躊躇いもなくカナタに手を伸ばした。

(手をとることは、悪いことじゃ、ないよね)

 信じてみようと、カナタはクラピカの手を取った。彼の背負う魂が、なぜか震えて見えたような気がした。


*****


 ぬかるんだ湿地を、足を取られないよう慎重に駆ける。これは先程の地下通路より余程神経を張り巡らさなければ、いつ足が止まるとも分からなかった。

「カナタ、気ィつけろよーお前」
「わ、分かってるよ!」

 やはり階段でクラピカに倒れこんだのが印象に残っているのか、レオリオはからかい混じりながらもカナタを励まそうと、肩を軽く叩いてきた。

(き、気安すぎる……)

 組手などの武道以外で、あまり人に(しかも男性に)触れられたことがなかったカナタは、レオリオのその友人のようなスキンシップがどこか慣れず、肌に合わなかった。

「……ご忠告どうも、レオリオ。貴方に迷惑はかけないよ」

 そのせいか、返す声は冷ややかだ。

「な、なんだよ、その冷たい視線は! クラピカとえらい違いじゃねーか!」
「仁徳ってものをご存知ないのかなー、レオリオは」

 ツンと澄まして言えば、「お前、可愛い顔して言うことえげつねーな」と、どこか引いた面持ちでこちらを見ていた。
 ちなみにカナタは男装していようがなんだろうが、基本的に性格は変えていない。何時もの通り思ったことを素直に述べたまでだったが、これはえげつないのか。

「そっか。僕の本心ってえげつないんだね」
「本心ってお前……その発言はオレへのトドメってやつだぜ……」
「二人とも、前を見ろ」

 無駄な体力を消耗したくないのか、一人冷静だったクラピカの静かな声が響く。レオリオはすぐにその言葉の忠告に気づいたらしかった。周囲を包み込むように広がる絹が、足音を立てずに近寄ってくる。

(――これは)

「霧か」

 目が霞み、視界が悪くなる。さっきまで確認出来ていたキルアの後ろ姿も、すぅっと霧に呑み込まれていった。何だかんだで一番最初に出来た知り合いだ。少しの心細さを感じたが、隣にいる二人の陽気なやりとりは見ていて楽しかったし、何よりクラピカの心遣い……踏み込みすぎない距離感は、カナタにとって安心できる要素だった。いつでも離れられて、離れてくれる立ち位置。猜疑心の強いカナタには、それくらいの方がありがたい。

「レオリオー! クラピカー! キルアが前に来た方がいいってさー!」

 前方からの突然の呼びかけに、当の呼ばれた二人は何とも気の抜けた表情をした。

「どアホー! 行けるならとっくに行ってるわい!」
「そこを何とか――!」

 やけになって言い返しているレオリオに緊張感ないなぁと笑えば、クラピカも横で微かに笑っていた。呆れたように、でもどこか優しげに瞳を細めて。

「クラピカって、そんな風に笑うんだね」
「なっ……」
「そっちのがいいよ」

 思ったことを口にしただけだった。けれどクラピカは顔を真っ赤にすると、口を閉ざしてしまった。

(あれ、私まずった?)

 また、本心というもので人を傷つけたのだろうか。不安に思ってクラピカを見つめると、話し合いが一段落したのか、レオリオがため息をついて戻ってきた。

「あー、お前なぁ、そーいうのをジゴロって言うんだぜ」
「ジゴロ?」
「よせ、レオリオ! そんなんじゃない!」
「そんな赤くしてよく言うぜ、クラピカ」

 何が彼をそう赤くさせるのか、クラピカはこの話を打ち切るかのように、慌てて話題を切り替えた。

「カナタ、あのキルアという少年と知り合いか?」
「え?」
「試験会場で一緒にいただろう。さっきも彼がこちらを気にして見ていたしな」
「そ、そうだったの」
「おいおい、それならあのツルッパゲ忍者は何だ? あいつ、さっきオレの近くにいたが、しきりに「カナタ様、大丈夫か……」って呟いてたぜ」
「なに? 忍と知り合いとは……カナタお前、いいところの出か?」

 クラピカの問いには答えず、カナタは呆然とする。そこまで自分が周囲から観察対象になっているとは思わなかった。まず、女子供が試験に参加する時点で目をつけられるのかもしれない。油断して色々とまずいことにならぬよう、カナタはもう一度気を引き締め直した。

「あの忍者は昔からの顔馴染みで、ハンゾーっていうんだ。キルアはこの試験会場まで一緒に来たという感じかな」
「お前、既に二人の男を毒牙に……末恐ろしい奴だぜ」
「は?」
「耳を貸すことはない、カナタ。いつものレオリオの下らない独り言だ」
「なんだとー!」

 キャンキャンと喚きあう二人に、体力なくすよーと声はかけたが、反応はなかった。このテンションにもだいぶ慣れはしたが、ケンカのきっかけが自分というのがどうも居心地が悪い。
 それにしても、ハンゾーはともかくキルアにまで心配される自分は、一体何なんだろう。そんなに女々しく見えるのだろうか。男装するからには、やはり男として違和感がないに尽きる。

(女だけど、もうちょっと鍛えようかしら)
(それより、ちゃんと名前を男モンに変えときゃよかったな。知り合いに毎回本名呼ばれてちゃ肝が冷えるぜ)
(ジャポン式の名前だから、男女の違いなんて気付かれず違和感持たれないと思ってたけど……ジャポンの忍者に様付けで呼ばれるなんて、やっぱおかしいわよね)
(まぁ、今更だなー)

 未だ口論の途中の二人を見る。せめてハンター試験の間、それだけは。その間だけは、何もかもから解放された自分として、出会った人たちと共にいたいと思った。


Si*Si*Ciao