僕らの愛の話




指先で喉を撫でる。今朝からずうっと居座っている異物感がきもちわるい。水を飲んでも米を飲んでも取れないこれは、寝ぼけ眼で呑んでしまった舌ピアスのボールキャッチ。大きさは直径5mm。医療用のハサミやメスに使われている、耐久性に優れたサージカルステンレス製。

別に害はない。人間っていうのは良く出来ている生き物で、体内に入った不純物はそのうち下から排出される。誤飲したのも恥ずかしながら三回目。いや、寝ている間にはずれていたのは初めてだけど、それでもまあ不安や心配なんてものは全然ない。呼吸は正常。飲食にだって支障無し。ただ不快感が募りに募って、微塵も課題に集中出来ない。喉にずっとなにかいる。いうなれば呑み込みきれなかった錠剤、あるいは小さな飴が引っかかっている感じ。いっそ胃まで入ってくれればいいものを上にも下にも動かずじまい。気になって仕方がない。

喉の中心を指で揉む。向かい側、相変わらずの顰めっ面と目が合った。


「どうかしたんか」
「ん?」
「喉。朝から触ってんだろ」
「……良く見てるね」
「目に付いただけだ。勘違いすんじゃねえ」


それは無意識に私を見ているからじゃ、と思ったけれど、最悪部屋ごと吹っ飛びかねないので自重した。かわりに「ピアスのキャッチ呑んじゃってまだここにいんの」と自身の喉を指し示す。真ん中らへん。男であれば喉仏が浮き出ていただろう位置の奥。薄い皮膚越し、ほんのり膨らんでいる程度の甲状軟骨を少し押す。

眉間の皺を深めた勝己は「舌になんざあけてっからだろ」と呆れ混じりに吐き捨てた。


「んでンなとこあけとんだ」
「んー……消去法」
「は?」
「耳はもう、これ以上あけたらバランス良くないし、眉とか口とか手とか足とか、体の表面は戦う時に邪魔でしょ? 引っかかったら痛いし」
「そこまでして穴増やす必要ねえだろ」
「まあ、勝己はそうだよね」
「あ゙?」


しまった。

気付いたところでもう遅く、前言撤回の余地はない。不機嫌を隠そうともしない鋭利な睨みが突き刺さり、謝ることさえ許されない。そもそも“ごめんなさい”だなんて言葉は、彼の前では無意味も同然だった。一度せり上がってしまった溜飲をさげるには、なぜそう言ったのか、どうしてそう思ったのか説明する方が断然早い。勝己は直情型でありながら賢く聡い。決して頭も悪くなかった。だから一から三くらいまで説明し、理解や異見を仰ぐ。もちろん人に寄る―――たとえば緑谷なんかは説明さえ聞き入れてもらえない―――けれど、私の場合はそれが一番の最適解。

まずは名前を呼ぶ。「勝己」って。そうすることで彼の意識を手繰り寄せ、聞く態勢に入らせる。余計な考えや苛立ちが彼の意識を阻害してしまわないよう、邪魔をしないよう。それからしっかり瞳を見つめ「私ね」と言葉を送り込む。


「雄英に来る前、運命を変えたかったの。丁度ピアスをあけると変わる、ってジンクスが流行っててね。迷信だって分かってたけど、それでもやっちゃうくらい弱ってた」


個性に恵まれた。ただそれだけでヒーローへの道を強制された私の空は、あの時どうしようもなく灰色だった。弱音も何も言えなくて、みんなの期待ばかりが重い。本当は嫌だと叫びたいのに、取り巻く環境が良しとしない。麻痺した体は習慣的に前へ進んで、心だけが置いてきぼり。自分が自分でない感覚。早い話が分離状態。だから繋ぎ合わせるための何かが必要だった。その何かが、私にとってはピアスに纏わるジンクスであり、針が貫通する痛みだった。

ピアッサーで両耳朶に計九個。ニードルで軟骨部分に計六個。臍に一つ。鎖骨に二つ。舌に一つ。安定しなくて塞いだ箇所もあるけれど、雄英で勝己と出会うまで、だんだん増えた結果が現状。

私は弱さを抱えたまんま生きている。風通しのいい心と同じ、自ら穴だらけにしたこの体だからこそ乖離せずに息が出来る。


「勝己は私と違って強いから、こんなことしなくたって大丈夫だったって思ってる。だからさっき『勝己はそうだよね』って言ったの」
「……チッ、雑魚が」


ほら、おさまった。
悪態をつきながらそっぽを向いた赤い瞳が戻ってくる。


「で? 変わったんか。運命ってやつ」
「まあ……でも別にピアスをあけたからってわけじゃなかったかな。どっちかっていうと、何か変わったらいいなって神経尖らせてたおかげで些細な変化に気付けただけ、って感じ」
「ハッ、わざわざ痛ぇ思いして収穫無しかよ。世話ねえな」
「うん、そうだね。くだらないと思うよ。私も」


でもあの頃は、そんなくだらないことが唯一の味方だった。上辺だけのお友達。手を叩いて称賛するばかりの大人。興味があるのは個性だけ。将来自分のステータスになりえるかもしれない、輝かしい未来だけ。誰も私を見てくれなかった。



俯きがちに、喉を撫でる。空気が揺れ、腰を上げては隣にしゃがんだ勝己の指が重なった。驚く間もなく、静かな瞳に「なまえ」と覗かれる。


「もう増やさねぇんか」
「……」


さっきより、ずっとずっと近い距離。大気を渡った低声が、鼓膜を小さく震わせた。息が詰まる。まさか訊かれるだなんて思ってなくて、咄嗟の返事が出てこない。心の準備も出来ていない。一体何が、彼の機嫌を良い方向へ押しやったのか。間近で艷めく赤色は、めずらしく答えを待っていた。


「今は、勝己がいるから……」
「あける場所がねえから、じゃねえのかよ」
「、」


引き上がった口端。薄い唇が弧を描き、そんな意地の悪い笑い方さえ似合ってしまうのだからずるい。思わず呼吸も忘れて見蕩れてしまえば「腑抜けた面」と馬鹿にされ、けれど、喉を押した力加減はやわかった。


title 四月




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