愛で殺して




新人の受け入れ準備だ事務所既定だマニュアルはどこだなんだと忙しいこの季節。凝り固まった首を伸ばしながらデスク上のカレンダーを見遣れば、今日の日付を囲む赤丸が目に留まった。


はて、何かあっただろうか。

提出期限はまだ先だし、そもそも書類関係は頭の中で把握出来ている。飲み会シーズンもとっくに過ぎた。休みをとっていないってことは、遊ぶ予定でもない。首を傾げつつ、そろえた報告書をホッチキスでとめていく。

パチン、パチン。パチン、パチン。
ぼうっと考えながら規則的に手を動かしていた時、

「ッ…――」

鋭い痛みが、人差し指を刺した。


びくりと引き攣った肩をごまかし、痛いって声はすんでのところでのみ込む。まさか、ホッチキスで自分の指をとめそうになるとは思わなかった。なんとも情けない。

じんじん熱を持ち始めた指から慎重に針を抜いて、ティッシュを押し当てる。消毒液はどこだったかな。それにしても痛い。滲んでいく赤色に比例して、涙が薄い膜を張る。ちょっと動けそうにないくらい痛い。かと言って同僚の手を止めるわけにもいかず、ただ黙って耐えていると、手元に影が落ちた。

顔を上げる間もなく、背後から伸びてきた手に手を掴まれる。


「何しとんだドジ」


鼓膜のすぐ隣。この場で聞こえるはずのない低音が、溜息混じりに吐き出された。途端、まるでパズルのピースがかっちりはまったように、今日の日付と赤丸の理由が浮かぶ。

あの印は、そうだ。


「誕生日おめでとう」


振り向いた先にいたヒーロースーツ姿の勝己は、驚いたように目を丸めて「場所考えろや」と、真顔で私の頭をはたいた。
加減はしてくれているんだろうけど一切遠慮のない打撃に、忘れかけていた指先の痛みが戻ってくる。ついでに言うなら、オフィス中から集まった視線も刺さっている。

忘れてた、早く言わなきゃって焦りから、咄嗟に口をついて出てしまったけれど、確かに今言うことではなかった。恥ずかしい。私にとってはただの爆豪勝己でも、世の市民にとっては今をときめくプロヒーローだ。いろんなことがあり過ぎて、すっかりとんでしまっていた。


「何でうちにいるの?用事?」
「んなことより行くぞ」


グイッと腕を引かれるままに腰が浮く。大丈夫だと遠慮する時間も、どこに行くのかと尋ねる余裕も与えてはくれなかった。

少しもつれた足をなんとか床につけ、あちこちからの視線を諸共せずに廊下を進む大きな背中へついていく。勝己の足が止まったのは、事務所から少し離れた休憩室の手洗い場だった。

腕を引く手は相変わらず強引なのに、傷口を洗ってくれる指先は、いっそむず痒くなるくらいに優しい。あの暴君だった勝己が世話を焼いてくれるようになったのは、プロになって少し経った頃からだろうか。こうして、学生の頃とは明らかに変わった成長を目にする度、好きだなあって惚れ直す。

タオルで水気を取ってから貼られた絆創膏は、ついこの間私があげたハリネズミ柄。


「持っててくれたの?これ」
「入れっぱだっただけだ。勘違いすんなクソドジ」
「ぐ……返す言葉もございません……色々ごめん……」


鼻を鳴らした勝己の瞳が細まって、室内を窺うように視線が動いた。

どうしたの。そう声をかける前に「ん」と眼前に寄せられたのは、端整な顔。

何を求められているのか分からず、滅多とない至近距離に、ただただ鼓動が大きく騒ぐ。絞り出した声は、少し震えた。


「か、勝己…」
「んだ」
「あの、近くない…?」
「うっせえな。さっさとしろや」
「えっ…な、何を…?」
「あ"?普通分かんだろが…」


小さな舌打ちに、思わず後退した背中が壁に当たる。


「逃げんな」


言葉と共に、顔横へそえられた腕。逃げ場を塞がれ、少し傾いた勝己の顔が視界いっぱいに広がっていく。

いつにも増して強く綺麗な赤い瞳。捕らわれた視線は、もう逸らせなくて。


「……俺の誕生日、忘れてただろ」
「っ…ごめ、」
「いい、謝んな。怒ってねえ」


囁くような、呟くような、絆すような、低く甘い声。肌に触れる吐息に心拍数が跳ね上がる。顔が熱い。まるでからかうようにほんの少し細められた瞳が、満足気に笑う。


「てめぇからのキスで許してやるっつっとんだ。感謝しろやクソなまえ」



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