戻る場所




「いった」


げし、と蹴られた背中に、思わず声が出た。
私の知る限り、こんなことをする奴は一人しかいない。振り向けば想像していた通りのツンツン頭がいて、冬仕様の黒いコスチュームが存在感を放っていた。


「どしたの?」
「ツラ貸せ」
「なんてガラの悪い呼び出し」
「うるせえ。黙って来いやカス」


はいはい行けばいいんですねーなんて微笑ましく思いながら、私の身をさり気なく心配してくれたお茶子ちゃんに手を振る。大丈夫、間違ってもカツアゲではない。

こうした呼び出しは月に何度かあるけれど、皆が思っているような不穏な事情は一切ないのだ。


連れられるままに待機室を出て、廊下から少し窪んでいる非常口前スペースへ身を隠す。本当は空き教室でもあれば良いんだろうけれど、仕方ない。モニタールームや保管室がいくつも点在するこの棟は、繊細な設備が多いせいか、厳重に管理されている。勝己もそれを知っているから、ちょっとした死角になるこの場所を選んだのだろう。


あまり変わらない位置にあるルビーが、まるで催促するように細められる。いつも通りに首を傾ければ、ぽふり。
なんとも可愛らしい効果音がつきそうなほど柔らかく顔を埋めた勝己は、ゆっくり息を吐いた。

何かあるのか、単にくっつきたいのか。聞いても答えてくれないので、心の中は分からない。ただ、時折こうして、私の肩で落ち着くためだけに呼び出される。

ちなみに、背中や頭を撫でると"余計なことすんじゃねえ"って怒られるし、ちょっとでも動こうものなら"じっとしてろ"ってやっぱり怒られる。自分だけくっついてもいいなんて、相変わらず俺様な面は何も変わらない。


「演習、負けないでね」
「誰に向かって言っとんだ。勝つわ」


勝己が喋る度、もごもごと布越しに伝わる唇の感触や吐息が、皮膚の上を滑る。くすぐったさに小さく笑いながら許容して間もなく。離れていった温度が、少し名残惜しかった。



back