白々しい蔑みで抉ぐる・2


それから帰省を欠かずにしていたが、ある一年の間だけ行くのをやめた。僕の人生の中で唯一と言える親友を失った年だ。自分が蒙ったはずの損失がどうしようもなく埋められなくて、その上に重ねてきた月日がだんだんに燃え縮まって行くという自覚が己を落着かせない。誰にもこんな自分を見せたくない、と強く思った途端、ふと顔に大きな傷を残す女の顔を思い出した。
すると訳も分からずに僕の中にできた蟠りが和らいだ。
何よりも驚きだった。任務に没頭しようが、違うことを考えるようにしようが、揺らぐことなかったものが、彼女の顔を思い出すだけで変化があったのだ。だが、少し考えればその理由は一目瞭然だった。
今の自分よりも劣っているやつがいるからだ。人間は劣等感をもっているとき、自分よりも優れているようにおもわれる人々にたいして敵意をもちやすい。自分より優れてみえる人をほめるのは難しく、憎むことが容易である。そして自分よりも劣っているものを見ると、安心という感情が生まれる。そんな人間と対面したとき、きっと僕の中にできた蟠りは消え失せてくれるはずだ。



「おかえりなさいませ、悟様」
「……」
「みな、悟様のお帰りをお待ちしておりました」



そうして、足は自然と実家に運んでいた。僕の足取りは無表情の冷淡さを持ち合わせていただろう。だけど僕の沈んだ情動は彼女と顔を合わせても取り除かれはしなかった。



「……ねえ」
「はい」
「君が幼いころの話しをして」
「承知いたしました」



きっと彼女との間に生まれる優越は、彼女と話しをすることが重要になっているのだろうと考えた僕は、彼女に話をするように促した。
その意にはどうかその火傷で歪んだ汚らしい唇で僕よりも愚かで哀れであることを証明してほしい。この僕を再び優れている人間であることを示してほしい。という心の底を打ち当てている。



「私は焼け爛れてもかろうじて息をしておりました」
「うん」
「他の三人の兄弟が鼓動を止めてしまったため、後継ぎが私しか居なかったので母は生かしたそうです」
「うん」



彼女はあたかも悲壮美ように、自分の苦しみや困難を語った。そのつもりがなかったとしても、僕にはそう聞こえた。それは咎めるべきことなのだろうけれど、彼女の話を止めたくなくて、ただ薄い相槌を打ち続ける。



「ただこの痕のせいで私は女とも人間とも扱われていません。それは仕方ないことであり、私に与えられた責務であると思っております」
「うん」
「そして今、こうして五条家に仕えております」
「そう、……よかったね」



ゆったりとした語り口からやはり裏も表も感じさせない、とても短い昔話だった。そのかわりに僕の胸の中は朗らかにさせられた。そして彼女のことばを心から遮断していた僕は、きっと無感情とも表せる彼女の顔を見るだけでよかったのだと分かった。茫然と見下ろし、あまり興味のない物体を見る眼で彼女を眺めただけだった。
僕はこれだけで十分な収穫だと思った。思いのほか、気持ちは楽になったのだ。でもそれと同時に、物足りないような、又、済まないような気持になった。どうやら僕は自分が思っている以上に相当弱っているらしい。



「次、僕の話を聞いてよ」



声の終わりが震えていることを誤魔化すために、着物の皺を伸ばす彼女の細腕を掴んで、火傷を見る。だが、その細く小さな手は熱くかわいている枯れ葉のようで、崩れてしまうのではないかと、そっと握った。それから何を言っているか自分でもわからず、ただ懇願するように言った。



「親友を失ったんだ」



開いた引き戸の隙間から生暖かい風が吹き抜いて肌をなぞる。空には雲が飛んで、太陽がじっとしている。僕の体はいつもより力抜けしている。そして感情の熱がその体の疲労を一層劇しくしている。
何もかも話せる人が存在する、その心強さというものを少なからず彼女に対して与えていたのかもしれない。

僕はどうしてしまったのだろうか。思えば、己のこの不思議な気紛れさには、何だか一杯食わされた気持ちである。それに、突如として気紛れや弱さを見せてしまった相手というのが彼女というのが心外だ。
しかし一方で、見せかけに拘らず、彼女の思惟の根柢は、僕の優越という位置の安定にすぎなかったのであると考えれば、なんとなく負を感じない。


「ねえ」
「はい」
「今の僕は、君にどう見えてるの」



そして彼女は我慾を捨て、僕を肯定して見せることによって、安定しているのである。だからきっと彼女はいつもの言葉を吐いて、僕という人間の価値を高めてくれるだろう。



「素敵ですね」



何度も聞いた台詞だった。無の中に孕む僕に向けられた不確かな意識が込められた言葉。隠された中身を知りたいという好奇心を抑え、慣れたはずの違和感だった。
だけど、こんなところで彼女の言葉の真意を知るとは思いもしなかった。



「……なに、それ」



罠にかかった無知な獣を憐み笑うような微笑をくちびるに浮かべ、気味の悪い火傷痕が僕を滑稽だと言い放つ。生暖かかった風が火鉢からあがる熱気であると心づく。



「ようやく分かってくださったみたいで、私は嬉しいです」



彼女は俺が自分と同じように哀れになることを待っていたのだった。僕を浄化させていると思いきや、僕が蔑みを持って彼女と接していることを知っていることを許さなかったのだろう。否、いつまでも一等の哀れであることに人間としての尊厳が傷つけられるのが耐えられなかったのか。

しかし今更考えようが、足掻きようが、罠に自ら体を沈めていたことにも気づかぬまま僕はたった今、気を許した者に裏切られたという傷を負い、哀れだと思っていた者に蔑まれたのだ。

傷は深ければ深い程に残っていくというが、消し去ることは簡単であると思っていた。けれど、他人につけられた傷は己の力では癒せないのだと知った。
彼女の母親のように火鉢を投げられ、叫ばれた方がまだ随分と良い。負った傷が眼に見えてくれるから。

僕は、年一回の帰省をやめた。


fin.


from.「花熱」はるこさま
相互記念にいただきました*
21.05.05



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