きみのやさしいを咀嚼する



幼い頃からの憧れが、ひとつある。ドラマや映画でお馴染み。お眠な彼女をベッドまで運ぶ時なんかに良く用いられる“お姫様抱っこ”。付き合ってもうすぐ五ヶ月になる勝己に頼めば、きっと簡単にしてくれるだろうけれど(だって彼は並の筋肉量ではない)なんとなく言い出せずにいる。別に大切にして欲しいとか、お姫様みたいな気分を味わいたいとか、そんなわけじゃない。ただ巷の女の子が騒ぐ行為がどんな感じなのか、ちょっと経験してみたいだけ。お姫様って柄じゃない私だから、ちょっと恥ずかしいだけ。

なのに、何で分かっちゃうかなあ。



――ふわり。

全身に加わる僅かな重力。特有の浮遊感に驚き、今の今まで瞼に伸しかかっていた睡魔が姿を消す。


「か、つき?」
「ん?」


すぐそこから私を見下ろす二つのルビー。肩と膝裏を支える腕は逞しく、ぴったりくっついた左側から伝わる温度があたたかい。鼻腔を包むのは、嗅ぎ慣れた柔軟剤とボディーソープの香り。

短く息をついた勝己は「ちったぁ嬉しそうな顔しろや」と、器用に私を抱え直した。仮にもヒーローを志す身。女といえど決して軽くはないだろう体重を、まるで子どものように扱う膂力と有り余る余裕に心臓が鳴る。慌てて首へ腕を回せば背中を支えられ「で、どうだよ?憧れのオヒメサマダッコは」と、意地の悪いしたり顔が目前に迫った。何で知ってるの。


「……安定感が凄いです」
「ハッ、たりめえだろ。誰に言っとんだ」


そりゃそうだって頷くしかない返答に口を噤む。最早ぐうの音も出ない。高額納税者ランキングに名を刻むプロヒーローになる男。これくらい朝飯前だってことくらい分かっている。それでも嬉しいものは嬉しいし、私だって恋する女の子。上手く言葉が出てこなかったのは、どうか察して欲しい。


「何で知ってたの」
「あ?」
「お姫様抱っこのこと、憧れだって」
「ああ。たまたま聞こえたんだよ。下でモブ共と喋っとっただろ」


ゆっくりベッドへ下ろされ、シーツに沈む。離れようとしない勝己の手が重なったかと思うと、指の間を割るようにぎゅっと握られた。乗り上げた膝で私を跨いで、顔横に肘をついて――ぎしり。

安っぽいスプリングが小さく鳴る。


「で?夢を叶えてやった俺に、なんか言うことねえんか、なまえ」
「……ありがと。大好き」


口篭りつつぼそぼそ絞り出した二言は、どうやら正解だったらしい。片口を上げ、瞳を細めながら笑った勝己は心底満足そうで、触れ合う肌がじわじわ火照る。何でこんなにご機嫌なんだろう。久々のオフで、一日中一緒に居られたからかな。

間もなく降ってきた唇はチョコレートみたいに甘かった。

back - index