どうかそのまま、愛を叫べ




伏し目がちな長い睫毛。瞬きをする度に揺れるその隙間から覗くのは、淡いライラックの瞳。
薄く形のいい唇は控えめな色合いのリップで彩られ、まるで陽の光など知らないかのような肌は、透き通るように白い。

素材の良さを十二分に理解している薄化粧と、低身長ながら均整のとれた華奢なスタイルは、学生だった頃と何も変わっていないように思う。いや、少し痩せたか。良く分からん。

とにかく、入学当初からどこにいても人目をひいて、卒業最後の日に俺が好きだと言い逃げした教え子は「二十歳になりました」と、随分綺麗に微笑んだ。


「おめでとう。もうそんな歳か」
「はい。おかげ様で未成年卒業です」
「そうか。元気そうで何よりだ」


あの頃のように頭を撫でてやると、嬉しそうに瞳が細められる。綺麗になったな、なんて言葉は、俺が言うべきではないような気がして呑み込んだ。

少し話したいと言うので、特別に給湯室へ連れて行く。誰もいないことが多い室内は、やはり今日も静かで、話すには丁度いい空間だった。
インスタントコーヒーにミルクと砂糖をいれて出してやってから、自分の分をいれて腰を下ろす。小さくお礼を述べたみょうじは、少し緊張しているのか、細く息を吐き出した。


「仕事は順調か?」
「はい。あんまりメディアには出てませんけど、この間警察から感謝状が届きました」
「頑張ってるんだな」
「まだまだですけどね」


褒めてやる度、嬉しそうに笑みをこぼすみょうじに、胸の奥が緩やかな熱を帯びる。

昔から、そこにいるだけで場の空気を柔らかくしてしまえる存在だった。ふわふわとしていて、その実、とても芯が強い。泣いている姿を見たことは一度もなく、当時はそれが不安の種だったと懐かしさに浸る。


「先生も、元気そうで良かったです」


俯きがちに紡がれた言葉と控えめな笑い方に重なったのは、懐かしいついでに思い出した、あの日の表情。胸に卒業生の花をつけたみょうじの姿をこんなにも鮮明に覚えているのは、応えてやれなかった後悔があるからか、独りよがりな未練か。

あいにく、さっきから俺の手元へと向けられている視線の意味に気づかないほど鈍くはない。何を探しているのかなんて聞くまでもなく、そこでようやく、二十歳という節目にわざわざ会いに来た理由に気付く。


「いないよ」
「え…?」
「探してるだろ、指輪」


まるで図星だと答えているように、華奢な肩がぴくりと跳ねた。焦ったように瞬きを繰り返す度、長い睫毛がぱちぱちと音を立てる。えっと、その、と小さな唇を開閉させる姿に、失礼だと分かっていながらも笑ってしまえば、みるみる内に白い頬が染めあがっていくのだから面白い。


「っわ、笑わないでください」
「すまん、つい」
「もう…」


節目というのは、便利な言葉だ。どちらに転んでも、何もない時より割り切ってしまいやすい。

見た目だけは随分と大人びたみょうじは、子どもっぽくそっぽを向いてコーヒーを啜る。落ち着くまでに、そう時間は要しなかった。赤みの引いた肌は白く、伏せられたライラックが小さく揺れたかと思うと、鈴のような優しい音が、ぽつりぽつりと大気を震わせる。


「まだ高校生だし、どうせ私なんてダメだろうから言えたらいいやって、あの頃は思ってたんです。離れたら、気持ちも治まるかなって」

「でもやっぱり、ふとした瞬間に会いたくなるんです。仕事が終わった後とか、ちょっと疲れたなって時に、先生のことを思い出すんです」

「未成年の内は相手にしてくれないし迷惑もかかるって分かってたし、先生は大人なお姉さんの方が好きそうだし……だから、せめて成人してから会いに行こうって。もし結婚してたらちゃんと諦めようって、ずっと決めてました」


だんだんと消え入りそうになっていた声が、しゃんと背筋を伸ばしていく。
眉を下げて、それでもこちらを真っ直ぐに見る瞳に滲んでいるのは、不安と緊張と、とても柔らかな愛情だった。


「相澤先生が好きです」


コーヒーの香りが漂う静かな室内。
淡く優しく、それでいて少し寂しそうに響いた声が、胸に落ちる。
それほど出来た男でもないのに、何年もの間、どれだけ想い悩んでくれていたのかを知る。期待を一切抱かず、言外に、ふられる準備は出来ていると訴えかける眼差しがいじらしくて、こんなにも愛おしい。


「…何か勘違いしているようだが、大人のお姉さんが好みなわけじゃないから、安心しなさい」


ぬるくなったコーヒーを置いて、小さな頭をくしゃくしゃと撫ぜる。少し屈んで合わせた視線の先。控えめな色合いのリップで彩られた、薄く形のいい唇に、自分のそれを重ねる。瞳をおおきく見開いたみょうじは「夢見たい」と、泣いた。




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