絶対不可侵のひと部屋



俺は大丈夫だから早く帰りなさい。

もう耳にタコが出来るほど聞いた台詞を、はいはいって適当に流す。あんまり声出してると喉悪化するのになあ。「お前真面目に聞いてねえだろ……」なんて今更。額に冷えピタを貼った状態の鉄朗が深い溜息をこぼす。それからゴホゴホ咳き込んだ。ほら言わんこっちゃない。隣にしゃがみ、丸まった背中を摩る。


「お水飲む?ポカリもあるけど」
「っ、……ポカリ、で」
「はい。ちょっとずつ飲みなね」
「ん」


男の子らしい喉仏が、こく、こく、と上下する。飲み終わったペットボトルを受け取ってキャップをすれば、再び息を吐いた鉄朗はなんともバツが悪そうに顔を顰めた。ご飯は食べたし薬も飲んだ。熱は下がってきているし、この咳がとれればもう大丈夫。風邪が移る前、外が暗くなる前に早く帰れ。大方そんなことが言いたいのだろう。

分かってるよ。わざわざ口にしなくたって、鉄朗の考えてることくらい。それでも心配が勝ってしまうのだから、どうしようもない。鉄朗パパが仕事に向かう朝六時半過ぎに来て、もう昼の二時。いい加減諦めて、大人しく寝て欲しいと思う。移る移らないはどうでもいい。治る治らないが今は最重要事項で、なんなら私もそろそろ眠い。早起きって苦手。


「ほら、ベッド入ろ」


こんな時でも気合いが入っている寝癖をよしよし撫でる。伝わる温度は当然普段より高く、きっと辛いに違いない。そんなこと、我慢強い彼はおくびにも出さないけど。

「なまえ」ってガラついた呼び声に、いつの間にか俯いていた顔を上げる。風邪を引いていても鉄朗の声はかっこよかった。私が惚れこんだ内のひとつ。


「ちゃんと寝るから、お前は帰んなさい。移ったら元も子もねえだろ」
「大丈夫だよ。私バカだから風邪引かないし」
「あのなあ……」
「ねえ鉄朗」
「んー?」
「そんなに言うなら、移るかどうか試そうよ」


瞬いた瞳に微笑んで、帰れ帰れって私の心配ばかりな口を口で塞ぐ。「っ、こら」と焦ったように肩を掴まれたけれど、首に腕を回して再びくっつけてしまえばこっちのもの。優しい鉄朗が私を無理やり引っぺがすなんて出来るはずもなく、大した弊害にはなり得ない。

頑なな唇をやや強引に舌で割り、引け気味な分厚いそれを追う。舐めて、絡めて、吸って、誘って。いつも鉄朗がそうするように角度を変える。ポカリの味が消えるくらい、深く、長く――。




「っは……お、まえなあ……」
「ん、ご馳走様でした」


舌舐めずりをしてみせると、彼は押し黙った。きっと、せり上がる文句に勝る何かがあったのだろう。後ろのベッドに凭れかかり、ようやく吹っ切れたように苦笑したかと思うと「お粗末様デシタ」って頭を撫で返された。


「あー…………熱上がりそ」
「え"。早くベッド入ってよ」
「なまえもくんだろ?」
「そのつもりだけど」
「……寝れっかな……」
「?まあ邪魔はしないから。ほら」
「へいへい」

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