一生分の奇跡のはなし




泣きたくなるのは初めてじゃない。恵まれない家庭で育った。決して劣悪な環境ではなかったけれど、明るい会話も笑顔もない親元で過ごしてきた。勝己と同じ雄英に行きたくて、でもお金がないからってやめたことはそう遠くない記憶の断片。奨学金を受けられるような特待生に、私の頭と個性じゃなれなかった。夢のまた夢。

人生は産まれた瞬間から、既に三分の一くらいは決まっているように思う。親を選べない子ども、子どもを選べない親。どっちも可哀想。

いろんなことを我慢して諦めて、その度に枕を濡らして無力さを嘆いて。だから余計に、何でも持っている彼が羨ましかった。優しいお父さん、快活で綺麗なお母さん、大きなお家、愛情溢れる家庭、優秀な個性、申し分ない実力、整った容姿、強い心。本当に全部、喉から手が出るものばかり。彼が悪いんじゃない。私の運が悪いだけ。

泣いた日は片手の指じゃあ到底足りない。片手両足追加しても全然足りない。まるでハズレくじ。そんな私だけれど神様が生んだ六十億分の一であることに変わりはなく、授けられた幸福はビックリちゃんと存在する。分不相応なそれは、この心中を容易く透かす宝石のような赤い瞳を細めた。


「また何も言わねえつもりか」
「……ごめん」
「謝れって意味じゃねえ」


別れ際。家まで送ってくれた勝己に問答無用で正面から抱き締められ、思わず滲んだ涙がシャツを湿らせる。

愛おしい。恋しい。折角会えたのにもうバイバイ。一日ってあっという間。また明日から、機械越しの声を望むだけの日々が始まる。まだ離れたくない。困らせちゃいけない。もう少し傍にいたい。負担になりたくない。相反する思いがせめぎ合う。別に世界が終わるわけでなし、勝己が背を向けるまでのたった数秒笑って手を振ればいいだけなのに、全く弱い女でごめんなさい。


「たく、泣き虫」
「……幻滅した?」
「なわけねえだろ」


頭上から降ってきた声が当たり前のように優しく響く。「こっちはてめえが思ってる以上に惚れとんだクソ……」って溜息混じりの呟きが鼓膜を伝い、脳を一周。喉を降下し、今にも穴があいてしまいそうな侘しい心を丸ごと包む。


「耐えることに慣れんな。我慢すんのがイコール普通っつー概念は捨てろ」


反応を窺いながら紡がれる言葉のやわらかさったら、きっと赤ちゃんの頬っぺた以上。他人に対する態度と百八十度異なる丁重な扱いは、寂しがり屋な独占欲を呆気なく満たしていく。

基本的に勝己は、私を独りぼっちにしない。一歩下がれば振り向いて、立ち止まったら戻ってきて、進めなくなったら手を引いて。間違っても『大丈夫』なんて強がらせてくれない。だから結局、我儘を差し出す羽目になる。そうしていつも、それのどこが我儘なんだって怒られる。理想像の塊みたいな人に、目いっぱい愛される。


「まだ、一緒にいたい」
「ん」


良く言えました。背中をぽんぽん叩く大きな手は、そんな意味合いを孕んでいた。



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