聖域に星屑を撒いて



朝の教室前。喧騒がさざめく廊下で、ほんのり緊張を孕むたどたどしい声が大気を揺らす。


「お、おはよう、爆豪くん」


スクールバッグの持ち手を握り直した華奢な手。ぱちりと瞬く瞼。自分の目線よりも随分低い位置にある双眼を見下ろし、爆豪は足を止めた。

合わさるなり震えた眼差しに、ビビるくれえならはなから話しかけんなや、と鼻で笑いそうになりながら、それでもこうしてわざわざ名前を挙げる訳を探しては胸の底がふつふつ熱を灯す。眉間の皺が心なしか薄まり、いつもの仏頂面から覇気が抜ける。

ばくばく鳴り続けるなまえの心臓が破裂する数歩手前。いつだって鮮烈な憧憬を纏うルビーがほんの数ミリ細まった。


「……はよ」


顔を逸らし腰で履いているスラックスのポケットに両手を突っ込んだまま、教室へと入っていく。挨拶というにはあまりに簡素な音の連なり。それでもなまえにとっては一瞬世界が止まるほどの喜びで、桜色に染まった頬をにこにこ緩めながら後を追った。




チャイムが三時間目の終わりを告げる。プリントをしまった上鳴は後ろの席に位置する切島を振り返り、まるで内緒話をするように口端へ片手を当てながら身を乗り出した。


「なあ今日さ、爆豪大人しくね?」
「あー……みょうじ効果じゃねえか?」
「やっぱり?」
「おう。なんか朝喋ってた」


噂をすれば何とやら。喧騒に混じる「爆豪くん」が二人の鼓膜を横切った。一列挟んだ向こう側。自席で頬杖をついていた爆豪の顔が上がり、多少和らいだ(ように見える)瞳が駆け寄ってきたなまえを捉える。やはり緊張した面持ちながら、ぱくぱく口を動かす彼女は嬉しそうだ。話せていることが幸せで仕方ない。そんな様子が窺えると共に、時折短く答えるだけの爆豪も小さく笑っている。声を荒げる普段の彼など見る影もない。

会話までは聞こえないものの、色恋沙汰に疎いと言われる切島にもさすがに分かった。あそこだけ色が違う。なんかこう、薄ピンクだかオレンジだかが後光の如くさしてほわほわ漂っている。正直微笑ましい。誰に対しても物怖じせず気さくに話すなまえが必死に言葉を選んで不器用に継ぎ接ぐ様も、クソを下水で煮込んだような粗野で横暴で傲慢な爆豪が目を見ながら黙って聞いては口角を上げる様相も、互いが互いを“特別だ”と示していた。


「くそぉ……リア充め……」
「まだくっついてないよ」
「え、あれで!?」
「上鳴ちゃん。声が大きいわ」


友人の恋愛事情は誰でも気になるもの。隣席の芦戸と蛙吹が加わり「わりわり」と謝った上鳴が声を潜める。


「え、付き合ってねえの?」
「うん。こっちからぶっ込んでないけど、付き合ったら報告する子じゃん?まだ言ってこないからさ」
「え、梅雨ちゃん達は片思いしてるーとか聞いた感じ?」
「それも聞いてないわ。本人は隠してるつもりじゃないかしら」
「あー分かる。アイツもそんな感じだよな。隠れてねえけど」


四人の視線がなんとはなしに窓際へ向かう。
一つのスマホ画面を揃って覗き込むなまえと爆豪は、どうやら次の日曜、二人で出掛けるらしかった。

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