林間合宿にて
体はくたくたなのに、心が軽い。もう一歩も動きたくないと思うのに、この時間が少しでも長く続けばいいとも思う。
変な感覚だ。雄英高校は、いつもこうして、適度な疲労感と不思議な充実感を与えてくれる。
「爆豪くん包丁使うのウマ!意外やわ……」
「意外って何だコラ!包丁に上手い下手なんざねぇだろ!!」
ついこぼれ出てしまったようなお茶子ちゃんの声に、頬が緩む。かっちゃんが包丁を完璧に使いこなすことは、随分昔から知っていた。みんなが知らなかった彼の一面を既に知っている、というのは、ちょっとした優越感に浸れて、嬉しさが浮かぶ。
そんなふわふわとした心地で、薪を運んでいたのがいけなかったのだろう。
疲れているからか、自分が思っていたよりも上がっていなかったらしい爪先が、石に躓く。少しだけ浮いた体が傾いて、あ、やばい。
ぎゅっと目を瞑って、体に襲いくるであろう衝撃を覚悟したその瞬間、私を支えてくれたのは、あたたかい温度。
「あっぶねぇー……大丈夫か?みょうじ」
おそるおそる目を開ければ、助けてくれた切島くんが、安心したように息を吐いた。
「大丈夫、ごめんね。怪我ない?」
「俺は平気だぜ!」
「良かった……ありがと」
「どういたしまして」
相変わらず人の良さが滲み出ている笑い方に、ついつられて笑顔になる。
それにしても、体全体で私を支えた上に、片腕ではしっかり薪も救っているあたり、凄い反射神経だ。こういう瞬発力は、ヒーローを目指す上で見習わないといけない。
そう、素直に感心していると、今度は後ろから、物凄い力でシャツの襟首を引っ張られた。一瞬で締まった喉から漏れそうになった声をなんとか耐える。
誰か、なんて振り向かなくてもすぐに分かった。背中に当たった体温も、僅かに鼻腔を掠める甘い匂いも良く知っているし、そもそも、女子をこんなに雑に扱える奴は一人しかいない。
「いったいなあ、かっちゃん!何すんの!」
「うるせえ!さっさと離れろや!」
「はあ!?」
「何ニヤニヤしとんだきめぇ!!」
ぷりぷりと随分お怒りな様子の彼は、大きな舌打ちと共にシャツを離してくれた。
別にニヤニヤなんてしていないし、切島くんの優しさに和んでいただけなのに、いったい何をそんなに怒っているのか。
「何で怒ってるの?」
「チッ、てめぇで考えろ」
「かっちゃんの心ん中なんて分かりませんー」
「ぁ"あ"!?分かれやそんくれえ!何年一緒にいやがんだカス!」
いやいや、マジかかっちゃん。言ってること無茶苦茶だよ。長年一緒にはいるけど、私はサイキックじゃないよ。
もしエスパーだったら、とっくに私に対する好意の度合いを確認してるところだけど、本当に残念ながら、そんな個性は持ち合わせていない。かと言って、イライラオーラ満載のかっちゃんを放っておくわけにもいかないのだから困った。
さっさと離れろってことは、切島くんに触れていたことがいけなかったのだろうか。もしかしてヤキモチ……いや、かっちゃんに限って、まさかそんな。
うんうん悩んでいると、何か閃いたらしい切島くんに名前を呼ばれた。そうして「行くぞー!」と軽く押された背中。突然のことに踏ん張れなかった私の体は、当然かっちゃんの胸に倒れ込む。
昼間に個性をたくさん使っていたからか、彼特有の甘い匂いが、いつもより強く香って、なんだか恥ずかしい。
「俺が先に動いちまったけど、爆豪も助けたかったんだろ?一応ヒーロー志望だもんな!」
「ッ違ぇわクソ髪!殺す!!」
「ちょ、かっちゃんストップ……!」
何がなんだかもう全然分からないけれど、視界の端で迸った光に、慌てて喉を張る。
ここで爆破なんてされたら、みんなのカレーが台無しになってしまうに違いない。それだけは、どうしても避けたかった。いっそ私が重りになれば、切島くんに飛びかかることもしないだろう。
恥ずかしさを押し殺して、広い背中に腕を回す。足を浮かせ、コアラさん状態で目いっぱい抱きついてみれば、無事にパチパチ響いていた破裂音が止まった。
けれど、そのまま離れることは許されなかった。
逞しい片腕に、グッと強く抱き締められる。首筋に触れた、意外と柔らかな髪がくすぐったい。
鼓膜のすぐ傍で、とても小さく吐き出された声は、私の心臓と体温を大きく乱していった。
「……俺以外に尻尾振ってんなよ、クソなまえ」