後方から霧を散らして飛び交う断末魔が耳に入り、キルアは知らず舌打ちをした。

(ほら、言わんこっちゃないんだ)

 リミッターが外れたヒソカの餌食になった者たち。その行く末を想像しそうになって、直前で止めた。本来対象にしたくない彼が脳裏に過ってしまい、眉間にしわが寄る。
 オレと一緒に来てれば――
 そうは言っても後の祭りだった。もし彼が、カナタが次の会場にいつまでたっても辿り着かなかったのなら、そのときは。

(ま、しょせんそれまでの奴だった、ってことだよなー)

 割りきるのは簡単で、酷く慣れている。誰かの足元に感情を置いてくるなんて、そんな面倒なことは一切しないのがキルアだった。
 そのキルアの横で、未だ友人を心配しているのだろう、額に嫌な汗をかき不安げな顔をしているゴンに何故か苛立ち、名を呼んだ。しかし、返答はない。それが更にキルアの勘に障る。

「ゴン!」

 今度は咎めるように、強く。

「え、なに?」

(なにじゃねーよ)

 苛立ちは、言葉を跳ね上げた。

「ボヤッとすんなよ。人の心配してる場合じゃねーだろ」
「うん……」

 顔を固くするゴンを横目に、キルアは続ける。

「見ろよ、この霧。前を走る奴が霞んでるぜ。一度はぐれたらもうアウトさ」

焦りからか、ゴンはその言葉に周囲を伺うと、キルアを見上げた。キルアもまた、ゴンを見た。

「せいぜい友達の悲鳴が聞こえないように祈るんだな」

 瞳には、嘲りの色さえ浮かんでいるようだった。しかしゴンは口元を歪ませたキルアをじっと見つめると、確信めいた口調で言った。

「でもキルア、オレの友達と一緒にいる女の子、キルアの知り合いじゃないの?」

 一瞬だけ酸素が欠ける。予想してなかったが、そういえばゴンは野生児だったなと至って平然と受け答えた。

「なんだ、気付いてた?」
「うん。だってキルアあの子見てたし、あの子もキルアのこと見てたから」

 だが自分自身のならともかく、カナタの自分を気遣って向けていた視線にまでゴンが気付いていたというのが、キルアの何かに引っかかった。初めてカナタと出会ったハンター受験者は恐らく自分であろうに、なぜだか間に色んな人が入り組み、彼を探せなくなるのではないか――カナタは、きっと今頃自分なんか忘れて――そんなカナタへの嫉妬染みた理不尽な苛立ちが、渇いた拒絶感を招く。

「友達?」
「……そ、トモダチ」
「心配じゃないの?」

 きょとんと首を傾げ、尚訊ねるゴンの澄み切った瞳。今度こそ目を合わせられなくて、視線を切る。

「オレなんかに心配させてくれるような、優しい奴じゃねーよ」
「そうかなぁ」
「それにあいつ、男だぜ」
「え! 女の子かと思った」
「だろ。オレも最初は間違えた」

 出会いを思い出す。アンバランス。それが、キルアがカナタに抱いた第一印象だった。女みたいに柔和な気配の中に、凛とした瞳と腕に巻き付いた銀色の蛇が異質で、それなのに彼の纏う空気は、静寂に満ちていた。そのとりとめのなさが、興味を引いたのかもしれない。
 聞いたことのある男の声が響いたのは、そうしてキルアがカナタを思い出している時だった。隣の気配が僅かに揺らぐ。やばい、と思った時には、遅かった。

「レオリオ!」
「ゴン!」

 止める暇もなく仲間の元へと駆ける背中を、呆然と見送る。
 振り返って暫く固まったままだったが、周りの気配からサトツが消えかかっているのに気付くと、キルアは慌てて走り出した。

 止められない。
 引き返せない。
 こちら側へは、あちら側には。

(心配、か)

 そういう感情を持つことで、自分が救われるのか。心配すれば、ゴンは、カナタは、一緒にいてくれたのか。
 そもそも、心の底からヒトを心配するだなんて、出来ない。ゴンのようになりふり構わず助けに行けるほど、まっすぐじゃない。
 誰もいない自分の横を見て、キルアは自嘲する。横も先も後ろも、何も見えなかった。いるのはただ一人、自分だけ。
 さすがの野生児のゴンでも、ヒソカを相手にしたらひとたまりもないだろう。カナタは言わずもがな、だ。――】彼は何か、他の人間にはないナニかを持っていると感じたけど。だからこそ、淡い期待もしてしまうけれど。

(やっぱり、無理だったかな)

 友達なんて。


*****


 まるで舞いだ、と。
 カナタはその光景をただ見つめるしかなかった。
 神がかった、いや、悪魔が無邪気に、悪戯に引っ掻き回したかのような残酷な惨劇を。

「君ら全員不合格だね」

 薄ら笑いを浮かべながら、見下してそう言う目の前の奇術師は、地上に派遣された別世界からの殺戮者だった。

(こんな死が、あるだなんて)

 いきすぎた存在には、体が恐怖で震えもしない。それどころか、ヒソカとこの地獄絵図を前にして、カナタはただ冷静だった。

(おいカナタ! 結界だ! 早く!)

 他を圧倒する存在、光景。命の、終焉。それらを今まで祓った霊を通して疑似体験してきたカナタは、ああ、これが彼らの見た絶望だったのか、と泣きたくなるくらいの懐かしさを感じるのだ。胸を締め付けるような、死のいとおしさを。

「……カナタ、私の後ろにいろ」

 こんな時なのに、命の取り合いだというのに。横ではレオリオが決死の形相をしている。白哉が、急かしている。クラピカが、固まったままの自分を心配して言葉をかけてくれている。

 それなのに

(なぜ)
(こんなにも、穏やかに)

 思わず綻んだ瞳と合ったのは、細く殺気じみた瞳だった。彼の奥の魂が、歓喜に震えたのが分かる。

「残りは君達4人だけ」

 立ち竦む4人に向かって歩き出すヒソカの弾む心音が聞こえるようだった。魂のさざめき。レオリオの怒り、クラピカの冷静さが覆い隠した動揺、名も知らぬ格闘家の、諦め。

 全てが伝わってくる。
 これは

(カナタ、お前まさか)
(うん、なんかいつもより調子いいよ)

 こんなにも辺りは霧で霞んでいるのに、頭は冷えた冬の朝のように澄みきっていた。
 力がみなぎる。

「おい」

 ぷつり、と。緊迫していた糸が切れた。カナタははっとして横の格闘家を見上げる。逃げようと提案した彼の横顔は、屈辱に歯を食い縛っていた。
 3人が一呼吸置くのが分かった。しかし、カナタは頭を切り替えられずにいた。

「カナタ、ボヤッとしてんじゃねぇ!」

 レオリオが舌打ちをして走り去ったのを、どこか遠くで聞く。
 逃げられない。
 間に合わない。
 緊張の糸は、切れたままだ。

「やぁ、やっと挨拶ができるね。初めまして」

 ――あの笑みを貼り付けたヒソカが、目の前にいた。


Si*Si*Ciao