声援




何から手を付ければいいかも分からなかった荷造りが終わり、キャリーを閉める。見回した限りの変化と言えば化粧品がなくなったくらいなのに、なんとなく部屋が片付いたように見えるのは気待ちの問題か。

全く、出張だなんてついてない。会社の期待は嬉しいけれど、反面、荷が重い。寂しさと不安と、後何だろうな。長く家をあけるのは初めてで、形容しがたい感覚が胸の奥で燻る。


お風呂に入ってご飯を食べて、早々に自室へこもったかっちゃんは、今頃筋トレの真っ最中だろう。

付き合って四年。同棲を始めて三年。籍を入れて五年。愛しの嫁が初めて二週間も留守にするっていうのに、出立前夜でさえいつも通りなのは、なんだかなあ。まあかっちゃんらしいと言えばらしいし、私だってつい強がって平気な振りをしてしまっているのだから、とやかく言えた義理ではないんだけれど。なんだかなあ。



フローリングに座ったまま、ベッドへ項垂れる。このままじゃあ眠れそうにない。お気に入りの香水でもつけて落ち着こうか。なんて悶々としていれば、背後で扉が開く音。のっそり振り向くと「ンだそのザマは」って鼻で笑われた。出張と誰かさんのせいですよ。


「筋トレ終わったの?」
「おう」
「……」


皮肉たっぷりの台詞すら軽く流され、口が尖る。いっそこのまま不貞寝してやろうか。今なら出来そうな気がする。そう目を閉じれば「もうお眠か?」と、雑に髪を掻き撫でられた。かっちゃんの体重分だけ沈んだベッドが軋む。


「別にお眠じゃないけど」
「なら起きろ。まだ髪濡れてんじゃねえか」
「乾かしてくれるの?」
「はあ? ったく、しゃーねえな……」


文句の一つもなくごそごそ用意されたのは、いつものドライヤー。びっくりしながらほどかれていくコードを見ていれば「何ぼけっとしとんだ。座れや」と、足の間へ引っ張り込まれた。まさか本当に乾かしてくれるとは。

三角に曲げた膝を抱え、案外優しい手付きに身を任せること数分。心地よさが胸を占めたところで、温風は止まった。無骨な指が項へ差し込まれ、ふんわり香るトリートメントの匂い。


一通りのケアをしてくれたかっちゃんは、ドライヤーを置くなり私を抱き上げて、片膝に乗せた。たらたらだった不満はとうに引っ込んでいて、眼前まで寄せられた瞳から目が逸らせなくなる。いつもいつも、急に真面目な顔をするんだから心臓に悪い。ルビーのような赤色が、まるで全てを見透かすようにゆっくり細まった。


「今生の別れみてえな面してんなや。ブスんなってんぞ」
「ブスじゃないし」
「たかが二週間だろ」
「……」
「家のことなら心配要らねえ。帰りも待っててやっから、胸張って行ってこい」
「うん。有難う……」
「ンだ、浮かねえ顔だな。まだ何かあんのか」


不服そうに眉を寄せたかっちゃんの肩口へ、ぽすんと額を預ける。柄にもなく励まそうとしてくれていることは分かった。でもそうじゃないんだよって、吐息をこぼす。

家のことはそもそも心配していない。かっちゃんのことも信頼している。だからそうじゃなくて、私が上手くやれるかとか、いろんな期待に応えられるかとか、ホームシックにならないかとか、かっちゃんに会えなくて寂しくなるとか、知らない土地での独りが怖いとか、そういうこと。でもどう言ったら上手く伝わるのか分からなくて、ただせめて二週間分の温もりが欲しくて、ぎゅうっと引っ付く。かっちゃんは一息吐いた後、幼子をあやすように背中を撫でて、それから抱き締めてくれた。


「なまえ、一回しか言わねえからよく聞け」


脳に直接響くような耳元で、静かな低音が言葉を吹き込む。


「てめえは俺が選んだ女だ。どこに行ったってやっていけるし、クソ共に何言われようと俺が肯定してやる。だから負けんな。電話ぐれえは出てやっから、仕事全部ぶっ潰してこい」


私のために選び抜かれた少々乱暴なそれら全ては、かっちゃんなりの、精一杯の"頑張れ"だった。



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