ベルベットの海に沈む



裏起毛のスウェット越し。見た目によらず厚みのある胸板が、穏やかな心音に合わせて上下する。バレー部だった高校当時よりは少し細くなったか。それでも未だ、しっかり私を抱く京治の腕からはスポーツマンらしさが窺えた。タブレットや書類が詰まったカバンを提げて、あっちへこっちへ走り回っているからかもしれない。大変そうだなあって良く思う。締め切り前なんか特に。

ゆっくり呼吸を繰り返し、お揃いの香りで肺を満たす。まだ深夜だろう。カーテンから透ける明かりは見受けられず、鳥の鳴き声も車のエンジン音も聞こえない。


目が開いたことに理由はなかった。不安も心配も、別段思い当たらない。大きな物音がしたとか地震があったとか凄く寒いってわけでもない。怖い夢だって、彼に包まれているここでは見ない。ただなんとなく。それだけ。旅行や出張なんかで泊まった時、目覚まし無しで自然と起きれてしまうあの感覚に似ている。

もう私の家なのに変な感じ。赤葦って素敵な名字をもらって、新しい家に住んで、一緒に暮らして。二人で年末を迎えるのはこれで何回目だっけなあ。


ぼんやり考えながら、静かに欠伸をこぼす。彼を起こしたくなかった。いくら来週から休みに入るとはいえ、お互いまだ踏ん張り時。ゆっくり出来る時にゆっくり休んで欲しい。眠っていて欲しい。私の隣で安らいで欲しい。でも残念。身じろいだ京治の指がこめかみに触れ、それからゆるゆる髪を流した。

加湿器の音に混じる声。


「眠れない……?」
「ううん。ちょっと目ぇ開いただけ」
「そう。よかった」


舌っ足らずな低音が小さく笑うと、夜の静寂が波打った。ついつい顔が見たくなって、でも我慢する。だって腕の重みがこんなに心地いい。

触れたままの脚が絡まって「なまえ……」と、まるで幼子がぬいぐるみを抱くように引き寄せられて。半身の更に半分くらいの僅かな体重が乗しかかる。顔どころか全身が埋もれてしまってちょっと息苦しいけれど、目を閉じていたって京治を感じられるのは良いことだ。これくらいが丁度落ち着けるのかもしれないと甘んじて受け入れながら、子守唄代わりの心音に目を閉じる。


「眠れそう?」
「うん。良い感じ」
「俺も」


ベストポジションへおさまった私に満足したのか。「おやすみ」とこぼした京治の体はゆっくり重くなり、だんだん温かくなっていった。

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