キスしたい




ムードを作るって中々難しい。無けなしのバイト代をはたいて買った話題の恋コスメリップを塗っても、上りのエスカレーターで先に乗って目線を合わせてみても、どうも意識してくれない。部活があって忙しい中、申し出れば時間を空けてくれるあたり愛されてるなあとは思うし別にそれはそれで良いんだけど、もうすぐ付き合って丸二年にしては“手を繋ぐだけ”である関係性に不満がないこともない。詰まるところ、そろそろキスがしたい。諸々信介が足りない。

だから夏休みに入ったここ一週間何かと頑張っているのだけれど、残念ながら成果は未だ出ず。いい加減ネット情報も尽きてきて、最早私にそういった魅力がないのではとすら思い始めている。いっそ露出の多い服で迫って、なんて愚考してみたけれど、はしたない行いは慎むべきだと直ぐに留まった。たぶん下品な女だと思われてしまう。難しい。


「なまえ、スイカ食べるか?」
「食べたい」


台所から顔を出した信介に頷いて、終わらせたプリントをファイルに仕舞う。「食べるって。俺持ってくわ」「ほんま。良かったわあ。ようさんもろたから遠慮せんとって言うたってねえ」なんて微笑ましい孫と祖母の会話が、暖簾を通して聞こえた。

程なくして切り分けられたスイカと麦茶、小分けのお摘みやお饅頭がテーブルへ追加され、漸く隣へ落ち着いた信介にお礼を告げる。「いっぱい食べや」と和らいだ目元につられ、私の頬も自然に緩んだ。風鈴がちりんと鳴って、二人揃っていただきます。二等辺三角形のスイカを手に取り甘味の詰まった頂角を齧れば、冷えた水分が口腔いっぱいに広がった。


「美味そうに食うな」
「めっちゃ美味しいもん。生き返る」
「なんや死んどったん?」
「、うん。課題多いし」


本当はそれだけじゃないけど、面と向かって言えるはずもない。

しゃくしゃくスイカを咀嚼しつつ、残っているプリントへ視線を落とす。もういっそ私から奪ってしまおうか、なんて出来そうもないことが脳裏を過ぎる。信介はどう思っているのか。お互い両親公認で、たまのオフ日に会っては一緒に課題を片付けたり話したり。それで満足なのか。

ティッシュに溜めた種と共に皮を捨てる。ウェットティッシュで手と口元を拭けば、リップの色が移っていた。律儀に続けているこれもたぶん意味がないだろうし、もう塗り直さなくていいかな。ぱたぱた折ってゴミ箱へぽい。さあ課題だと顔を上げれば、大きな瞳がこちらを見ていた。


「信介?」
「ん?」
「顔に穴あいてまう」
「そらあかんな」


ふ、と笑った視線が逸れる。


「いやな。最近唇ピンク色なん、塗っとったんかって思って」
「ああ、うん……」
「それ、恋コスメってやつなんやろ?」
「え、何で知っとんの?」
「昨日双子が言うてきた」


――最近、北さんの彼女さんリップ塗ってません?あれ恋コスメ言うて、彼氏がキスしたなるって謳い文句らしいっすよ。


信介の口から紡がれた再現台詞に、双子がからかいを込めて言いそうなことだと納得しつつ相槌を打ったのも束の間。一瞬にして沸騰した熱が顔中に集まって、思わず口角が引き攣った。

え、ちょぉ待って。嘘やろ。謳い文句を知っとるってことは、つまり、彼氏イコール信介がキスしたなるように私がつけてるって、そう思われてるってこと?え、嘘やん。いや、間違ってへんから別にええんやけど。むしろ好都合なんかもしいひんけど、なんか、ええ……めっちゃ恥ずいやんこんなん……。


せり上がる羞恥のあまり、伏せた顔を両手で覆う。図星だと分かったのか、珍しく声をあげて笑った信介は「小細工せんとしたらええのに」ってよしよし頭を撫でて可愛がってくれた。



【夢BOX/キスしたいがなかなかきっかけが作れない夢主と「小細工せんとすればええやろ」と男前発言をする北さん】




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