シトラスが見た夢




※甘やかなシトラス の続き



結局なまえは保健室に寄ることなく、そのまま早退した。
解熱剤も冷えピタもスポーツ飲料も部屋にあるというのだから、もしかすると、元々熱が出やすい体質なのかもしれない。随分しんどいだろう状態でさえ、あれだけ分かりにくいのだ。周りに気付かれないよう日頃から注意しているのだとすれば、頼るに頼れない環境は、手を叩いて喜べたものじゃない。



明日の授業で使うプリントをまとめ、机の上を片付ける。
「あれ、イレイザー帰んの?」と顔を上げたマイクに適当な返事をしてから、ゼリー飲料をいくつか持って職員室を出た。

体調は悪化していないだろうか。
寮へ向かう足が、自然と早くなる。仮にもヒーローを目指す卵で、自分のことは自分で対処出来る年齢だと分かってはいても、心配なものは心配だった。俺らしくない感情の変化を、また一つ自覚する。





「みょうじ、大丈夫か」


ノックをしながら声を掛けると、少しして扉が開いた。真っ暗な室内から覗いたのは部屋着姿のなまえで、思わず伸びそうになった手を慌てて引っ込める。触れるのは部屋に入ってからと、先にゼリー飲料が入った袋を渡してやれば、真っ白な頬がゆるやかに綻んだ。


「体調は?」
「大丈夫です。マシになりました」
「そうか」


灯りをつけて、ベッドへ腰掛けたなまえの額へ触れる。自分のそれと比べてみると、言葉通り熱は下がっているようで、顔色も随分良い。


「さっきシャワー浴びて、ヤオモモちゃんが作ってくれたお粥食べたんです」
「丁度落ち着いたとこか」
「タイミングばっちりですよ。本当に来てくれて嬉しいです」
「言ったことは守るよ」


穏やかに微笑む顔には、それでも変わらず、疲れが窺えた。
お茶を出そうとする手を制してカーペットに腰をおろせば、ベッドからずり落ちるように隣へ座る華奢な体躯。寝てなさいと注意すると、困ったように眉を下げて、曖昧に笑う。


「…好きです」


小さく、呟くようにこぼされた言葉。
今にも泣き出しそうな瞳を誤魔化すように伏せたなまえは、それ以上、何も言わなかった。

ベッドに背を預け、三角に折った膝を抱える。髪に隠された表情は見えない。まるで胸の内を押し留めるような仕草は、俺が告白に負けたあの日から、目にすることが増えたように思う。

こうしてなまえが、何も求められず、頼れないでいる原因は、もしかすると俺にあるのかもしれない。
思えば、何度も聞いた"好きです"は、いつも応えを待ってはいなかった。つい数時間前だってそうだ。控えめながら寄ってはくるくせに、たったの一度も傍にいて欲しいとは言わなかった。今までなまえから要求されたことと言えば、付き合ってくださいの一言だけ。

聞き分けが良く賢い、というのは、ある意味考えものだと息をつく。


「…なまえ」
「?」
「もう少し、ワガママでもいいんだぞ」


声をかけた途端、弾かれたように顔を上げた彼女の瞳が、こぼれそうな程大きく丸められた。

あまり望み通りにしてやれないかもしれないが、なにも仕方なく付き合っているわけではない。少なからず、それなりの好意はあるし、大事にしてやりたいと思っているからこそ、こうして傍にいる。


「時と場合によるが、基本的にして欲しいことは素直に言え」


ぱちぱち。
瞬きを繰り返す度に揺れる長い睫毛。
小さく開かれた唇が、震える。


「消太さんが好きです」


真っ直ぐに目を見て紡がれたそれは、今までとは違った響きを伴って広がっていく。

逸らされない視線。緩く重ねられた手。あたたかい温度。
それら全てに、今、彼女が俺の返事を待っているということを教えられる。

年甲斐もなくそわそわと落ち着かないこれは、気恥しさのせいか。けれどそんなもの、なまえの笑顔と比べるまでもなかった。


「俺も、お前が好きだよ」




back