零落の意味を知るのはあなたただひとり




昔の話、悲しいことなんてなんにもないのに、気付いたら泣いていたことがある。朝起きて遮光カーテンを尻目に学校行かなきゃなあってじっとしていたら、勝手に涙が溢れてしまって、どうにもこうにも止まらなくって。もちろん酷い顔を引っさげて登校出来るはずもなく、元気なのに、と戸惑った覚えがある。

今思えば、勉強だったり環境だったり人間関係だったり、そこそこ青いなりに背負っていたのだろう。けれど当時はさほど苦しくなかったし、ましてや自分が疲れている、なんて自覚もない。ただ笑顔を作り“大丈夫”と言い聞かせていた。だからこそ限界を超えた涙腺が、自発的に危険信号を発したのだろう。人間っていうのは、ほんとに良く出来た生き物だ。懐かしい。

慰めてくれたのは、裏の家に住む勝己だった。たぶん先生に『ご近所だから、今日のプリント持って行ってあげてね』とかなんとか言われ、みみっちくも断れずに渋々来たのだろう。彼は私の顔を見るなり眉を寄せ、それから呆れたように鼻で笑ったのだ。


「クソみてえな声だな」


ああ、懐かしい。懐かしいね。まさか社会人にもなって、おんなじ台詞を聞くとはね。笑っちゃう。


「パトロール中?」
「ちげーわ。クソ泣き虫のためにわざわざ調整してやったんだよ」
「クソ泣き虫って」
「否定出来ねーだろ」
「まあそうだけど」


はらはら。はらはら。後から後から溢れ出て、頬を伝ってはこぼれ落ちる水滴を服の裾で拭われる。「名前で呼んでよ」って苦笑すれば「なまえ」と、珍しく素直に応じてくれた。まるでかき抱くよう少々雑に、けれどしっかり抱き締められる。


プロヒーローになっても言動の荒さは変わらない。鼓膜に馴染む低音や苛立ちを隠そうともしない舌打ち、皮膚から心に滲みゆく高い体温も同様に、いつだって勝己は勝己だ。まったく嫌になるほど聡くて強くて、迷わない。私のことを私よりも理解していて、忙しい日々の合間でさえ時間を作って来てくれる。どうも痛みに鈍い私を、言葉のいらないぶっきらぼうな優しさで包んでくれる。

背中をあやす大きな手に、安心感が浮き立って、けれど涙はとまらない。

おかしいな。辛くない。悲しくない。苦しくない。なのに勝己の服は、どんどん湿っていってしまう。はてさて、今回は何が原因か。思い当たることと言えば仕事くらい。新人、って響きに甘えられなくなってきて、出来ることと責任が比例して増えていく。役に立ちたい、期待に応えたい、失望されたくない。そう毎日必死に生きて、それがたぶんいつの間にか随分重くなってしまっていたのだろう。立ち止まれば良かったのに、気付きさえしなかった。どころか、私より頑張っている人がたくさんいるって思っていた。


「ごめんね勝己。なんかダメだったみたい」
「遅ぇわ鈍感」
「そんなこと言って、いつも来てくれるね」
「たりめえだろ。この俺がてめえの女独りで泣かすかよ」
「うん。そうだね。ありがとう」


降ってきたのは私のための溜息で、はらはら、はらはら。嬉しくって泣いてしまう。ねえ勝己。あがっていいから、部屋の中でもっとたくさん名前を呼んで、抱き締めながら叱ってよ。



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