あなただけに揺れたい




とんとん。切りそろえられた爪先が、問題集を軽く叩いた。


「ここ、こっちの公式使うといいよ」


まるで内緒話をするように小さく囁く優しい声。落ち着いていて穏やかで、たとえば真夏、川のほとりでさらさら流れる水の音によく似てる。あるいは風鈴。和室に続く縁側で、ちりんとかち合うガラスみたい。静かな場所ではすうっと馴染み、体育館ではよく通る。京治の声が好きだった。


「なまえ。俺ばっかり見てないで」
「、ごめん。どの公式だっけ?」


慌てて顔を俯けて、彼の指の先を追う。並ぶ記号に問題要項を当てはめて、再び意識を集中させた。幸い、頭の回転は速い方だと自負している。懇切丁寧に一から説明されずとも、自力ですらすら解けていく。いつの間にか引っ込んでいた京治の指も、青いグリップを持っていた。

部活休みのテスト期間。こうして二人で勉強するのは毎度お馴染みお約束。『梟谷?一緒だね』って話に華が咲いた中学三年の受験から、この関係は続いてる。どちらからともなく迎えに行って『お疲れさま』って視線を交わす。何を決めたわけでもなく、足は自然と進んでく。だあれもいない私の部屋で、向かい合う。


「終わった?」


ペンを置いてひと息つけば、京治は品良く目元をゆるめて微笑んだ。どうやら先に解き終わっていたらしい。ずっと見られていたのかな。それはちょっと恥ずかしい。顔に熱が集まって誤魔化すように頷けば、視界で揺れた前髪を長い指にすくわれた。


「伸びたね」
「……うん」
「伸ばすの?」
「迷ってる」


ああ、やっぱり見られてた。前髪の長さが気になるなんてもう確定。きれいな指先がくるりと回る。目にかかってしまうくらいの前髪を絡め取る。鬱陶しくて本当にどうしようか迷っているところ。いつも切っているけれど、耳にかけられるまで伸ばしてみたい気持ちもある。


「京治はさ」
「うん」
「切った方がいいと思う?」
「んー……言ったらそうするの?」
「わからないけど、たぶんね。自分で決められない気がするから」
「へえ。じゃあ切った方が好きかな」
「そっか。好み?」


というか、って。やわい響きが空気を渡る。


「なまえの顔がよく見えるから」


鼓膜を抜けて鼓室に残る僅かな余韻。
京治の声が、好きだと思う。


title 星食
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