深愛の淵でそっと




ねえ相澤先生。
ちょっとだけ、慰めて欲しいんです。

そう微笑みかけると、先生は溜息を吐いて「俺を犯罪者にしたいのか」と呆れたように頬杖をついた。一瞬驚いて、ああそういうことかって理解する。慰めるって表現が良くなかった。大人って難しい。難しいことばかりを考えすぎていけない。


「そのままの意味ですよ、先生」
「具体的には?」
「ただぎゅうってして欲しいだけです」
「……」
「意外そうな顔ですね」
「……まあ、お前がそんなことを言うとは思わなかったな」
「でしょうね。私もそう思います」


寄越された静かな視線に、また微笑む。

今まで聞き分け良く生きてきた。親の言うことを呑み身勝手な大人の都合に黙って従っていれば、私は良い子だった。いつだって良い子でいる必要があった。その方が生きやすいと知っていたから。息がしやすいと学んだから。

でも先生の前では、ただの女の子で居てみたかった。我儘が許されるなら甘えてみたかった。ほんのちょっとだけ。ほんの少しだけ。ほんのもう少しだけ。だから身を引くことは難しくない。


「すみません、冗談です」


口を噤んだままの先生へ、忘れてくださいと微笑む。おやすみなさいと、先生の匂いがするベッドへ潜り込む。

こうしてここで眠りに着く権利が当たり前のように与えられている時点で、充分贅沢三昧な自覚はあった。甘やかされているし、甘えさせてくれている。分かっている。だから別に、ただの戯言と捉えてくれて良かった。これ以上の贅沢は、きっとバチが当たる。そう目を閉じる。けれど私を呼ぶ耳障りのいい低音があまりに優しくて、ダメだった。「本当に冗談で良いのか」なんて。

何で聞くかなあ。ねえ、先生。


「良くないって言ったら、どうします?」
「どうもこうも。ただ、出来る限り応えてやりたいとは思ってるよ」


人の気配が近付いて、ギシリ。ベッドが沈むと同時にスプリングが軋む。降ってきたのは、そこそこ真剣に見える真っ直ぐな視線。

優しい人。ずいぶん上手に世間を騙してきた私の笑顔を見透かしては、傷んだこの心さえも容易く抱き上げてくれる人。だからこそ惹かれて、こんなにも好きになって、何もかも全部奪って欲しいと思えるのか。


「じゃあ、このまま食べられたいです」
「それはダメ」


卒業までとっておきなさい。

思いやりをこめかみへ差し入れる無骨な指。まるで宥めるようにゆっくり髪を梳いていく温度が、ひどく愛おしかった。



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