白々しい蔑みで抉ぐる・1


年に一回だけ実家に帰らなければならない。誰かがそう決めたわけじゃないのにこれが恒例となったのは、俺が気紛れに実家に訪れたからだ。それが偶然にも年に一回だったせいで、家の奴らは「来年もお待ちしております」と口を揃えて言うようになった。正直、帰らないという選択をとればいい話なのだが俺は律儀にも帰省を続けている。

最初こそは格式張った話と気持ちの無い言葉が飛び交う空間である家なんかに帰らなければよかったと後悔していた。なぜこんな家に気が向いてしまったのか、嫌気すら差していた。だがある日、憂いが晴れるものを見つけた。


「おかえりなさいませ。悟様」


深々と頭を下げ、雑に纏められた髪を揺らすこの女だ。先祖代々、五条家に仕えている家系で、本家の者の雑用をしている。雑用といっても本家の者の身支度や食事の準備などといった簡単なものばかり。だが、生涯そんな事をしていかなくてはいけないと思うと、とても哀れである。
その中でもこの女は一等に哀れだ。女の顔には大きな痣がある。顔の半分を埋め尽くすほどの痣だ。それも、見る者を不快にさせてしまうくらいのものであり、痣というよりも火傷の痕だ。
彼女はそのせいもあってか、この家では従者としての扱いも疎か、女としても扱われていない。まだしも救われているのは同じ従者の性処理として扱われているところだろう。言い換えれば、完全に女として死んでいるわけではないということだ。



「お着物のご用意ができております」
「はいはい」



俺がどうしてこの女に興味を示したかというと、彼女を見ていると一種独特のかすかな優越の感情が匂ったのだ。さぞかし苦心して日々を生きているのだろうと、無意識の満足と思いあがりがひそんでいるのを感じたからだ。

それを強く受けたのは彼女の顔の痣について聞いたときだ。その日は俺の身支度をする者が彼女だった。遠目から彼女を見たことはあったが、近くで見ると顔の痕はあまりにも痛々しく、「汚ねえ」と思わず呟いてしまった。
だがしかし、彼女は俺の言葉に眉を顰めることなく、淡々と俺の腕に着物と通し、皺を伸ばしていた。訪れた沈黙の時間がなんとなく居心地が悪くなった俺は彼女に質問を投げた。



「その傷、なんなの」



気になっていたと言えば嘘ではない。しかし然程、気にしていたわけではない。だがこの場を適当に乗り切るには丁度いい質問だった。



「赤子ときにできた傷です」
「なんで」
「母に焼かれました」
「どうして」
「忌み子だからです」



四つ仔は昔から忌み子とさせられていた。だがそれは本当に昔の話であり現代社会において、そんなことは関係ない。しかしこの格式に縛られている家では悪習が続いており、彼女はその渦中に生まれてきてしまったようだ。それも四番目の子として。



「母は私を見て叫びました。母は近くにあった火鉢を私に投げました。この傷はそのときにできたものです」



傍にいた三つの鼓動は母の叫ぶ声の恐怖から動くことをやめました。賢明な判断だったと思います。そう答える彼女の表情はやはり変わらなかった。語る声には抑揚もない。そんな彼女を見て、この女は生まれた瞬間から何も与えられなかった姿なのだと思った。



「悟様はいつも素敵です」



彼女は突然そう言い放ち口角を緩やかに上げた。きっと己の生い立ち話など、どうでもいいと思っていて話を終わらせるためにそう言ったのだろう。だが俺は不覚にも目を大きく開いて、驚きを示してしまった。賞賛の声はよく言われてきたが、彼女のように心から放つ言葉を聞き入れたのは初めてだったのだ。
これはあまりにも心地がよく、自身の顔にも態度にも、もはやいいしれぬ憐憫の情しかみられなかった。きっと周りの奴らも同じなのだろう。自分より下の人間がいることに安心を覚えているのだ。
そして同時に素直に羨ましがられるというのは気持ちがいいものだ。それが裏表のない言葉であれば、もっと。


それから俺は年に一回の帰省のときは彼女を指名するようになった。
指名したから、と彼女に伝えたときに眉のひとつでも動かすんじゃないかと思ったけれど、目の奥の色ですら変えることはなかった。つまらない好奇心を持ってしまったようだ。だが彼女の「光栄です」とだけの一言で少し満足した。
彼女が隣にいる時間は着替えるときだけのごく僅かなときだけで、俺はその時間いっぱいに彼女に話をするようになった。何故そう始めたのかと言えば、彼女は俺をすべて肯定してくれるからだ。当たり前な言葉でも惨めで見窄らしい彼女が言うからこその効果がある。彼女が俺を肯定するたびに俺は自分自身の価値が上がっていく。身が震えるほどの快感で、どうしようもなく病みつきになってしまう。



「傑ってやつがいるんだけどさ」
「前に仰っていた方ですね」
「そうそう」



決して心を許しているわけではない。話題つくりのために無理をして考えたわけでもない。ただ俺とお前は同じ人間でもこんなにも差があるんだぞ、という見せつけたい気持ちだけで、俺は日常生活のことを話し始めた。
彼女のことだから黙って聞いているものだと思いきや、しっかりとした合図地を寄越してくる。それもちゃんと此方の話を聞いているからこその反応。これもまた心地がいい。



「悟様はその方を大事に思われているのですね」
「……まあ、そうかもね」
「悟様は素敵ですね」



うわべのお世辞か、本心か。俺の同意に心から敬意を表しているように聞こえるが、裏表のない言の葉の発する彼女には似合わない意味合いがあるような気がした。これが気だけならいいのに、何度もこの言葉をいうものだから妙に引っかかりを覚えた。



「どこが素敵なの?」
「私の口から明確にお伝えするのは烏滸がましい身分です」
「あっそ」



彼女の立場からして、それは妥当の答えであった。逆に自分が立場を忘れ、彼女に近づきすぎたのかもしれない。彼女の「素敵」の意味を知ることはできなかったが、己が彼女と同じような部類にいることは許されない。あってはいけないからこそ、俺はもう聞くことはなかった。



「ただ悟様は素敵だと、そう思った所存でございます」



哀れである人間が、そうでない人間を讃えるからこそ、上の人間の位があがる。そして彼女くらいに愚かだと自分の目で見なければ、自身の愚かさなど、深くは知ることはできないだろう。だからこそ俺が彼女に教えてやっているのだ。この僅かな時間でさえも、余すことなく。
ただ、やはり「素敵」であると言うときだけ、彼女の表情は今までに見せたことのない穏やかなものになる。無心の中に宿る何かが見えた。俺は再びその中にあるものを知りたくなったが、踏みとどまった。


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