酔う揺れる夜の淵




五人でテーブルを囲むなんていつ振りか。

思い出話を肴につまむご飯やお酒はとっても美味しく、身も心もすっかり満たされた夜更け過ぎ。お会計はもちろん割り勘。最初は、世界で活躍している及川の奢り!なんて冗談混じりに盛り上がったけれど、さすがに皆もう良い大人。そこら辺は弁えている。ちなみに私の分は「いうほど食ってねえだろ」と半分はじめが出してくれた。 確かに、まだまだ成長期ですって感じのメンズ四人には劣る。その分たくさん呑んだつもりだったけれど、まあ顔を立てる意味合いも含めて甘えておくことにした。

私が渋ることくらい、きっと彼は分かっている。分かった上で気遣ってくれている。全額じゃなく半分なのは、つまりそういうこと。また今度、何か違う形でお返しすればいい。


「はぁー死ぬほど食った」
「ご馳走様でした」


上機嫌な花巻と、お店への礼儀を忘れない松川に続いて外へ出る。冷ややかな風が頬を掠め、吐いた息が白く染まった。


「結構冷えんな」


並んだはじめに「お店暖かかったもんね」と微笑めば「な」って肯定しながら移動して、吹きつける北風を遮ってくれた。目敏く気付いた及川の「岩ちゃんやっさしー」って冷やかしを「うっせ」と軽く一蹴した低声が後ろへ飛ぶ。


「お前ら電車だっけか」
「おー、三駅だか四駅だか先のビジホとってる」
「ごめんね、こっちまで来てもらって……」
「全然。みょうじ明日仕事なんだろ?」
「俺ら休みだし気にしないで良いよ」
「そーそ。そんなことより、ちゃんと岩ちゃんに送ってもらいなよ?くれぐれも送り狼には気を付けてねー」
「ならねーよ。お前じゃあるまいし」
「ちょっとそれどういう意味!?真っ直ぐ純粋ですけど!?」
「ふは、本日七回目のデジャブ」
「マジ安定だわー」


浮かんだ笑みが、煌びやかなネオンに溶ける。宮城とは違った夜の中、ボールを追いかけてばかりいたあの頃に戻ったような錯覚が、懐かしさと名残惜しさを呼んだ。でも残念。宴もたけなわ。そろそろ良い時間。明日は大事な会議があって、あいにく休むわけにはいかない。

誰からともなく別れを交わし、手を振り合う。じゃあね。バイバイ。またその内。三人の大きな背中が駅方面へ遠ざかっていくと同時、歩き出したはじめは当然のように私の右手をすくった。

ひと回り大きく厚い手のひら。じんわり広がる体温に、つい頬が緩む。足を進めながら、このごつごつした節の感触が昔から好きだったと嬉しくなる。酔いか心の持ちようか。ふわふわする頭をそっと寄せれば、繋いだままの手を上着のポケットへお招きされた。くっついてて良いよってことかな。


「ごめんね」
「ん?」
「せっかくのメンツだし、一人で帰れるよって言おうか迷ったんだけど」
「ああ、気にすんな。お前一人で夜道歩かす方が心配だしな」
「……そうやって優先してくれるだろうなーって思ったから、やめたの。いつも有難う」


見上げた先、一瞥を寄越しただけの横顔は「……おう」とぶっきらぼうに応えた。鼻の頭と目元、それから耳がちょっと赤い。たぶん八割冬のせい。他二割は、私のせい。

微笑みながら横断歩道を渡る。いつも利用するガソリンスタンドを通り過ぎ、見慣れたコンビニを左折。言葉はさほど多くない。繋いだ手と触れ合う肩。沈黙さえ共有出来る私達には、それだけで充分だった。





部屋前まで送ると言って聞かないものだから、一緒にエレベーターで上階へ。ふと思い出されたのは及川の台詞。理性的なはじめに限って絶対にないだろうと確信しつつ、それでもこっそり膨れる期待を胸に自宅の鍵を開ける。ノブを下げて、扉を引いて。あっさり離されかけた手を捕まえながら振り返ったのは、たぶん反射。

少し高い位置の猫目が丸くなる。
本当、どこまでも良く出来た人。

やっぱり嬉しい。焦がれた最愛が傍に居て、可愛がってくれて、大切にしようと努めてくれて。そんなひとつひとつに何度も何度も惚れ直す。いつだって幸福が寄り添う時間は、ひどくなだらかに過ぎ行く。優しい温もりばかりが残存する。だからこそ、最近ちょっと物足りない。


「なまえ?」
「……良いの?」
「何がだよ」
「送り狼」
「、」
「なるなら今だけど」


瞠目したのち眉を寄せたはじめは「おま……」とか「そ……」とか、混乱具合が良く窺える単音をいくつかこぼして押し黙った。困っているようにも呆れているようにも見えないその表情は、正直意外だ。何言ってんだって笑って流すか、そういうこと軽く言うんじゃねえって叱るか、あるいは酔ってんのか?って心配するくらいだろうと思っていた。

いや、良いんだけど。期待はしていた。嘘じゃない。だから全然良いんだけれど、どうしようか。何か言わなくちゃって思うのに、上手く言葉が見つからない。だって今更引けない。冗談でした、なんて。こんなこと、冗談で言える女だと思われたくはない。

はじめだから何でもいい。どうなってもいい。ただ一緒に居たい。もっと触れていたい。まだ離れたくない。寂しい。好き。ねえ、はじめ。


「……んな顔すんな」


視界の真ん中。なんとも形容しがたい微妙な顔が近付いて、ぽすん。肩口へ埋まる。小さな溜息が上着に滲みて、うりうり押し付けられた鼻先や皮膚を擦る毛先がくすぐったい。間もなく腰へ回った片腕に引き寄せられ、ちょっと体が反ったのはご愛嬌。身長差も体格差も、どうしたって埋まるものじゃない。

掴んでいた手を離して背中へ這わせば、はじめもぎゅうっと両腕で抱き締めてくれた。熱が移ってほかほかぬくぬく。彼と居れば、夜も冬も寒くない。


「今日は帰す」


ぽつり。耳元で静かに揺蕩う大好きな声。


「そーいうのは休み前で、お前が明日昼まで寝れてゆっくり出来るって時に……その……、……」


言い淀んだ続きは紡がれないまま、肩が軽くなる。目と鼻の先。すぐそこで止まった瞳が小さく揺らぐ。吐息さえも聞こえてしまえる距離なのにキスもくれないなんて、一体何を考えているのやら。まあ大方、崩れかけの理性を必死で補強している最中だろうけど。


あんまりつつくと可哀想なので大人しく待ってみる。やがて「だからんな顔すんなって」と小さく苦笑したはじめは、観念したように首を傾けた。僅かに鼻先を持ち上げ、短い睫毛が視認出来たところで目を閉じる。瞬間触れたやわさはほんのり熱く、悪戯に下唇を食んでは離れていった。くっつけるだけで精一杯だった頃がちょっと懐かしい。

有難う。気をつけて帰ってね。おやすみ。

そんな、家まで送ってもらった時の決まり文句三拍子を並べ、今度は私からお返しのキス。嬉しそうな様子に溢れた“好き”は、ぎりぎり呑み込んだ。言わなくたって充分伝わっているだろうし、何より、私が我慢出来なくなりそうだった。


「おやすみ。会議頑張れよ」
「うん。また連絡するね」
「ん」


まるで猫を扱うよう。くしくし頭を撫でてくれたその手に促されるまま玄関へ。パタンと背後で扉が閉まり、未だ廊下で待っているだろうはじめに聞こえるくらい大きな音が出るよう、わざと荒く鍵をかけた。


fin.


Dear.「双子」あまかすちゃん*相互記念
request>>岩泉でお任せ




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