未来透視少女




あと三日。猶予は、たった三日。
その間に決断しないと、たぶん、大勢の人が死ぬ。

四日目の午後三時二十八分。正に今、私が腰を落ち着けているこの演習場が血の海と化す。未来を透視するこの個性が視せる光景は、押し寄せる敵連合の群れと、ただただ鮮やかに舞う赤。圧倒的な恐怖を前に何も出来なくて、見知った仲間が傷付いて、声すら出なくて、

――ブツリ。

あれから何度続きを視ようとしても、必ず同じところでブラックアウトする。まるでこれ以上を拒むように、自分で自分を護るように、いつもその先には進めない。フィルムを巻き戻しただけの映像が、チリチリ胸を焼く。

いっそただの悪夢なら。そう逃避しようにも、現実は待ってくれやしない。敵連合の目的が私だってところが、また笑えなかった。



目を閉じて、考える。

例えば授業を休めば。四日目の午後、この演習場に私がいなければ。敵連合は帰るかもしれないし、事前に察知して私の部屋に来るかもしれない。来ないかもしれない。でも、それが最善だとは到底言えそうにない。私が連れ去られるだけならまだしも、他の選択肢が拭いきれない時点で、ただ事態を先延ばしにしただけだった。標的が移る可能性も低いように思う。つまりこれからこの先ずっと、雄英高校にとっての私は不安因子でしかない。


嫌な汗が、背中を伝う。

お腹がすいた。喉が渇いた。そんなことより、張り裂けそうな胸が痛い。


分かっている。本当は分かっている。雄英の皆を安全圏へ追いやるには、私が消えればいいってこと。英雄になるって夢を諦めて、誰も巻き込まないような場所で暮らせばいいってこと。それくらい、皆の命と天秤にかけるまでもないってこと。

けどどうしたって、もう少しを願ってしまう。やっと雄英に受かったのに。血の滲むような努力をしてきたのに。せっかく、自分の無力さを思い知るだけの個性を好きになれそうだったのに。そんなどうしようもない未練がつらつら浮かぶ私は、なんて卑しくて、なんて醜いのだろう。重力に従って地面を色濃く染める涙さえ、今は憎い。こんなもの、弱さの象徴でしかない。私には似合わない。泣くな。前を向け。

思いはすれど拭う気力さえ湧かずに放っていたら、見付かった。いつだってぶっきらぼうな優しさで私を絆す低音に、見付けられてしまった。


「制服、汚れるぞ」


そっと背中に添えられた温もりは、幾度となく触れたいと思った手のひら。

俯いて顔を隠す。でもきっと、泣いていることはバレただろう。だって、すぐ隣で揺れた空気が固まった。「どうした」って鼓膜を撫でる声は、まるで窺うよう。どこまで触れていいものか、迷っているよう。

思わず笑ってしまいながら、自主退学の話をするなら今かなあなんてスカートを握る。どうせ担任である相澤先生を避けては通れない。多くの生徒を見てきたからか、はたまたプロだからか。その辺の大人より何倍も何十倍も敏いこの人を、さあ。どうやって誤魔化そう。


「いいんです」


既にいろんなものが綯い交ぜになっている頭で、それでも必死に言葉を探す。心臓の内側から全身に広がっていく痛みに背を丸め、何度も反芻した最善を虚勢ばかりが付き纏う声で象る。大丈夫。涙は勝手に出ているだけ。こんなもの、ただの水滴と同じ。きちんと閉めなかった蛇口から垂れるあれと変わらない。

ねえ、先生。
私のことを何だかんだ支えてくれて、前を向けるようほんのちょっと助けてくれて、たまにはちゃんと叱ってくれて、泣きたい時はいつも見付けてくれて、何をするでもなく隣にいてくれた相澤先生。


「ごめん、なさい」
「……」
「演習とか、個性を伸ばすとか、もう辛くて」
「……」
「だから、」
「辞めたいなら好きにしろ」


想像よりも呆気ない先回りに、喉が詰まる。


「やる気がない奴の面倒を見てやるほど、俺は寛容じゃない」


ひどく突き放すような言い方だった。私がどれだけ先生を見て来たか先生だって知っているはずなのに、まるで他人行儀。でも良かった。私の夢も初恋も、全部全部これで良い。



心の中で『知ってますよ』なんて笑って、呼吸が止まってしまわないように息を吐く。暗闇へ吸い込まれていく涙を見送りながら、嘘がバレなくて良かったと安堵する。悲しさは押し込めた。痛みにも慣れてきた。

なのに、膝を抱えたままの腕が引かれた。

反射的且つ強制的に上がった視線の先。一定の距離を置いてそこにいた相澤先生は、心の底まで透かすような、とても静かな眼をしていた。


「このまま言ってみろ」
「……何を、ですか」
「今さっき言ったことだよ。俺の目を見て、もう一回言ってみろ」
「……」
「……」
「……、っ、」
「なあみょうじ」
「……っ、はい……」
「お前は、お前が思ってるほど演技派じゃねえぞ」


どくり。

鼓動が鳴って、じわり。


一気に滲んだ視界の中、輪郭を失った世界がぼやけて、溶けて。瞼を下ろし、ひとり遮った気になったところで、諭すような優しさを孕んだ声も未だ触れている人肌の温度も、全然消えてくれやしなくて。溜息に乗って届いた「やっぱりな」に、縋ってしまいたくて。

ねえ、ごめん。ごめんなさい。
ここには、棄てきれないものが多すぎる。



次から次へと溢れ出る涙を引っ込めるなんて無謀なことは早々に諦め、震える声で先生の名前を呼んだ。たったそれだけで、言わんとしていることが分かったのだろう。何も口にしないまま。咎めることも促すことも、慰めることだってしないまま。

ただ幾度となく世界を救ってきたであろう大きなその手で、初めて、私の頭を引き寄せてくれた。



(Special Thank’s* 月花さま)




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