楽園に沈む




名前を呼んで欲しい人がいる。モヤモヤして、ムシャクシャして、あーなんだかなあって時に、会いたい人がいる。

個性が溢れているこの世界からすれば、あまりに非力で無力な存在。それでも世の中を恨まず俯かず、凛然たる姿勢で毎日を生きている人。たまに身を寄せるだけの勝手な俺を、好きだと言いながら包んでくれる人。言葉も温もりも合鍵も何もかも、与えるばかりで、求めない人。ホークスとしての俺しか知らないくせに、ホークスとは呼ばない人。線引きした内側には、決して入ってこない人。

彼女はいつも、近しいようで遠い場所にいる。


「来てるなら言ってよねー」
「ごめん。お邪魔してます」
「はいはいどうぞ。待ってね、今お茶出すから」
「なまえさん」
「んー?」


キッチンへ向かおうとした華奢な腕を引く。素直に傾いた、猫の子ほどの軽い体。大人しく腕の中へ収まった彼女の首元に鼻先を押し付ければ、まるで幼子をあやすように、くしゃくしゃ髪を撫でられた。何も気にしていないような素振りで「お茶出せないじゃん」と朗らかに笑う。俺からこうして手を伸ばしても、甘えようとはしない強さが眩しい。

いつだって変わらない距離感。先に線引きしたのは俺の方だっていうのに、ただ名前を呼んで欲しくて、腕の力をぎゅうっと強める。


「どうしたの」
「……」
「でっかい子どもみたいだなー」
「……」


言葉を返さないままでいれば、仕方ないなあって感じの溜息が聞こえた。ついで、くるり。腕の中で器用に反転したなまえさんの瞳が、真っ直ぐに俺を映す。


「お部屋の中ではゴーグル外しましょうね。啓悟くん」


悪戯に伸ばされた指先。こめかみをなぞり、俺の名前を口にしながらゴーグルを外していくそれは、まるで俺が求めているものを探っているようだった。逸らされることのない視線に苦笑すれば「啓悟」なんて確信した呼び方に、心臓が変な音を立てる。

本当理解が早い。そういう個性なんじゃないかって疑うくらい、俺のことを分かってくれる。実際は無個性だからこそ人の機微に気付けるのだろうけど、まあ、何でもいい。すっと馴染むその声に名前を呼んでもらえるなら、どうでもいい。


「好きだよ、啓悟」


俺もって言葉は呑み込んだ。代わりに「知ってます」って、小さな頭を引き寄せた。



※夢BOXより【無個性だけど凛々として芯の強い女の子とヒーローの誰か】




back