牙がとけたら海になる




内側へこもる熱。重い瞼に眩む視界。まるで酩酊しているよう。そう冗談めかして笑う余裕があったなら、まだ自分でどうこう出来ただろうにおあいにく。開いた口から、けれど酸素は入ってこない。熱風ばかりが喉を焼き、肺と皮膚を炙りゆく。

あつい、なんてもんじゃない。

アスファルトから数十センチ。ゆらゆら揺れる陽炎が、色鮮やかに酷暑を謳う。だんだん息が荒くなり、やっぱり呼吸が苦しくなる。今までどうしてたんだっけ。なにか言ってる勝己の声が聞こえない。そのくせ蝉が、鼓膜の傍でミンミンジージー鳴いている。おかしいなあ。こんなに暑くて仕方がないのに一滴だって汗が出ない。

気付いた途端、頭の天辺からドッと伸しかかった倦怠感に血の気が失せた。ぐらり。世界がうねって―――ぽすん。傾いた私を抱き留めたのは、引き締まった硬い腕。足に力が入らなくって寄りかかる。ごめん。紡いだ言葉は、果たして音になっただろうか。分からない。酸素に飢えた自分の吐息が内耳を這って、蝉の声がわずらわしい。


手近なシャツへ縋った指が、ぬるい温度に捕まった。決して軽くはないはずの、私の体を易々支える勝己の瞳が視界に迫る。まっすぐ見つめた惑星は太陽よりも赤くて綺麗で、あまりに静か。


「なまえ。俺がいる。安心しろ」


抱えんぞ。言うが早いか体が浮いて、連れられたのは近所の公園。緑豊かで細長く、遊具がないのでジョギング兼お散歩コースとして親しまれている。

木陰のベンチへ私を下ろした勝己は「すぐ戻っから待ってろ」と、意識があることを確認するなり走っていった。


はるか頭上で生い茂る、木々の涼度が熱気をさらう。ギラギラとした日射しは遠く遮られ、鳥の声が音の世界を緩和する。ようやく吸えた空気が美味しい。揺れる緑の隙間から、青い空がサラサラ覗く。

戻ってきた足音は、心なしか焦っていた。顔を向けた勝己の手には、拳だいに丸められた白いシャツ。公園内に点在する水道で濡らしてきたのだろう。ぽたぽた水が滴るそれが、首の裏へ差し入れられた。項も襟も肌も湿って随分涼しい。ついでに買ってきたらしいペットボトルで、脇の下を冷やされる。


「ちったぁマシか」
「ん。ごめん、服、」
「減るモンじゃねえ。気にすんな」
「……ありがと」


微笑みかければ、タンクトップ姿の勝己はぶっきらぼうに下唇を尖らせて、それから「おう」とそっぽを向いた。

猛暑なめんな、体調管理がなってねえ、やばいと思ったらすぐ頼れ。私が自覚しているそれぞれを、わざわざ責めることはしない。ただ手を繋ぎ、汗ばむ指を嫌がることなく絡めてくれた。


fin.
< 題材 / 熱中症 >
2021合同夏企画【 盛夏の懺悔 】提出




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