日々は涙で符合する



“良好”といわれれば、頷けるような関係性だったと思う。

口喧嘩の大半が、売り言葉に買い言葉。勝己が悪い時もあれば、私が言い過ぎる場合もある。だからといってギクシャクしたり、嫌な感じが尾を引くことは全然ない。皆が笑って流せる程度。決して不仲じゃない。ちょこちょこ揃って出掛けるし、お昼を一緒に摂る日もある。CDや漫画の貸し借りだって日常茶飯事。勝己と私を敢えてまろやかに表すなら“気心の知れた仲”。だからこそ確かに、良好な関係を築けている。そう思っていた。

大きな舌打ちの後「うるせえ」と私の声を遮った彼に伸ばした手を、払われるまでは。


「……」


静かな赤色が細まると同時、その眉間にシワが寄る。そうして何を言うでもなく、教室から出ていった。

「めっずらしー。ご機嫌斜め?なまえ大丈夫?」って三奈の声がどこか遠い。頷きながら、まるで水の中にいるみたいだと思う。周囲の音がどんよりこもって、ガラス一枚隔てているよう――。


いつもと変わらない、単なる小競り合いのはずだった。死ねだのカスだの殺すだのありったけの暴言を語尾に添えて、ガッと言い返してくるはずだった。一体何が障ったのか、どれだけ記憶を辿ってみても思い当たる節などない。だって全部が全部、全くもって普段通りだった。なのに何で、じゃあどうして……。もしかして勝己にとってこの関係は、今までずっと良くないものでしかなかったんだろうか。

指の先から、温度が消える。




チャイムが鳴ると、勝己は戻ってきた。腰で履いているズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、ドサッと自席へ座る。目は合うものの、あいにく喉が詰まってしまって話せず仕舞い。言葉を介さない赤色がうんと知らないもののように感じられ、ただ互いが紛れもない他人であることを突き付けられるばかり。

四日目にして私の心は早ズタボロだった。いや、話しかければそれなりに返ってくる。朝の挨拶も至って普通。恐る恐るの「お昼どう?」って誘いにも、わざわざ切島をふってまで乗ってくれる。けれど怒声や暴言は聞かなくなり、開きかけた口を閉じては黙り込み、時折退席することが増えていた。

前向きに捉えるなら気を遣っているだけだけれど、今まで散々喧嘩してきたあの暴君に、そうさせるだけの何かがあったとは考えにくい。せめて嫌われてはいないと思いたい。分からない。これじゃあただの友達同士と変わりなくて、本音も何も見えなくて、だからこそ怖い。




食堂入り口右側座席。頬杖をつきながら隣を見遣る。真っ赤なカレーをぺろりとたいらげ、お水を飲み干した勝己と目が合う。


「この後時間あんか」
「うん……あるよ」
「ちょっと付き合え」


返却口にお盆を置いた背中は次いで外へ向かい、やがて裏庭で止まった。生徒の声も人目もない木陰の中、振り返った静謐に寂しさが滲む。

やっぱりまるで他人みたい。私が知らないその瞳に、胸が傷んで仕方がない。お別れなんて聞きたくなくて、でも今更どうしようもない。たぶんもうごめんなさいじゃ済まないし、元に戻れるはずもなかった。

ただ俯きながら待つことしか出来ない私を「なまえ」と、無機質な低声が呼ぶ。


「顔上げろ」
「やだ」
「あ゙?」
「だって、も……泣きそ……」


そんなの鬱陶しいでしょって、つい震えてしまいそうな唇を噛む。手を払われたあの日からずっと不在な強い自分を呼び戻すよう、両の拳をきつく握る。途端、吐き出された深い溜息に肩が跳ねた。彼の靴先が、芝生ばかりの視界に映る。


「……クソが」


びくり。すぐ真上から降ってきた呟きに体が強張り、けれど次の瞬間、温かな両腕に包まれた。

暗い視界の中、体温が混ざる。息をする度、勝己だって分かる匂いが肺を満たす。風音も木々のざわめきも何もかもが遠くなり、それこそガラス一枚隔てた内側で、二人分の鼓動が鳴る。まるで水の中にいるみたい。ぼんやりこもって拾う鼓膜。それからどくどくうるさい心臓をひどく鮮明に穿つ――「好きだ」。


「……うそ」
「な訳ねえだろ。疑っとんか」
「や、……こないだから、態度、」
「変えねえと、てめえいつまで経っても意識しねえだろ。俺がどうでもいいクソモブに時間割くと本気で思ってんなら、今すぐここでぶっ殺す」


久し振りの粗暴な物言いに、心の底から安堵する。ああなんだそういうことって、溢れ出る笑みも涙ももう、抑えられやしなかった。

back - index