密やかに燻べる




お隣りさんであり、幼馴染みであり、きっと親よりも互いのことをよく知っている私達は、どの友達よりもずっと近くて、端から見れば恋人同士のような距離が当たり前だった。あれやそれで話は通じるし、何も言わなくたって求めているものは大体分かる。喜怒哀楽もそれとなく感じ取れる。なんとなく寒いなとか、なんとなくお腹がすいたなってタイミングもほぼ同じ。

だからか、私に対して、勝己が暴言を吐くことは殆どない。

この間、知らない女の子からのラブレターを突っ返していた勝己に、せっかくの高校生なのだから彼女でも作ったらどうかと言えば「傍に置いてやってもいいのはてめえくらいだわ」と、なかばプロポーズのようにもとれる言葉を吐き捨てられた。私も同様に、勝己なら一緒にいてもいいかなあ、と思う。手を繋いだりキスをしたり、そんなものは別になくていい。私たちに、繋ぎ止めるための行為は必要じゃなかった。曖昧な関係と干渉し過ぎない距離が丁度よくて、まるでぬるま湯に浸っているような、静かで温かい空気感が好きだった。


「なまえ」


不意に呼ばれた名前に、顔を上げる。
私を見下ろす勝己の瞳が細められたかと思うと、眉間にシワを寄せながら、至極面倒くさそうに扉の方を顎でしゃくった。
どうしてそんなに不機嫌なんだろうか。クラスの誰かと口喧嘩をした時のような露骨さはなく、赤い瞳の奥で燻っているような、私しか気付かないような、とても密やかな違和感。

疑問に思いながら視線を移せば、扉の所で立っている男子生徒が見えた。特徴のない黒髪と、勝己とは正反対の垂れた目。
覚えのある顔だった。名前は知らない。この間、委員会で一緒に仕事をしただけの、経営科の人。


「あの人が呼んでるの?」
「…ん」


不思議。ずっと逸らされることのない視線が、行くな、と言っているように感じられて、思いがけない感覚に言葉が出ない。
どれくらい、そのままでいただろうか。とても長いように感じられて、たぶん、数十秒くらいの沈黙。今まで勝己から向けられたことのないそれは、いくら待っても決して口に出されることはなく、けれど、早く行けとも言わない。


私はどうするのが正解なんだろう、と赤い瞳を見つめながら考える。せっかくヒーロー科まで来てくれた委員会の人を無視することも出来ないし、かと言って、勝己を放っておくことも難しい。私が考えていることを、勝己もまた感じ取ったのだろう。ほんの一瞬だけ揺れた赤色が伏せられ「呼んでんぞ」と紡いだ。普段よりも小さく、呟くような声に、私の思考はふわりと纏まる。


「勝己も来て」
「は?」
「良いから」
「っ、おい」


どちらも捨てきれないのなら、どちらも手に取ってしまえばいい。

驚く勝己の、温かい手を引いて扉に向かう。
大人へ近付くにつれて繋ぐ機会が薄れたそれは、小学生の頃よりもごつごつとしていて、私の手なんて簡単に覆えてしまいそうなほど、大きくなっていた。男の子っていうのは、私が想像していたよりもうんと早く成長するらしい。

勝己と一緒に来たものだから、きっとびっくりしたのだろう。
垂れ目の彼は、どうやら私が置き忘れていたプリントを届けに来てくれたようで「彼氏だったんだね」と勝己を一瞥してから、帰って行った。久しく耳にしていなかった言葉に思わず勝己を見上げると、勝己も私を見下ろしていて。


「彼氏だって」
「んなことしてっからそう見えんだろ」


ぷんぷん、と握ったままの手が揺らされ、私も揺れる。雑な動作はいつものことで、優しいって言葉が世界一似合いそうにない瞳も、いつも通りに戻っていた。

小さな燻りは、もう微塵も窺えなかった。



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