専有




ノックはしないまま、控えめに声を掛ける。もし眠っていたら気付かないくらいのボリューム。それで良かった。睡眠の邪魔をするつもりは毛頭ない。けれど幸い、まだ起きていたらしい。また医学書でも読んでいたのか。静かに開いた扉から顔を覗かせた治崎さんは、普段と変わりない表情で「どうした」と言った。


「一緒に寝てもいいですか」
「眠れないのか」
「はい」


刹那、すうっと細まった瞳に思わず苦笑する。別に嘘をついているわけではないけれど、なんだか罪悪感。貧血気味なことも体調が優れないことも今がそういう時期だってことも、だからここに来たってこともたぶんこれはバレている。私相手だから余計に、敏い彼は無意識下で気付いてくれる。


「治崎さんの声、落ち着くんです」


誤魔化しがてら微笑を乗せた言葉に偽りはない。

あまり抑揚がない一定の低い音。腹痛を抑える音なんてものがあるけれど、治崎さんの声はそれに近かった。もしくは精神安定剤。少し大袈裟に聞こえるかな。まあ何だっていい。


息を吐いた治崎さんは半身を僅かに引いた。お伺いを立てる前に「寝に来たんだろ」とベッドへ促され、嬉しさを胸に潜り込む。冷たい布団の中、戻ってきたのは鈍い痛み。下腹部を押さえて背を丸める。細めた視界に影が落ちたかと思えば、やわらかく頭を撫でられた。


「薬は飲んだのか」
「はい。やっぱり分かりました?」
「そんな時でもなければ俺の部屋に来ないだろ」
「そうでしたっけ」
「遠慮ばかりのくせに良く言う」
「結構甘えてますよ」
「ほう。俺に合わせて控えているんじゃなかったのか?」
「あ」


そうだった。そんな話をついこの間したばかりだ。取り繕う言葉を考える間もなく、治崎さんは口端で小さく笑った。


「悪い。意地悪を言った」


電気が消され、望んでいた温もりが隣へやってくる。端に寄ろうとする私の腰を捕らえてそうっと抱き寄せてくれた腕は、扱い方が分からないと眉を寄せていた頃に比べて随分熟れていた。私が彼をそうさせたのだと思うと、なんだか贅沢な心地になる。

この体温を知っているのは私ひとり。
この世界に、私だけ。

まあ、お風呂に入ってからでないと触れることさえ許されないのだけれど。


「治崎さん」
「ん?」
「何か喋ってください」
「無茶を言うな」
「お腹痛いです」
「……」
「ねえ、治崎さん」
「……」
「治崎さん」


きゅ、と服を掴んで顔を上げる。目と鼻の先。そんな距離で困ったように顰められる端正な顔。


「早く寝ろ」
「んむ、」


なかば押さえるように後頭部を引き寄せられ、しっかりした胸板に額が埋まる。とくん、とくん。薄い皮膚を通して伝わるのは穏やかな心音。頭の中でいつだって思い出せる彼の声と相俟って、痛みが薄らいでいく。


「おやすみ、なまえ」


おやすみなさい。治崎さん。



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