あの子の靴を知らないか


 27cm差かぁ、と彼の隣に立つたびに実感する。室内に光を散らすシャンデリア、テーブルを彩る花と白レース、穏やかに流れ続けるクラシック音楽と人々の歓談。この日のために新調した薄橙のドレスが膝上で揺れる。


「勝己はさ、みんなとお喋りしなくていいの?」
「あ? んで俺がその辺のモブとくだらねぇ会話なんかしなきゃなんねーんだクソが」
(……じゃあなんで来たんだろ、この人…………)


ゆっくりと烏龍茶の入ったグラスを傾ける爆豪を、なまえは意味もなくドレスの裾を弄りながら見上げた。今日は雄英の卒業生を対象にした同窓会パーティーが行われていた。今回は成人式という節目を迎えたのをきっかけに、パーティーが開設されている。卒業してからもう2年も時間が経っているのだと思うと、その経過の早さに驚いてしまう。

グラスをテーブルに置いて周囲を見渡した。同期とは言え、なんとなく所属科で輪が出来ている。かく言うなまえも、顔と名前が一致するのはヒーロー科AB組とお世話になったサポート科数名、そして教師陣。一方、ただひたすらに自分の進むべき道だけを見据えてきた爆豪には、同じ高校の卒業生とは言え、正しく"モブ"なのだろう。


「A組みんな来てるのかなぁ……」
「知らねェ」
「むぅ」


ヒーロー科の面々の活動拠点は多岐にわたる。日本だけでなく、一年目から海外に渡った同級生もいた。なまえと爆豪もそうだ。爆豪はベストジーニストの元、東京で研鑽を積んでいるのに対し、なまえは大阪のファットガムにお世話になっている。

遠距離恋愛だね、なんて進路を決定した時に笑ったものだ。爆豪は決して「自分の目が届く東京に居ろ」とは言わなかった。切島からもファットガムの功績を聞いているのだろう、少しの沈黙の後「……いいんじゃねぇの」と送り出してくれた。

プロヒーロー、されど新人として沢山の学びを得た二年間、恋人として会えた機会は恐らく片手で足りるほど。しかし意外とマメ、というか背後に(おめェ遠距離だからって俺のことほったらかしてんじゃねぇぞこのクソが、というかそっちから連絡してこいバカなまえ)的な執念すら滲んでいる頻回の連絡のおかげで、その距離感を必要以上に大きく感じることはなかった。


(でもさ、でもさ…………久しぶりに見た勝己がスーツとかずるくない?!)


隣に立つ彼は、TPOに合わせてきっちりとスーツを着込んでいた。オーダーメイドと思われる、柔らかいブラウンに細かいストライプが入った滑らかなスーツ。濃紅のネクタイとハンカチーフ、それに銀のカフスボタンがいいアクセントになっている。かっこいい、と素直に言えたらどんなに良かっただろう。その前に唇がむずむずしてしまって、暫く言えそうにない。

きゅう、と膝裏を伸ばして背筋をまっすぐにする。今日のために買い揃えたもののうちに、今足先を飾る白のハイヒールがあった。鋭利と言っても過言でない踵が、ホテルのラグに沈んでは細やかな反発を受ける。


「ねぇ、私みんなと話してきていい?」
「あ?」
「だって久しぶりなんだよ? あっ、響香ちゃーん!!」


旧友の姿を見つけて思わずなまえは駆け出した。耳郎もこちらに気が付いて手を振ってくれている。ぴょんぴょん跳ねて再会を喜ぶなまえを見て、爆豪は思わず「兎かよ……」と呟いた。渋々と言った雰囲気を余すところなく纏いながら、それでも爆豪は彼女の小さな背を追った。


「なまえ! この間ニュース見たよ!」
「うっそぉ?! ええ、恥ずかし……。ていうか、響香ちゃんめちゃめちゃ可愛い! ねね、一緒に写真撮ろ!」
「いいけど……あ、芦戸! ねぇ、あんたも入んなよ」
「わ! なまえ! 超ひっさしぶりじゃん?! 元気してたー?!」


それぞれにめかし込んだクラスメイトと写真を撮らない理由などない。午前中、雄英高校で行われた成人式では女子の殆どが振袖を着ていた。そして今はパーティードレスだ。そこ、午前中も飽きるほど写真を撮っただろう、なんて野暮なツッコミはしない!

女子は肩を寄せ、スカートが重なり合うような距離まで密接して、何とか三人の上半身を画面に収めようとしている。両ポケットに拳を突っ込んで、肩をいからせながら近づいた。そして乱雑に片手を伸ばした。


「ん」
「……?」
「チッ、カメラ貸せ! てめェのブスがちったぁマシになるように俺が撮ってやるっつってんだよ」


芦戸と耳郎はきょとんと顔を見合わせ、そして同じ結論に至ったことを直感して頷いた。爆豪となまえから二歩ほど距離を取って、ひそひそと内緒話に興じる。


「あいつ、なまえから離れたくないから引っ付いてきたんだ」
「爆豪も随分と丸くなったね……」
「ぱっとみ逆っぽいのにね。俺に黙ってついてこい、的な……」
「うんうん」


微笑ましさに口角が緩んでしまった二人であったが、当の本人たちは違った。なまえは爆豪に自身のスマートフォンを渡す代わりに、自分より頭一つ分背の高い彼をきっと睨み上げた。……確かに、睨み上げていた。


「…………謝って」
「あ?」
「勝己、ごめんなさいして。今の言い方はすっごい傷ついた」
「ああ??」
「折角お洒落してカッコいい勝己と会えると思ったから、私だってちゃんとお洒落したの。それなのにブスってどういうこと?」
「………………」


真っ直ぐにこちらを射抜いてくるなまえの瞳に、爆豪は臍を噛んだ。やっちまった、と思った。

なまえは爆豪の、もはや性格の一部と言ったこの暴言癖に酷く噛みつくことがあった。それは新人でありながら既にビルボードチャート上位に名前を刻む爆豪の世間的評判を加味した上で、気を付けて欲しいと言っているのだ。反射的に飛び出る荒っぽい発言のせいで、爆豪の活躍が正しく世間に評価されないことをなまえは恐れていた。

んなもんほっとけ。そう一言爆豪が言ってしまえばなまえは口を噤むだろう。けれど、爆豪は優秀だった。彼女がしつこく暴言を咎める背景を察するに容易な脳味噌を持ち合わせている。自分のためなのだと理解してしまったのならば、適当にあしらうわけにもいかなかった。

そして言えるはずもない。素直に「今日の服、……まァ悪くはねぇんじゃねぇの」と言えなかった反動なのだと。照れ隠しがひっくり返り過ぎて零れた言葉とは口が裂けても言えなかった。あと「カッコいい勝己」と言われたことに心臓が飛び上がって喜んだことも悪辣に拍車をかけていた。ぶっきらぼうに唇を尖らせる。


「謝って。私すっごく悲しくなった」


 この光景を芦戸と耳郎は一歩離れた所で見ていた。両者ともに口元を押さえ、カップルのやり取りを凝視する以外に何もできなかった。……怒られている、あの爆豪勝己が。三十センチ定規分ほど背の低い――今はなまえが約10cmのハイヒールを履いているからその差はまだ少なくなっているが――女の子に、「謝って」と爆豪が詰め寄られている。苦虫を噛み潰したような、反論したくとも出来ないと言わんばかりの顔をして、けれど彼は甘んじてお叱りを受けているのだ。あの、傍若無人で聞かん坊の爆豪勝己が、恋人に叱られて何も言えずにいる状況。

――ヤバい、超おもしろい。堪らず漏らした耳郎のその一言に、芦戸が噴き出した。


「……ゴメンナサイ」
「うん、いいよ。もう言わないでね。悲しくなっちゃうから」
「…………ん」


叱られた後も爆豪は黙ってなまえの後ろについてきた。クリーム色のツンツン髪が多少へたっている……ように見えなくもない。時折なまえのスカートの裾を引こうとして中途半端に伸ばされた手と、乱暴にポケットに突っ込まれた拳が確認された。

近くの事務所に就職したヤツに昨日ぶりだな、なんて声をかけられたり。卒業後は全く交流のなかったクラスメイトに近況を訊ねられたり。はたまた学生時代に競い合ったB組の生徒から活躍においてマウントを取られたり。「なんか今日の爆豪、大人しいな。どうかしたのか」とかつての担任に心配されたことに対して逆ギレしてようやく、彼も調子を取り戻し始めた。

切島や上鳴と談笑(?)する爆豪に、なまえもひっそり頬を緩める。彼が楽しそうで何よりだ。彼女も友人との再会を大いに喜び、カメラロールに一面顔が並ぶくらいには写真を撮った。

 ホテルのふっかふかのカーペットを散々ぱら歩き回った。ウェイターからサーブされる烏龍茶ないしオレンジジュース――成人式と言いながらもまだ未成年のものがいることを考慮して、ノンアルコール飲料しか提供されていない――で喉を潤し、フィンガーフードに舌鼓を打つ。成人式の実行委員は三年時のクラス委員が担ってくれている。そしてA組のクラス委員は八百万、彼女の贔屓にしているホテルを貸切ってのパーティーだった。


「ねぇねぇ、勝己! あそこにあったキッシュ食べた? 美味しそうだったんだよね」


こんな高級ホテル、なかなか来れるもんじゃない! 折角の機会だし、食べなきゃ損だよね、となまえがバイキングコーナーに一歩踏み出そうとした時だ。彼女の細い肩を掴む、男の掌があった。


「食ってねぇ。あんなもん俺でも作れるわ」
「そこ張り合うの? 私食べたいし取ってこようかな」
「……俺が行く。なまえは座ってろ」
「え?」


歩みを引き留めたかと思えば、爆豪は細い手首を捉えて壁沿いに設置された椅子へと歩いていく。なまえの頭上に疑問符が三つ浮かんだ所で、彼女はすとんと座らされてしまった。これじゃあ折角履いた11cmのヒールは役に立たない。坐位と立位では身長差は一層広がってしまう。


「痛ぇんだろ、足。んな靴選ぶからだアホ」
「…………むぅ」


……バレていた。なまえは唇をへの字に曲げる。実は結構序盤から足が痛かったのだ。主に踵と、小指の外側。血が滲んだりしないように分厚い絆創膏を張って予防はしていたが、やっぱり痛いものは痛い。変な歩き方にならないように気を付けてたんだけどなぁ、とちょっぴりの悔しさがこみ上げてくる。


「俺が屈んでやる。分かったんなら二度とそれ履くんじゃねぇぞ」


なまえの顔に影がかかる。訳を察する間もなく、ふっと鼻先を持ち上げて、触れた柔らかい体温。宣言通り、爆豪が腰を屈めてなまえにキスをしていた。瞬刻の闇、鼻を翳めるBVLGARIの香水。唇が離れて。深紅のネクタイに伸びようとしていた指先を制して、男が犬歯を覗かせる。


「ハッ、いい子ちゃんで待ってろよ」


なまえが呆気に取られている間に、爆豪は料理が整列している長テーブルに辿り着いた。あいつが食べたいと言っていたキッシュの他に、喜びそうなフィンガーフードを難なくピックアップしていく。ドライトマトとオリーブのカナッペ、サーモンのマリネに牛肉とクリームチーズのピンチョス。それから、と記憶を辿りながらも彼は滑らかに皿を満たした。彩りと味のバランスが十分に考慮された一皿を持って、爆豪がゆっくりとこちらに戻ってくる。

……思えば、爆豪がなまえの傍を離れたのは、たったこの時だけだった。




「嗄声」萬さんより
嗄声さまの10万打企画にて頂戴いたしました*
Request:多人数の場で傍を離れない恋人勝己
(同窓会でも懇親会でもデパートでも街中でも何でもOK)



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