さびしいどうぶつたち




布一枚隔てていても雑音は消えない。女子高生が笑いながら通り過ぎ、子どもを呼ぶ親の声が大気を抜けた。草臥れたスーツ、大きなカバンを抱えた専門学生の溜息、ティッシュを配る手、雑踏。街並みを形成するそれら全て、染めゆく夕陽が煩わしい。

フードを目深に被りなおす。脇へ逸れ、ひんやり冷たい日陰へ溶ける。入り組んだ路地の更に奥。ひっそり佇むバーの扉を背に女がひとり、しゃがんでいた。脱色を繰り返したのだろうベージュ以上に薄い色をしたその髪には、覚えがあった。


「こんなとこで客待ちか?なまえ」
「……失礼だなぁ。あなた待ちですよ、荼毘くん」


小さな頭が持ち上がる。別段驚いた様子はない。涙袋まで伸びた前髪。そこから覗く緋色の瞳が、ゆったり弛む。ゆるり、ゆらり。気付かぬうちに見つめてしまっていた中、世間一般的に可愛いと評されるだろう幼さの残る顔立ちが「ちょっと会いたくなっちゃってさ」と艶やかに微笑む。

相変わらず不思議な感覚を植え付けてくる女だ。面と向かってその眼を見ると、一瞬にして世界が無になる。風音さえも静まり、彼女以外、文字通り何も見えなくなる。いつだったかそう伝えた時『まるで恋をしてるみたいに?』なんてニヤニヤされた。おそらく彼女はそういう個性の持ち主で、だからこそ、顔にそぐわぬネオン街で男女問わず客引きをしているのだろう。『ねえフードのお兄さん』と顔を覗き込まれたことは、そう遠くない記憶として今も胸に残っている。

決して親しい間柄ではない。ただ気に入っている。俺はなまえ特有の奇妙な浮遊感を。なまえもおそらく、俺の何かがどこかに引っ掛かっている。


「まだ開店してねえぞ」
「知ってる。もうすぐ開く?」
「さぁな」
「えーー気まぐれ営業は困っちゃうなぁ」


くすくす笑い、伸ばされた細腕。催促するようにぱくぱく動いた指ごと掴んで引き起こしてやれば、立ち上がったなまえがよろけた。どうやら足が痺れているらしい。来るかどうかもハッキリしない俺を待って、一体どれほどここに居たのか。

眉を下げ「ちょっと待ってね」と、恥ずかしそうに苦笑したその手を握って遊ぶ。細く柔らかい女の手。折ってしまいそうで怖いような、ずっと触っていたいような、綺麗なものであるかのような、薄汚れているような。


「……呑みに来たのか?」
「荼毘くんとね」
「へぇ。そりゃご苦労なこって」
「ぺらっぺらじゃん。もうちょっとこう……なんかない?」
「例えば?」
「来てくれて有難う、とか、待っててくれて嬉しいよ、とか」
「……ねぇな」
「だよねー」


そもそも期待していなかったのだろう。あっさり引いた彼女は、軽く足踏みをしながら俺の手をすりすり撫でた。皮膚と皮膚の繋ぎ目をなぞり痛がらないことを確認しつつ、やけにやんわり指を絡める。

嫌いじゃない。爪の先まで白い指も、なまえが醸す空気感も、声のトーンも容姿も色も、「荼毘くん」と呼んでは数瞬俺の視線を捕らえるその両の眼も、五感をいたぶる全てが消えるこの安楽も――。


title すいせい
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