灰神楽


好いていた女が死んだ。


病気だったらしい。そんなことも知らずに訃報だけを風の便りで聞いた。

わざわざ施設を調べて今、未練がましく火葬場の前に立っている。

今更、何をしに来たのかと自嘲した。

付き合っていた訳ではない。俺は敵で、彼女は表社会の人間だ。
俺達の関係は、ただ気まぐれに体を重ねてキスをして、それだけ。
ここ最近連合の名前が売れてからは会うことも避けていた。
あいつが俺をどう思っていたのかも、今では聞くことすら出来ない。


死んだと聞いて胃の底が重くなるような、吐き気を催す程の喪失感を覚えて初めて、俺はあの女が好きだったのだと理解した。

あまりにも、遅かった。



「あの、何かご用ですか……?」

声の方に顔を向けると、髪の短い女が訝しげな視線をこちらに投げながら立っていた。

息を飲む。
あいつに生き写しの、喪服姿の女だった。姉妹がいると、確か一度聞いた記憶がある。
他人行儀にされなければ『生きてたのか』と声をかけるところだった。

「姉の……ご友人、ですか?」
「……そんなところだ」
「よかったら中へどうぞ。火葬中ですので、祭壇に線香をあげてくださいませんか?」
「遠慮する。親しかった訳じゃない」
「そうですか」

やけにあっさり引き下がったことに瞠目する。
あの女も、線引きした内側には決して入らなかったし面倒に食い下がることもなかった。性格まで似ているらしい。

「あの、……煙草、吸っても構いません?」
「……ああ」

男がいたから様子を見に来たのかと思ったが、どうやら元から一服する為に出てきたらしい。
慣れた手つきで火を着けるのをぼんやり眺めていた。
一瞬見えた箱はあいつの好んだ銘柄で。
姉妹でそこまで似るものかと、些細な疑問が浮かぶ。

「あなたも、いかがですか?」
「……」
「ずっと見てるから、吸いたいのかと」
「……一本だけ」
「どうぞ」

差し出された箱から一本煙草を抜き取る。
ジッポーを見せられたが手で断って、己の"個性"で火を着けた。

紫煙と共に深く息を吐く。
相変わらず重い銘柄だ。正直好みではない。
が、この匂いを纏うあの女は贔屓目を抜きにしても佳い女だった。


「あ、雨」

小さな呟きに顔を上げる。
灰色の雲が低く垂れ込めた空から、突然音を立てて一気に大粒の雨が落ちてきた。
辺りに独特の少し埃っぽい匂いが立ち込める。

幸い、灰皿があるのが廂の下だった為に濡れることはなかったが、雨の中を歩くのは億劫だ。


「驟雨ですね。すぐに止みますよ」
「……よくわかるな」
「好きなんです、雨の名前」
「変わってる」
「あなたみたいな人には言われたくないです」
「そりゃそうだ」

控えめに笑うその笑い方も、あの女にそっくりで。聞いたことはなかったが、あいつもきっと雨の名前が好きなんだろうと根拠無く思った。


「ついでに、雨の匂いはペトリコールというらしいですよ」
「詳しいな。何にでも名前が付いてんのか」

何となしに息を吸い込むと、煙草の煙と一緒に噎せ返るようなそのペトリコールとやらが肺にまで入ってくる。


好きな女が焼かれる火葬場で、煙草を吸いながら雨の匂いを嗅ぐ。
こんなことはもう二度と無い。

女を焼く火が、自分のものでないことだけが心残りだった。荼毘の名が泣く。
いつかあいつが、俺の"個性"を綺麗だと言ったから。
あいつの亡骸も、俺が焼いてやりたかった。

青の炎に包まれる女は、さぞ美しかったろう。



女の妹の言葉通り、雨は程なくして止んだ。

吸い殻を灰皿に押し付けて、火葬場の中をちらと覗く。
喪服姿の人間が慌ただしく動き始めたから、恐らく火葬が終わったのだろう。

「……お帰りですか?」
「ああ。邪魔したな。煙草、ご馳走さん」
「いえいえ。では、お気をつけて」

ひらりと手を振って、頭を下げる女に背を向けた。




「ばいばい、荼毘」


勢いよく振り返る。
女の姿はどこにもなく、灰皿には吸い殻がひとつだけ残っていた。


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