世界は愛で出来ている




雲が流れていく。ゆったり、ゆるり。月明かりを遮りながら空を漂う。煙も同じ。煙草の先からゆらゆらのぼり、風に乗って輪を描く。吐き出した白煙が、大気と混ざる。


「体に良くないですよー」
「……」
「口寂しくなっちゃいました?」
「……」
「あれ、なまえさん?」


いつの間に県外から帰って来ていたのか。隣へ降り立った姿を一瞥する。『あんたが欲しか』って甘い言葉で釣っておいて、二ヶ月も放ったらかされた身としては、楽しくお喋りなんて出来そうもなかった。ヒーローは大変なんだなあって、どれだけ気持ちを押し殺していたか、きっと彼は知らない。知っていたら、"口寂しい"なんて稚拙な言葉で茶化したりしない。

煙を吸い込み、ゆっくり吐き出す。一瞬揺れた空気に、彼が動いたことを知る。ふんわり私を包む、紅色の羽。お腹に回された腕。夜空を飛んできたせいか、背中から伝わる体温は少し冷たい。鼻腔をくすぐる風の匂い。それから煙草の匂い。ずいぶん久しぶりに思える、啓悟の匂い。


「ごめん。ちょっと帰って来れんかった」
「……」
「怒っとー?」
「……怒ってはないよ」
「やっと返事してくれた」


頭上から聞こえた安堵混じりの声に、つい笑ってしまう。この人は、甘える時だけ地元訛りの言葉で話す。そう分かっていながら愛しさばかりが膨れてしまうこの心は、もうとっくに絆されているのだろう。でも、なんだか私ばっかり好きみたいで悔しいから、煙草の火は消さないまま。首を傾けて、ふわふわした羽に小さく擦り寄る。


「何か嫌なことでもありました?」
「そうだね。誰かさんが音信不通だったかな」
「あー……」
「言い逃げするし、全然来ないし、電話にも出ないし」
「……すみません」
「本気じゃなかったのかなとか、飽きちゃったのかなとか、色々思った」
「俺も色々考えてましたよ。誰かさんのこと」
「へえ。誰かさんって?」
「あ、そこ言わせます?」


苦笑した彼は、それでもちゃんと「なまえさんに決まっとーやんか」と言って、私を抱く腕の力を強めた。ついで言いづらそうにこぼされたのは、まるで思春期真っ只中の青い弁明。


「電話……もしふられたらって思うと、怖くて出れませんでした」


あまりの可愛さに思わず吹き出しながら、いよいよフィルターが焦げ始めた煙草を揉み消す。灰皿に蓋をして、ゆっくり体を反転させて。初めから決まっていた返事をその唇へ送る。

髪を撫でる夜風も、後頭部へ回った手のひらも、本気やけんって注がれた愛情も、全部が全部心地よかった。



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