アザレアを抱いて




何があっても冷静でいてね。
いつものプロヒーローでいてね。
被害は最小限に抑えようね。

短気な彼の神経を逆撫でしないように気をつけながら、口酸っぱくそう言い聞かせたあの努力は、いったい何だったのか。


大きなビルは瓦礫と化し、捕獲対象である敵はボロボロ。たぶん生きてはいる。それでも、担架で運ばれていく傷だらけの姿は人形のようだった。誰の仕業かなんて聞かなくても分かる。鼻腔に残る甘いニトロの香り。私が散々言い聞かせた張本人であり、今をときめく若手プロヒーローであり、世間様には内緒で付き合っている恋人だった。



寄ってきた救護班の手当てを笑顔で断り、他へ向かわせる。眉を寄せた彼は「どこが大丈夫だクソノロマ」と、私の腕を掴んでズカズカ歩き出した。降ってくる報道陣の声を「うるせえ!」と一蹴し、ヒーローらしからぬ悪印象を与えながら連れていかれた先は、誰の目も届かない瓦礫の影。

目隠しを下げた爆心地もとい勝己に肩を押され、そのまま顎をすくい上げられる。いったい何をするのかと思えば、顰められた顔が近付いて、べろり。血が固まり始めている頬の傷を舐めあげられた。マジか勝己。ばっちいしそこそこ痛い。


「ちょっとかつ―――」
「なまえ」


遮るように地を這った低音は、随分と怒っていた。私だって怒りたいけれど、途中までは確かに理性的だった彼のスイッチが切り替わってしまった原因の予想がついている以上、黙るほかない。舐められた頬の傷。じんじんと痛むこれがたぶん、全ての元凶。

両手首を捕らわれ「他は」って凄まれる。ちょっとでも気が逸れてくれたらなあと思って「何が?」ってとぼけた振りをしてみたら、苛立ちをそのまま映した舌打ちが寄越された。


「怪我に決まってんだろカス」
「ないよ。大丈夫」
「てめえの大丈夫は信用ならねえんだよ」
「……ごめん」


少し迷いながら、吐き捨てられた言葉を謝罪で包む。彼に対しての最善なんてよく分からなかった。けれど、一緒に過ごした時間分だけ慣れてきているのだろう。曲げられたへの字口に、今回は正解だったらしいと知る。


「ごめんね、勝己」


そう追い打ちをかけてやれば、まるでピンと立っていた動物の耳がゆっくり下がっていくように、目前の赤い瞳は落ち着いていった。ぎゅうっと抱き締められて、強く香る甘い香り。


「……ンな雑魚に傷つけられてんじゃねえわ」


耳元でこぼされた声は、もう怒ってはいなくて。

解放された腕を、そっと広い背中へ回す。同じプロヒーローとして言わなきゃいけないことはたくさんあるけれど、とりあえず今は「有難う」で良いのかな。ね、勝己。



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