怪我で動けないところを助けられる




濡れた路面、降り頻る雨、刻一刻と迫る時間。塾開始まで後七分。なんとか間に合いたいと傘を握り締めて走っていたら、転けた。どうやらマンホールを踏んでしまったらしい。

咄嗟についた手のひらと打った膝がじんとして、どんどん湿っていく制服が張り付く。冷たい。ズキズキ痛む左足が言うことを聞かない。ちょっと動かしただけで激痛が走って、取り敢えず引き寄せた傘を肩で支えながら雨を凌ぐ。

幸い荷物はリュックの中。人通りはなく、こんな恥ずかしい姿を見られた様子もない。でも、もう嫌だ。何もかも全部投げ出してしまいたい。信号で待ちぼうけをくらって、踏切に引っ掛かって。思えば今日は散々だった。そもそも先生が終礼に無駄話を挟んだのがいけない。あれがなければ余裕で間に合っていたし、こんなに走ることもすっ転ぶことも足を捻ることもなかっただろう。


「はあ。取り敢えず遅刻のでん――……、?」


あれ。ポケットに手を突っ込んで気付く。スマホがない。もしや転んだ時に吹っ飛んだのかと視線を上げれば、案の定少し先で黒い画面が雨に打たれていた。多少の防水機能がついているとはいえ大丈夫だろうか。割れてないかな。もうほんと辛い。足痛い。

ちょっと半泣きになりながら、上昇し続けるストレス値を溜息に乗せて逃がす。未だズキズキする左足に負担をかけられる筈もなく、仕方なく無情なアスファルトに手をついた時。前方から走ってきた足音がそこで止まった。

スマホを拾い上げる無骨な手。傘に遮られている視界ではズボンの裾しか見えないけれど、チェックが入ったそれはうちの制服で。


「大丈夫か?みょうじ」


目前にしゃがんだ彼は、クラスメイトの岩泉だった。そこそこ気心の知れた仲である。いつもの顔がうるさい片割れはどうしたのか。一人だなんて珍しい。

驚きのあまり飛んだ痛みが、お礼と共にスマホを受け取ったところで返ってくる。私の顔が引き攣ったことに気付いた彼の眉間に皺が寄った。いつもなら強がるところ、今回ばかりは誤魔化せそうにないと知る。


「左か?」
「さすが。皆の岩ちゃんは目敏いね」
「言ってる場合か。立てるか?」
「……ちょっとじっとしてれば」
「立てねえな。分かった」


迷いなくエナメルバッグを回した岩泉から頭に被せられたのはふわふわのタオル。知らない柔軟剤の香りがぺトリコールを薄める。それから「乗れ」と広い背中が向けられて、再び痛みが飛んだのは言うまでもない。

数瞬のフリーズを経て、湧き出た申し訳なさのままに断れば「救急車呼ばれんのと俺に送られんの、どっちがいい」なんて究極の二択を迫られた。いくら激痛とはいえ、たぶん骨は無事だろう。ただの捻挫で救急車はさすがに恥ずかしい。ぐう。


「……岩泉さんをお願いしてもいいですか」
「おう」
「大変申し訳ございません」
「いいって。気にすんなっつー方が無理かもしれねえけど改まり過ぎ。乗れるか?」
「……肩、凄い引っ張るかも」


ただでさえ立ち上がれない今、自力でっていうのはどうにも難しい。けれど優しい岩泉は「そんくらい屁でもねえよ」と軽く笑いながら、大きな黒い傘を上げて入りやすいようにしてくれた。相変わらずナチュラルに男前な人だ。気遣いが凄い。

自分の傘は畳んで横へ置く。両手を伸ばし初めて触れた彼の肩はがっしりと逞しく、腰を上げるためにほぼ全体重をかけて引いたってびくともしない。右足さえ地面に着けばこっちのもの。遠慮がちに乗っかれば「持ってろ」って彼の傘を渡され、膝裏を支えられたかと思えばぐんと視界が高くなった。

塾とか電話しなきゃとか足痛いとか意外と恥ずかしいとか色々いよいよ吹っ飛んで、ただ伝わる体温とゼロ距離に、熱が、ふわり。


【夢BOX/道端で怪我して動けない夢主を助けてくれる岩ちゃん】




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