彼方なる火をつけて




虫取り網を片手に持って、蜻蛉や蛙を追っかけていた子どもの頃が懐かしい。両親共働きで鍵っ子だった私の記憶は八割はじめ、二割を徹が占めている。というのも岩泉家にお邪魔する機会が多かったから。あとは、そうだなあ。幼心にはじめのことが大好きで、一緒にいるのが嬉しかったからかもしれない。

とにかく良く遊んだ。性別なんて、ちびっ子たちには関係ない。バーベキューにと連れられた川のほとりで水切りしたり、探検だ、と棒っきれを振りながら近くの林に入ってみたり。日が暮れてからは石橋の上に寝っ転がって、今にも降ってきそうな星々を二人っきりで眺めたっけ。

鳥みたいなカジカの声が高いところで澄み透り、蛙の歌と虫の音が、せせらぎと共に鼓膜を揺する。いろんな音で溢れた世界は、けれど静かで心地いい。……ああ、そうだ。あの時とおんなじなんだ。


「なまえ。足もと、危ねえから」


おんなじ言葉で差し出された、ぶっきらぼうな手を握る。あの頃よりもずっとずっと大きくて、ごつごつしていてあったかい。体の厚みもずいぶん増して、背中だってこんなに広く男らしくなった。けれど変わらず私のことを大事に大事に想ってくれる、はじめの隣は息が楽。

雨上がりの湿った匂いが鼻腔を抜ける。石橋の真ん中あたりで立ち止まった彼は「結構飛んでんな」と、懐中電灯を消した。

ふわ、ふわ。ほう、ほう。

途端に浮かんだ数多の光は、まるで夜空の星が一度に全部降ってきて、そのまま浮遊しているよう。天の川や電飾なんて生ぬるい。見渡す限り辺り一面、星の海。


「きれい……」


思わず洩れた溜息に、幾千の光が呼応する。ゆったり灯った黄緑色が、ぼかすように消えては灯り、また消えて―――。両岸に並ぶ高い木々が月明かりさえも遮る中、静謐を纏う水面に淡く映り込んでいた。

すうっと昇る個体もいれば、真横や斜めへ泳いだり。はたまた下降し、光度を強めて共鳴したり。自在に闇夜を綾なす様は、さながら無数の流れ星。たった十日ほどで燃え尽きてしまう儚い祈り。


「久しぶりに見ると凄いね」
「だな。四年ぶりくれえか?」
「え、もっとじゃない? 成人してから来てないし……七年くらい?」
「もうそんなになんのか」
「早いよねー」
「……俺以外と来なかったんだな」
「ん?」
「おまえ、結構早くに車買ってたろ。友達とか乗せて来てんのかと思ってた」
「あー……全然来てないし教えてないよ。ほら、はじめと私の秘密の場所じゃん?」
「ふっ、……おう。良く覚えてたな」
「なんか急に思い出しちゃった」
「俺も。今言われて秒で出た」


行き交う冷光がほうっと照らす、可笑しそうな笑顔がいとしい。笑うと幼くなるの、ずるいよなあ。

山奥だからか、動かずじっとしているからか、暑さはさほど感じない。そうだなあ。しいていうなら重ねたままの手のひらが、じわじわ火照っているくらい。はじめの熱に包まれて汗ばむ心が、夏を吸った。


fin.
< 題材 / 蛍 >
2021合同夏企画【 盛夏の懺悔 】提出




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